第23話 恋の潮目②(美代子視点)

 物事には流れを変える潮目がある。

 その潮目を読んだ者が、最後に勝つ。

 十数年の人生の中で私――林美代子が得た教訓だ。






 その教訓を生徒会選挙にも落とし込み、私は勝利した。

 生徒会の会計には私のほか、数名が立候補。誰もがそれぞれに人望も才能もあり、下馬評はまったくの互角だった。




 選挙に向けて各候補者がそれぞれに選挙活動を行うなか、私は動かず、ただ待っていた。

 が来ていない――そう思っていたからだ。



 転機が訪れたのは、学園と最寄駅を結ぶバスの減便の話が出てきた時だ。

 ――来た、潮目だ。

 待ちの姿勢に徹していた私の、反転攻勢の始まりだ。



 生徒会会計の候補者の一人として、バスの本数を現状維持した場合にかかる費用と減便によって浮く費用を計算した。待ちに徹し、新しい問題にいつでも取り掛かれるよう準備していた私だからこそできた初動だった。



 そして金額が百万円単位という中々のもの――少なくとも高校生の金銭感覚としてはかなりの金額になることを突き止めた。



 そこで私は、選挙活動のなかで訴える――「私はバスの減便について、あえて不便を受け入れて、金額的見地から賛成したいと思います。そしてこの金額について、生徒会長および副会長の候補者がどのように考えているのか、意見を聞いてみたいと思います」



 これで流れは掴んだ。

 この件について、私以上にデータを把握している者は少ない。



 他の会計候補者は自分たちが考える論点……花壇の拡張であったり、校内美化をもっと低コストで達成できる方法であったり……の研究は進めていたが、私が提案した問題は彼らの考える問題とは文字通り桁が違う。

