第6話 あなたを絶対に逃がさない
3月の終わり、休日のことだった。
桜の花びらが風に翻弄されていくのを見ながら、俺は勉強の息抜きに近所の散歩をしていた。
――ドイツでの散歩は、風が冷たかったな。
散歩をしていると、ふとドイツの情景を思い出す。
寒風吹き付けるドイツの散歩を温かく思えたのは、隣にエリスがいたから。
――ハハ、俺ってやつは未練がましい。
エリスをまだ引きずっている自分を嗤う。
そのまま何の気なしに散歩を続け、ふと学校の前に足が向かった。
一本道の向こうに人影を見る。
紺を基調に、藍のラインを襟袖に流した制服。
あれは俺が通う御息所学園の制服だ。今日は休日だというのに、制服で校門の前に立つ子がいる。
ああ、新入生かな?
そう思った。
目前にせまる入学式を待ちきれずに、制服姿で休日の学校に立つ子はいるのだ。
あるいは、制服姿をSNSに投稿したいと願う子。
平日だとどうしても生徒の往来があって狙った画にならないので、休日で人通りの乏しい時を狙って撮影するパターンが多い。
あの子もそんな感じだろうか。
そう俺は思って、歩みを進める。
制服を着た人影との距離が縮まって――
そこで。
俺は。
立ち尽くすのだ。
PiPiPi!
ポケットのなかでスマホが着信を告げる。
俺は眼前の光景に意識を奪われたまま、ポケットのなかに手を突っ込んで、着信に応じる。目は眼前に向けたままだ。
『もしもし、於菟』
謙吉の声が、どこか現実感を欠いた状態で、俺の耳に響く。
『早速だけど、いいニュースと悪いニュースがあるんだ』
「……そのニュースってやつは2つじゃなくて、多分1つだけだろう?」
『正解……だけど……なんで分かったの?』
「ちょうど目の前で、答え合わせをされたんでね」
『……まさか』
「切るぞ」
何かを言おうとしていた謙吉との通話を切り、全意識を目の前の人影に向ける。
その人影は、俺に気付いていた。そして通話中の俺に向かって、歩み寄って。
今、俺はその人物の間合いにいる。
ドイツではつけていなかった香水をつけている彼女。
その香りが満ちる、間合いに。
【オト、私、来ちゃいました……うふふっ】
エリス・ヴァイゲルト。
ドイツで分かれたはずの踊り子が、なぜか俺の眼前にいる。
それも、俺の通う学園の制服を着た状態で。
それが何を意味するのか、俺には理解できてしまう。
だが、理解はできても納得には至らない。
どうして彼女が日本に来れる?
どうして彼女が俺の学園に通える?
疑問が頭を渦巻き、戸惑う。
そんな俺の反応を楽しむように、彼女の綺麗な瞳が俺を見据える。
優しい色づきの唇が、俺に向けて動かされた。
【
甘い声音で告げられた内容に、背筋がぞわりとする。
謙吉の言うところの「いいニュースと悪いニュース」。
その正体こそ眼前の光景。エリスの来日という、一つきりの事象。
彼女との再会は、俺の日常に祝福と呪いをもたらす。
その両面性を知る謙吉からの、中々に皮肉が利いた電話。
制服姿での
さぁっと風が強く吹く。
桜吹雪が舞う中で、俺とエリスはしばらく対峙するのであった。
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