第12話 初恋と踊り子②

 朝、誰もいない図書室にて。


「で、どういうつもりなんだよお前」

「それは美代っちのセリフですぅ~♪」


 甘えたようにおどけてみせる美代。


「そのふざけたキャラやめろ」

「……じゃあ、前みたいな感じにする?」



 眼前の美代は、男子受けするような快活な笑顔を消した。

 鋭い目線が俺を貫いてくる。俺の胸の内を暴こうとする、強い瞳。



「於菟さぁ、ちょっと説明してくんない? あのドイツの美人さん……ヴァイゲルトさんと一体どんな仲なの?」

「それを語るには、まずこの銀河の成り立ちから説明することになる」

「チョキでいくよ? チョキで」

「グーですらないのかよ」



 俺が話を混ぜ返そうとすれば、美代の右手が命を抉る形を作った。

 ゲンコツとはまた違った威圧感が、俺の口を開かせる。



「ドイツの短期留学で知り合ったんだよ。で、俺が予想もつかない形で来日してきたってわけだ」

「それ本当? 於菟が持ち帰ってきたんじゃないの?」

「あれを持ち帰る? 税関で止められるだろ」

「とことん彼女のことではシラを切る気なのね。いいわ。於菟、目を瞑って歯を食いしばりなさい」



 あまりエリスのことを語りたくない俺と、何やら絶対に口を開かせようとしてくる美代。

 俺たちの相性がいいはずもなく、事態は血を見るような場面に以降。



 美代がチョキを俺の目につきだしてくる。

 咄嗟に俺が目を瞑った、次の瞬間だった。




 ちゅっ。




 唇にやわらかな感触。



 えっ、と。

 何があったのかを俺が悟った時には、目の前には美代の満足げな顔があった。



「お、おい、てめぇ……」

「ふふ、なんか安心しちゃった」



 美代はニヤリとしている。



「その反応、明らかに女慣れしてない感じだもんね。ヴァイゲルトさんとはまだまだってとこかな?」

「…………」



 畜生、美代にいいように試されてしまったようだ。

 男としての軽重を問われたようであり、少しだけ俺もムッときている。

 キスされてしまった照れ隠しも込めて、反撃する。



「そういうお前は随分と男慣れしたんだな。いきなりキスだなんて」



 途端、俺の腹部に美代のグーが着弾。



「見損なわないでくれる? アタシにとっての男ってのは、今も昔も於菟だけなんだけど? 於菟だからキスしたんだけど?」



 むくれたような美代の前で、俺は体をくの字に折り曲げている。

 痛ってぇ……割とマジで殴りやがったぞこいつ。



「やっぱ喧嘩っぱやいよなお前……」

「しおらしくしてほしかったの?」

「それは林のキャラじゃないだろ」

「美代って呼んでよ。他に誰もいないんだし」

「他に誰もいないからって、もう名で呼び合う関係性でもねぇよ」

「じゃあヴァイゲルトさんとは名で呼び合う深い関係性ってこと?」



 ゾッ、と。

 いっきにプレッシャーが増す。



「黙っちゃ分かんないんだけど、於菟? やっぱりあの子との関係を吐いてくれなきゃ、アタシも収まりどころってもんが見えないんだけど?」

「弁護士を呼んでくれ。これは不当な調査だ」

「呼んだところで、死体の数が増えるだけよ」

「お前のなかでは俺を殺す流れなのかよ」

「安心しなさい。於菟を殺した後、しっかりアタシも後を追ってあげるわ」


 魔王染みた笑顔を浮かべ、冗談めかせたようにそう言って。

 突如として彼女は真顔を作る。


「……もう一人にはさせないから」

「美代……」


 彼女の辛そうな表情が、俺の呼び方を在りし日のものに戻した。



「分かってるわよ。於菟がアタシを振った理由も。あのオンナのことが原因でしょ?」

「あの人は、俺の近くにいる奴を全て攻撃してくる。一緒にいれば、お前も巻き添えになる可能性があった。いや、あの時点ですでに、もうお前は巻き込まれていたんだけどな」