 それは生徒会長・副会長の候補者たちも同じだ。




 つまり生徒会長・副会長の候補者たちは、私の意見に賛成するしかないのだ。




 反対意見を持ち出したら、他の候補者との差別化を図れるかもしれない。

 けれどもその場合、念入りに論理武装した私と討論になる。もちろん私が負けるはずもない。

 万が一そんな命知らずがいたら、討論会の場でボッコボコにしてやる算段だ。



 各候補者たちも、それくらいの頭は回る。

 だから全ての候補者たちが、私に賛同してくれた。



『生徒会長候補として、今回の会計候補者である林さんの意見を支持します』

『全校生徒のためにデータ分析をしてくれた、会計候補者の林さんの姿勢を強く支持します』

『副会長候補としては、ぜひ林さんと一緒に、御息所学園のこれからを作っていきたいと思います』




 各候補者たちの多くが私の意見と、私の会計就任を支持する。

 これで勝敗は決したのだ。



 他の候補者のように、あくせく動くことはない。

 ただ一点――潮目を見つめて、潮目を突く。それが私の戦い方。勝利の方程式。

 恋だって同じだ。














 私は、妹の彼氏に恋をしてしまったことがある。

 ううん、今だって恋をしている。



 妹の彼氏に恋をして、妹に申し訳ないと思ったことはない。

 もちろん妹との交際関係が続いているうちに手を出したらクズだけど、そうならないことは分かっていた。二人の関係は長くは続かないと踏んでいたからだ。



 学生時代の恋愛には、分が悪い潮目が多い。

 うまく彼女の座を射止めたとして、彼女の立場を維持し続けなければならない。

 いうなれば毎日が防衛戦だ。



 将棋の藤井さんですら防衛戦で勝率十割にいかないのに、竜王でもない私たちが、十割の勝率なんて稼げるはずがない。


 そして恋愛において防衛戦に負けるということは、彼女の座を失うということだ。

 案の定、私の妹・美代は防衛に失敗した。彼女の座を失うことになり、今なお彼女の座を取り戻すことはできていない。




 私は、学生時代に誰かと結ばれようとは思っていない。分が悪い。

 だけど誰かと恋仲になるつもりはもちろんある。

 学生時代から着実に育てていく恋の芽。

 それを卒業と同時に収穫する。それが私の戦術だ。




 美代と毛利君が別れたのを知って、私は少しずつ動き出した。

 恋の潮目を探った。そして分かった。


 恋の潮目は、ドイツへの短期留学だと。






 ここ、御息所学園はドイツへの短期留学制度がある。

 1年生と2年生のなかから特に学業に秀で、かつコミュニケーションをとるための語学力に優れている者を選抜して、2か月間ドイツで学ばせるというものだ。


 この場合の語学力とは英語である。

 しかし、仮にドイツ語話者がいたとすれば、文句なしでドイツ語話者が優先されることになる。



 ここに私は、毛利於菟君との恋愛の潮目を見出した。

 二人っきりのドイツ留学。異国の地で助けあう二人は自然と距離を縮める。


 帰国後の学園生活でも、私と彼は「ドイツ留学カップル」として扱われることになるだろう。

 一度、学校公認の存在として認知されてしまえば、たとえ互いに告白しないままの曖昧な関係性であったとしても、周囲からは遠慮が生じるはずだ。

 ドイツ留学組という関係性に勝るカードを持つものなど、そう居るはずがないのだから。




 だから私はドイツ語の勉強をこっそり進めていた。

 毛利君が留学に選ばれるのはほぼ確定だと分かっていたので、2年生の枠を射止めるために。そして彼と一緒に留学し、彼の心を射止めるために。






 だけど。

 私は選考から漏れた。


 そしてドイツで彼は、私とは違う女との関係を作ってしまった。

 それがエリス・ヴァイゲルトさんという留学生。彼を追って日本に来たらしい。

 二人の関係は決定的なものではない。

 けれど国境を越えてなお結ばれようとする彼女は侮れない。



 だから私も多少ムキになってしまった。

 偶然を利用し、割れた皿を二人で片づけるという写真を、先生にお願いしてアップロードしてもらった。

 ヴァイゲルトさんを動揺させ、牽制できるかと考えたからだ。



 試みはおおむね上手くいった。

 妹の美代まで動揺してしまったことは予想外だけど、まぁそれはいい。



 そして今日。

 ヴァイゲルトさんが毛利君を問い詰めた。

 毛利君からの心象をよくするために、私は適度なタイミングで三人の前に姿を現して、毛利君を弁護した。



 そこで私は一つのミスを犯してしまった。

 毛利君とヴァイゲルトさんがドイツ語を使って自分たちだけの空間を作っているのが、癪に触ってしまったのだ。



 毛利君の手前、私がドイツ語話者だとは明かしたくない。

 明かせば、私がドイツ留学に向けて必死だったとバレてしまいそうで嫌だ。

 


 だけどヴァイゲルトさんがドイツ語で毛利君と二人だけの世界を構築しているのを見ると、心にチクリと痛いものが奔る。



 だから私は、そんな痛みを誤魔化すため、小さな悪戯をしかけてしまった。




 ――【ヴァイゲルトさん。安心してください。彼の言っていることは本当ですよ】




 そうドイツ語で呼びかけてみた。

 もちろん、これ以外の言葉は知らないという体でだ。



 一瞬だけでも、二人だけのドイツ語という幻想をぶち壊してみたかったのだ。

 だけどその代償は高くついた。



  ――【それにしても、於菟のお知り合いの女性ってお茶目なのですね。口元によだれの跡をつけたまま、人前に顔を出すなんて】



 そんな彼女のカマかけに、私はまんまと引っかかってしまった。

 毛利君の手前、恥ずかしい姿は見せたくないという、私の心が隙を作ってしまったのだ。そこを相手は正確に攻めてきた。



 毛利君は私のドイツ語の理解について、疑念を抱いただろう。

 それが私たちの関係性にどんな影響を及ぼすのかは未知数。

 だけど、プラスの方向性に働かないはずだ。












「くっ…………!」



 私は席に戻って、ふわふわとした普段の雰囲気を消して、歯噛みする。

 まんまとドイツ人留学生にしてやられた。己の不甲斐なさが腹立たしい。




 いや、違う。



 私は自分を誤魔化している。



 私がしてやられたのは、決してヴァイゲルトさんにではない。

 本当はもっと前に、別人に負けているのだ。

 その負けを認めるのが悔しくて、私はヴァイゲルトさんに怒りを転嫁したのだ。




 毛利君との恋の潮目。

 それがドイツへの短気留学であるという私の読みは、正しいはず。




 私が間違ったのは、彼への警戒を怠ったこと。

 彼とは、毛利君の知り合いである相沢謙吉だ。

 私は彼に敗北したことを、今なお引きずっているのだ。











『今期の留学生選抜は、例年とは異なり、冬に一年生を二名派遣する。留学者は毛利於菟と相沢謙吉とする』



 学園の発表で、私は青ざめた。

 毛利君の陰に隠れて腕を磨いていた彼に気付けなかったのだ。

 私が射止めようとしていた留学生の座は、彼に奪われてしまった。



 生徒会の顧問に話を聞いてみると、今回の決定にあたっては3つのポイントがあったらしい。



・二人が全国模試で1位と2位となったこと。

・二人ともドイツ語話者であること。

・二人が普段から親友であり、二人でよく勉強していることから、異国の地においても連携して学業に励むことが期待できること。



 だそうだ。

 なるほど。選ぶ側の着目点としては理解できる。



 唯一引っかかる点としては、二人が親友であるという点。



 ――本当にそうなの?



 そこに疑問があった。

 というのも、毛利君の癖を私は見抜いていたからだ。



 毛利君はリラックスしている時、足を組む癖がある。



 だけど私が知る限り、

 だから私は、毛利君の情報を集めていた時に、相沢君をマークから外してしまったのだ。

 たまたま一緒にいる時間が多いだけの関係であり、互いに気を許す仲ではないのだと考えてしまった。



「…………」



 考えても分からない。

 あの二人は、一体どういう関係なのだろう。

 親友……はた目から見ればそう見える。

 それならばどうして、毛利君は相沢に心を開いていないのか。






 ひとつ、はっきりしていることがある。

 私の恋路に、相沢謙吉が邪魔だということだ。

 これ以上、私の「潮目」を邪魔するのであれば、彼を排除しなければいけなくなる。


 私は、毛利君との恋を成就させるためなら、この手を血で染めることを厭わない。

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