第7話 シンデレラ

【今日はここで帰りますね】


 俺の顔を見て満足したのか、彼女はニコリとほほ笑んだ。


 彼女の発言の気楽そうな物言いに、「帰る」先がドイツでないことを察する。

 おそらくこの近くに彼女の生活の拠点ができたということだ。



 俺の頭を炙るのは、強烈な違和。

 エリスが俺との距離を無理に縮めようとしないのだ。


 彼女が恋に狂っているのは、さっきの告白に漂う「凄み」で分かった。

 そんな彼女なのに、態度に余裕感すら漂っている。



 ――何だ? 何がエリスをここまで余裕にさせている?


 

 日本語を満足に使いこなせない彼女が。

 ダンスのレッスン代すらも工面できなかったはずの彼女が。

 なぜか俺の学校に通うことになっているという現実。




 謎は尽きないが、一つだけ確かなことがある。

 今の彼女は、ドイツにいた時の、ただ泣くしかできない無力な乙女ではない。


 俺を日本の地で狩るべく準備を重ねた、狩人なのだ。














 その日の夜。

 俺は謙吉と待ち合わせをして、学園の近くにある喫茶店『餓狼ガロ』に入った。


 学生街の喫茶店ということで、食べ盛りの男子に向けたメニューが充実している。

 俺と謙吉は、この店の看板メニューである角煮丼を注文。


 お値段的には少し張るが、これを注文することで、店に2時間程度なら居座っても問題ないという不文律がある。

 回転率重視の喫茶店にしては、なかなか気前がいいサービス。

 大いに利用させてもらおう。







「で、謙吉。どうやってお前はエリスの来日を知ったんだ?」


 出された角煮丼を速攻で平らげて、空になった丼をテーブルの脇に置いて。

 俺が尋ねれば、向かい合う謙吉が周囲を見回し、会話を聞かれる可能性がないことを確認してからスマホを取り出す。


「まず、これを見てよ」


 渡されたスマホの画面には、Youtubeの画面。

 再生されている動画はドキュメンタリー番組だろうか。

 動画のタイトルを見ると――『ヴィクトリアの裏庭』とあるが?


「彼女が参加していたテレビの企画『ヴィクトリア』――その裏側を描いたドキュメンタリーだよ」

「ああ、紅白歌合戦でも似たような番組作るもんな」

「で、これがその番組なんだけど、17分くらいのところから再生してくれる?」


 俺が指で目当ての時間まで飛ばすと、スマホに透き通った美貌の持ち主が映る。


「エリス?」

「そう、彼女がこの番組で取り上げられていたんだよ。しかも――」


 番組では、ふやけてボロボロになったチケットをスタッフに差し出すエリスの姿が映し出されている。


【エリス・ヴァイゲルトのボロボロになったチケットに隠された物語。我々は独自の取材網から、その真実を明らかにした――】


 そんなドイツ語のテロップが入り、画面が変わる。

 そこに映し出されていたのは、ドイツの街並み。そして川。

 撮影者から見て川を挟んだ向こう岸で、三人の人影が走っている。


「……おい、これって」

「僕たちだよ。どうやら川の向こうでたまたま通りがかった人が、僕たちのチェイスをスマホで撮影したらしいんだ」


 映像に映し出される場面は、俺が鞄を追って飛び込むシーンに入る。

 そして謙吉の誘導により川から上がるシーンに続く。


【彼女のボロボロのチケットには、異国から訪れたヒーローの物語が隠されている。彼女は名も告げぬヒーローの献身に報いるため、本調子でない体を押して舞台に立った。だが、ヴィクトリアの門は彼女の事情を解さぬ厳格なもの。彼女は次のステージへの扉を開くことができず、ここでリタイアした……】


 エリスのシーンはここで終わり。

 番組は次の登場人物に焦点を当てたので、俺は動画を止めた。






「……ふむ」


 俺は頷く。


「確かに、テレビでエリスが取り上げられてたっていうのは分かった。ついでに、俺たちがテレビに映っちまってるってのも承知した。だが、これだけだと今の状況には繋がらないだろ?」

