3 自分のケツは自分で拭きたい


「お嬢様!」


「ノーラ……」


 私がまだ便座に座っていなくて安心したのだろう。

 ノーラは息を吐いて、そっと笑みを浮かべた。

 そしてじりじりと距離を詰めてくる。


「さあ、お嬢様、お部屋に戻りましょう」


「やだ! ここでする!」


「どうかお聞き分けください。お嬢様に万が一のことがあってはいけません」


 私は必死に考えた。

 ノーラの言うとおり、ここの便座でうんこをするのは危険だ。

 かと言って部屋でおまるに跨ってうんこをしたくもない。


「そうだ! ここにおまるを持ってきて!」


 妙案だった。

 少なくともトイレという空間でうんこができるし、おまるであれば落ちる心配もいらない。

 部屋も臭くならないし、ノーラたちにしても結局はおまるの中の排泄物を外に捨てにいかなければならないのだから手間が省ける。

 Win-Winだ。

 私、大勝利である。


「おまるを持ってくれば、そこで致してくださるんですね?」


「うん!」


 私は頷く。

 というより早くおまるを持ってきていただきたい。

 うんこは引っ込んだが、便意は引っ込んじゃいないのだ。


「レオニー、ナザ、お嬢様の部屋からおまるを持ってきなさい」


 この異世界の中世と言いたくなるような文化レベルの国にはプラスチックと言った便利素材は存在しないから、おまるとは言っても木を削って作られたもので結構な重量がありそうだ。


 侍女は二人がかりでおまるを抱えてトイレにやってきた。

 そしてトイレの中におまるを設置する。


「さあ、お嬢様、言われたとおりにしましたよ。さあ、うんちしましょうね」


「ひとりでできるからみんな出てって!」


「駄目です。お嬢様。急にどうされたのですか?」


「だって恥ずかしいもん……」


 うんこをするところを見られるのは恥ずかしいという当たり前のことをわざわざ伝えなくてはならないことに不条理を感じる。


「誰でもすることですよ。恥ずかしいなんてことはありません」


 そしてこの世界は不条理だった。

 そう、排泄は別に恥ずかしいことではないのだ。

 お父様にしてもお母様にしても、人前でも平気で排泄する。


 さすがに身分の低い者が、目上の者の前で排泄するのは失礼に当たるようで、ノーラやレオニーと言った乳母や侍女が私の目につくところで排泄していた記憶はない。

 だがそれは恥ずかしいからではなく、失礼だからだ。

 彼女たちの前で私がうんこすることは別に失礼に当たらない。


 逃げ場は無かった。


 私はおまるに跨った。

 27歳の自尊心は死んだ。


 心の中ではさめざめと涙が、私のおしりからはうんこが出ていった。

 健康そのものの一本糞は日本人であった頃では考えられなかったことだ。

 ぎゅっとお腹に力を入れて絞り出したところでお腹はすっきりし、便意も消えた。


 そして自然とトイレットペーパーを探して目線を動かして、私はとんでもないことを思い出した。

 この世界にはトイレットペーパーが無いのだ。


 それどころか、これまで私は自分でお尻を拭いたことがない。

 すべてはノーラがやってくれていた。

 だから私がすっきりした顔をしたことに気付いたノーラは私のところにやってくる。


「ノーラ、待って、私自分で――」


 自分でどうするのか?


 ノーラはどうやって私のお尻を拭いていた?


 お尻をぬぐうその柔らかい感触は人肌ほどに暖かく、私のお尻を吹き終えたノーラはいつも水桶で手を洗っていた。


 って、手で拭くのか! インドかよ!(偏見)


 死んだと思った自尊心(27)にはまだ息があった。

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