第25話 於菟のパートナー②

「…………」



 6月某日。体育の授業の終わり。

 俺は男子更衣室のなかで座り込んでいる。



「お、おい、毛利……元気出せよ」



 クラスメイトの励ます声も、俺の耳にむなしく響く。



「ちょっとコンディションが悪かっただけだって。な?」

「次に踊るときはイイ感じになっているだろうから、な?」

「っていうかあれは林が最初っからテンパってからであって……」

「お前のせいじゃないだろ毛利」



 みんなの言葉が柔らかい。まるで真綿のようだ。

 だが俺は真綿で首を絞められている気分になる。


 違う、違うんだよ……。

 お前らの言葉は優しいが、その優しさが痛いんだ。

 だって。




「コンデイションやパートナーのせいじゃなくて……俺が悪いんだよ。林がすっ転んだのは俺のせいだ‼」




 そうだ。

 先ほどの体育の授業、社交ダンスの練習にて。

 俺と美代のコンビの相性は最悪で、足運びがもつれにもつれまっくた挙句、美代が顔面から床にすっ転ぶという出来事が発生してしまった。



 俺のせいだ。

 俺が美代のイカレポンチな足運びに、もっと上手く合わせるべきだったんだ!

 それなのに、こんな……すまない、美代……。




「もう……嫌なんだ自分が……俺を……殺してくれ……もう……消えたい……」





「おい、誰か天才の扱い方が書いてあるマニュアル持ってこい」

「なんて哀れでか弱い生き物なんだ天才ってやつは」

「たった一度の失敗でここまでダメになるのか。今や生態系の最底辺じゃないか」

「メンタル紙装甲め。失敗慣れしていないってのは恐ろしいもんだな」



 周囲の奴らが言いたい放題だ。

 でも今の俺には反論する権利も資格もない。

 はい、クソザコウジ虫とは俺のことです。世界よ、どうか俺を嗤え。




 そんなこんなで美代をパートナーにした社交ダンスは大失敗。

 ゴミザコメンタルと化した俺は、負のオーラをその日は引きずりっぱなしのまま、放課後の時間を迎えるのであった。










「も・う・り・くーん♡」

「林、俺を殺してくれ」



 放課後、俺が背負うべき原罪の擬人化というべき存在が目の前にきた。美代だ。

 俺は彼女に死を賜るように願った。

 ああ、美代よ。

 お前の綺麗な顔を床に叩きつけるようなヘマをした俺を、その手で裁いてくれ。



「いやいや! 美代っちはさっきのことなんて気にしていないよ! 覚悟ガンギマリにもほどがあるよ⁉」



「ではどうやったらお前に償える……? どうすれば俺は許される……?」



 弱り果てた俺がそう言うと、美代は「美代っち」の仮面を一瞬だけ脱いで、素顔の美代のままに俺の耳元に唇をそっと寄せて――。





「アタシと復縁したら許してあげる」


「じゃあ許されなくていいや」





 俺の顎に本気のグーパンチが命中した。
















「いたい」


 今、俺は濡れたハンカチで顎を冷やしている真っ最中。

 教室には他に誰もいない。

 俺は「林」から「美代」に呼び方を変える。


「みよ、なんでこんなひどいまねを」


「殺されなかっただけありがたいと思いなさい」


「ふぁい」



 めっちゃあごが痛い。

 でも言わなきゃいけないことがある。

 俺は自分のあごに無理をさせながら話しかける。



「あのさ、美代」


「何よ、殴られ足りないの?」


「言い訳がしたいんだけど」


「殴られる覚悟があるなら、いいわよ」


「お前と別れたのは、俺にとって重い判断だったんだ」



 そう言って、俺は美代の拳を待つ。

 だが美代は俺を殴ってこない。

 綺麗な眼を俺に向けたまま、無言でいる。

 その沈黙を、俺は続きを語る許可だと考えた。



「あの時の俺、お前のことが本当に好きだったよ。別れたくなんてなかった」


「…………」


「それでも別れたっていうのは、俺が本気で色々考えて、決断したからなんだ。俺はあの日の決断を軽んじたくないんだよ。一時のテンションから生じる流れで、あの日の決断を覆したくないんだ。」



 だから復縁なんてしない。できない。

 本気で美代に惚れていた自分があの日にした決断は、それだけ重い。



 俺と毛利家の縁は切れていない。

 親父はああ言っていたが、継母はまだ健在だ。

 継母は何をしてくるか分からない。何かあった時に、顔が割れている美代に被害が及ぶことも考えられる。

 だってあの人は、一度美代を口悪しく攻撃している。

 そして美代を攻撃すれば俺が傷つくことを学習してしまっている。




 だから、ごめん。

 やっぱり一緒になれないんだ。




 してあげられることといえば、せめてダンスのパートナーになることくらい。

 そのダンスですら俺は……俺は……(蘇る記憶)。

 ああああああああ殺してくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。

 



「一時のテンションで『殺してくれ』なんていう奴が、よく言うわね」


「……シテ……コロシテ……」


「勝手に自罰モードになってる奴は殴りづらいっての。ったく……もう……なーんでこんな奴を好きになっちゃったんだろアタシ……」



 美代はため息を吐いて、両手をそっと俺の頬に沿わせる。


 この状態からどんな技に派生させる気なんだろう?

 頭突きかな?



 などと俺が思っていると、美代は俺の顔を見つめてニッと笑う。



「アタシね、於菟とダンスすると、どうも緊張しちゃって上手くいかないの。足運びだってへたっぴになっちゃってさ。だから――」



 美代は言う。



「特訓しようよ」



「特訓?」



「そう。特訓。これから放課後は毎日少しずつ。於菟は帰宅部だから予定もないでしょ? いいよね?」



「予定はある。俺にはどんな汚い手を使ってでも相沢を生徒会長にするという崇高な使命が……」



「それ、アタシの助力が必要でしょ? アタシ友達多いもん」



 うん、美代に手伝ってもらった方がいいな。

 こいつのネットワークがあると大いに相沢の助けになる。

 それに、クラスのみんなの前で盛大にコケてしまった美代が、まだ俺との社交ダンスを諦めないでいてくれることも嬉しかった。

 やはりダンスはしっかりと完成させたい。そんな意地が俺にもある。



 俺が了承を笑みで示す――やろう!



「じゃあ、さっそく今から始めるわよ!」


「おう!」



 俺と美代は二人で協力して机を動かし、スペースを作って。

 そしてお互いにお辞儀をして、手を取り合い、授業で習った基本のステップを踏み始める。




『…………』





 教室の外から俺たちに一瞬だけ向けられていた視線。

 それに気づくことなく練習は続き、教室にステップが奏でる音が響くのだった。

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