第13話 初恋と踊り子③(美代視点)
パキッ。
私のシャーペンの芯がご臨終。
享年5分だった。
「…………」
カチカチカチ。
尻を叩いて芯を出し、シャーペンを叱咤激励する。
しっかりしなさい、シャーペン君。
その3分後。
パキッ。
「………………」
シャーペンの芯がまたもやご臨終。
分かっている。シャーペンの芯の根性の問題じゃない。
これはアタシのせいだ。
アタシの筆圧が強いせいだ。
そしてアタシの筆圧を強めている――というより、アタシの全身に力を入れさせている要因がいる。
それこそが問題。
外的要因なので、アタシの分の過失割合はディスカウントされていいと思う。
【あqdgつじおあqgちぃこlp】
【くぁwせdrftgyふじこlp】
教室の一角に目を飛ばす。
アタシの視線の先に、異国の言語で語らう二人がいる。
ドイツから来たという留学生のヴァイゲルトさん。
そして於菟。私の元カレ。
いや、私はまだ彼氏の頭に「元」をつけることに納得も同意もしていない。
あの二人はドイツ語で結ばれている。ドイツ語で、自分たちの空間に入り込んでいる。そこにはアタシがつけ入る隙は無い。その事実を認識すると、アタシの手には力が籠る。
二人がどんな会話をしているのか、アタシにはさっぱり分からない。
それでもあの二人が妙にいい雰囲気なのは分かる。
於菟は時折我に返ったようにヴァイゲルトさんから距離を置こうとするけれど、アタシの目は見逃さない。
――於菟、あんたはリラックスしている時、足を組む癖があるの。
――アタシの前ではよく足を組んでいたわよね?
ちらりと於菟を盗み見て、彼の足が組まれているのを確認し、アタシの胸の中には黒くてモヤモヤしたものが積み重なる。
於菟が足を組む女は、彼の妹である鞠ちゃん以外は、アタシだけだと思っていた。
3年前、アタシは於菟の特別な存在になれた。
でも於菟は、アタシたちの関係をひと夏の思い出にしてしまった。
その判断の裏に彼の優しさがあることは分かっている。
彼があの時の決断を今もなお引きずっていることも分かる。
彼がアタシを慮ってくれていることの証左だろう。
だけど、その優しさがアタシには辛い。
彼はアタシを慮るあまり、アタシの前では緊張して、足を組んでくれなくなった。
人は言葉で嘘を吐ける。
十数年生きていれば、そんなことは嫌って程に分かる。
だからアタシは於菟の足を組む仕草が好きだった。
言葉とは違って、そこには本当の感情が表れているから。
於菟がアタシのことを受け入れているという、何よりの証になるから。
その仕草をもう向けてもらえない。
そればかりか、他の女にあの仕草を向けている。
アタシだけの仕草で会ったはずのあれが。
特別な仕草だったはずのあれが。
アタシが全く知らない、ドイツから来た留学生に向けられている。
「ヤだな」
ポツリと。
授業中だというのに、小さく本音が漏れてしまった。
ねぇ於菟。アタシ、まだ諦めていないんだけど。
於菟があれ以来ずっと彼女を作らなかったのって、つまり「そういうこと」だと思っていたんだけど。
アタシは、於菟の心の中の整理がつけば、あの夏の続きができると信じていた。
一緒に海に行こうって約束も、まだアタシのなかでは有効だ。いつ行こうという期限は定められていなかったはず。
少なくともアタシはそんな気でいたし、於菟も一緒だと思っていた。
どこかでやり直せる。そう信じていた。
それなのに。
於菟のとなりに、アタシじゃない別の女がいる。
それも授業中だっていうのに、於菟と語らう権利を有して、当然のように行使している。信じられない外交特権だ。
……あっ、於菟がまた足を組んだ。
悔しい。
ヴァイゲルトさんに嫉妬している自分が、たまらなく悔しい。
「おーい、林さーん」
数学教師の間延びした呼びかけで、我に返った。
「さっきから留学生さんの方を見てぼーっとしてるけど、どーしたの?」
不幸中の幸いと言うべきだろうか。
於菟の方に向けていた視線を、留学生に向けていたと思われているらしい。
アタシはすぐに道化の仮面を被る。
ニコニコ笑顔でリアクション芸の達人である、美代っちの仮面を。
大仰な仕草と笑顔で、心の内にある暗くて淋しい自分を隠すための仮面を。
「せんせーっ! 美代っちはちょっと気づいちゃったんですけど!」
「んー?」
「ヴァイゲルトさんの通訳をしている毛利君! 先生の説明以上に、毛利君がドイツ語を喋っている時間が長いような気がします! もしかして毛利君、先生の会話を翻訳するっていう建前で、実際は独自外交を展開しているのでは? ヴァイゲルトさんと日独親善を図ろうとしているのでは⁉ きゃーっ、毛利くんったら大胆♡」
「そーなの、毛利くーん?」
数学教師が於菟に問う。
アタシの揺さぶりに対して、於菟はまず先生に向かって「俺は模試で全国一位の男ですよ?」と返した。
すると先生は「そうだよねー。全国一位が、真面目に授業をうけないはずがないもんねー」と何やら納得している。
流石は「全国一位」の肩書だ。雑に強い。
有無を言わさぬ力がある。
その雑な強さで数学教師の疑惑の目を逸らした於菟は、今度はアタシの方を見た。
「…………」
その時の於菟の顔に、アタシの心は騒めいた。
於菟の目は泳いでいた。
顔だって気まずそうだった。
余計なことを言わないでくれ、という表情だった。
今の自分の環境に後ろめたさを覚えている目。あれはそんな目だ。
――なに、なんなの於菟?
――於菟ったら、本当にヴァイゲルトさんを口説こうとしていたの?
パキッ。
シャーペンの芯がまた逝った。
アタシの手に怒りがこもり、芯が死んでしまった。
「……っざっけんじゃないわよ」
アタシの口から大きな感情が、小さな声になって出てくる。
於菟、あんたってばまた女を不幸にする気?
そんなことはさせないわ。
アタシがあなたの初めてで最後。それでいいでしょう?
納得しないのなら――力づくでも納得してもらうけれど?
3年前のまま固まって、前に進めない私の心。
それと対照的に、授業は黙々と進んでいく。
アタシの一言が刺さったのか、於菟はその日は足を組んでいなかった。
それに小さな、そして残忍な喜びを覚えたアタシだったけれど、数日経って於菟がまた足を組み始めたのを見て、アタシは強く思った。
於菟に釘を刺さなければ。
アタシ以外の選択肢は存在しないし、仮にあっても選ばない方がいいって。
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