「だから於菟は一人になった。誰も傷つけないようにって。でも、もうアタシだって無力じゃないわ」

「俺と一緒にいても、お前は幸せになれない」



 はぁ、と。

 美代が苦笑いのような表情を浮かべる。



「アタシを見くびってる? 於菟に幸せにしてもらおうなんて、ハナから思ってないんだよね」

「あ?」

「アタシはアタシで勝手に幸せになれる。世間の女がどーかは知らないけど、少なくともアタシの幸せってのは、付き合う男に依存しないものなの。於菟が私を幸せにしようが、しまいが、どーでもいい」



 彼女は俺に真摯な眼差しを向け来る。



「ただ、於菟と一緒なら、どんな不幸でも受け入れられる――アタシはそう思っていた。ううん、今でもそう思っている」

「そんな優しいお前を俺から奪ってやろうと、あの人はお前を攻撃したんだ」

「於菟と一緒にいられる時間のことを思えば、あんな罵倒なんて大したことじゃなかったんだよ。でも、於菟にとってはそうじゃなかったんだよね」



 俺と美代は、苦い経験を共有する仲だ。

 美代との交際が始まったのは中学2年。

 夏休みと共に交際が始まり、夏休みの終わりに交際が終わった。



 美代との交際を継母に知られたことは、俺の不覚だった。

 初めての彼女ができたことでつい舞い上がってしまい、その油断から気取られた。



 美代と俺のデートの場に、継母が現れたのだ。

 そしてあらん限りの語彙を使って、美代の心を傷つけた。



 その一件があって、俺は美代との別れを決めた。

 なんのことはない。

 俺は逃げたのだ。



 美代を守るという責務から逃げた。

 そして、俺の家族がいかに狂っているかを、美代に見られてしまった。

 二つの恥が俺の両肩に乗っかって、当時の俺はそれに耐えられなかった。



 ――別れよう、

 一方的な別れ言葉で、俺は彼女との関係を解消した。



 いや、したつもりだったのだ。












「……於菟、やっぱりアタシにしておきなって」




 回想に浸る俺の意識を、ふと美代の放つ言葉が現実に引き戻す。




「え?」

「アタシにしておきなって。アタシなら、於菟の家族がどんなのかを知ってるし」

「いや、それは……」

「他の人に言える? ヴァイゲルトさんに言えるの? 『うちの家族は機能不全状態です』って。身内の恥、晒せる?」

「…………っ」

「その点、アタシはもう覚悟はできてるよ。於菟の家族のことも織り込み済みで、於菟の傍にいられる。アタシはお買い得だよ」




 俺は何かを言おうとした。

 その前に、美代がまた先手を打つ。



「それとも、於菟に惚れてつらい想いをする女をこれ以上増やす気?」

「!」

「アタシで最後にしておきなよ、於菟。もうこれ以上は業を重ねちゃだめだよ?」



 湿っぽい笑いを浮かべた美代。

 彼女は涙を拭うように目を覆って、クラスメイト達がよく知るいつもの快活な表情に戻る。



「ってなわけで! 美代っちからのサプライズメッセージでした! どっきりしてくれたかなぁ? したよね? したでしょ? したと思うよ、毛利君は! じゃあ返事はスマホにシクヨロ!」



 その場を軽やかに去っていく美代。

 その背中には、さっきまでの湿っぽいムードは欠片も残っていない。



 ――強かになったな。



 俺は心底そう思った。

 俺に慕情を伝える素直な攻めと、「業を増やすな」と俺の良心を詰るような搦手の責め。


 この二つを使いこなし、俺の選択肢を狭めてくる。

 相当に強かだ。俺と一緒にいた時間で積んでしまった苦い経験が、彼女をここまで強かにさせてしまったんだ。



「……業が深い、か」




 反論の言葉なんて、脳内をどう探しても出てこない。

 俺という存在そのものを指摘した彼女の一言に、俺は肩を落とすしかなかった。

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