「もう一つ、別のサイトを見てほしい」


 俺がスマホを謙吉に返すと、謙吉はスマホを操作し、新しい画面を見せてくる。

 それを見て、顔を顰める。


「クラウドファンディング?」

「そうだよ。どうやら彼女が立ち上げたものらしいんだ。『私を助けてくれたヒーローに恩返しするため日本に行きます。支援してください』って」

「多少テレビに出たからって、そう簡単に金が集まるわけが……」


 そして俺は、表示されている数字をみて絶句する。


「20000⁉ あいつ、クラウドファンディングで20000ユーロも集めたのか⁉」


 今のレートだと300万円以上だ。

 なるほど。これなら来日した上で、しばらく滞在することもできるだろう。

 俺が驚いていると、謙吉が気の毒そうな目を向けてくる。


「於菟、間違っているよ」

「何が?」

「20000は金額じゃない。だ」


 さぁっと。

 俺の血の気が退いた。


「20000人のドイツ人がエリスの計画に資産を投じたんだ。もう一度、冷静に、画面を見て」


 俺は、促されるままに画面を見る。

 そして息を呑むのだ。


「桁が……違う……っ‼」

「ああ。彼女と君を結びつけるために、数千万円規模の金が動いている」

「ドイツ人ってバカなのか⁉」

「於菟、その画面をスクロールしてよ。何度も言うけれど、冷静にね」


 促されるままにスクロールして。

 俺はさっきよりも強い衝撃に襲われる。


 サイトには、俺のプロフィールが載っていたのだ。




『オト・モウリ』

『毛利製薬社長のリンタロウ・モウリの長男』




 ネットに公開された情報は、俺が絶対に表にしたくないものだった。

 あのエリスにさえ、この情報は明かしていない。

 俺が超巨大企業の御曹司であることを知るのは親友である謙吉くらいだが、謙吉がこの情報をエリスに流したとも思えない。


「僕たちは、恋する乙女の情報収集能力を少々甘く見てしまっていた」


 動揺でワナワナと震える俺に対して、謙吉が腕組みをしながら言う。


「彼女は君に逢いたい一心で、君のことを探ったんだろう。そして君が秘していた情報――君が世界的大企業の御曹司であることに行き着いた」


 謙吉の語りは続く。


「彼女はレッスン料すら払えぬ貧乏人。そんな彼女を世界的大企業の御曹司である君が見染めて、冬の川に飛び込んでまで助けた。圧倒的身分差の恋ってやつだね」

「おい、俺が川に飛び込んだ時、エリスとの関係性はそんなんじゃ――」

「君がどう言おうが、エリスは身分差の恋を演出してるし、その演出に乗ったドイツ人が20000人ほどエリスの計画を後押ししている。彼女が余裕なのは、君に対して持久戦を行う軍資金が確保できているからだ」




 俺は頭を抱える。

 ドイツ人は厳格――そう評されることが多い一方で、メルヘン好きな一面もある。

 なんていったって、ドイツはグリム童話発祥の地だ。



 ドイツはシンデレラの物語を幼いころから読み聞かせられることが多い。

 程度の違いはあれど、ドイツ人は基本的にシンデレラが好きだ。



 そのドイツ人たちが、俺とエリスの関係に「シンデレラ」を見出したなら。

 多くのドイツ人がエリスの恋を支援したのは、俺の中でも説明がつく。





 ふと、クラウドファンディングのページの一文が目に留まった。

 企画に参加したうちの、ある人物の書き込みだ。


 20ユーロを寄付したというこの人物は、エリスに向けてサイトにメッセージを残していた。



 ――日本に行ってらっしゃい、私たちのシンデレラ!



 それを見た俺は呻きをひとつ漏らして、呟く。


「シンデレラ、か。あまり聞きたくない言葉だ」


 ドイツ人にとっては膾炙した物語であっても、俺にとっては忌まわしい物語。


 俺の胸の柔らかい場所を、過去の記憶がひっかく気配がした。

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