第4話:出会いたくない人と出会ってしまった
「──ほぉ、なぜそう思った?」
やにわに背後から低く響く声が聞こえて、慌てて振りかえる。そうして目に入った一人の男の姿に一瞬で身体が凍りついた。
そして同時に絶望した。
「げ……」
すべてを見透かされそうな思慮深い瞳に、頬骨が高く鼻筋の通った精悍な顔立ち。アッシュブラウンの髪はきっちりと整髪料でなでつけてあって清潔感を抱かせる。服装はテイルコートにシャツ、ベスト。そして足の形にぴったりと合ったスマート。ネクタイはしておらず、首元のボタンをあけて少し着崩しているところが扇情的で、衣服越しでも鍛えられているのがよくわかる高身長の体躯は男から見ても格好よかった。
一目見ただけで伝わってくるカリスマ性。神からギフトを与えられたかのような完璧な男。
王国法廷院主席判事・エイドルース=フォンダム。御年三十二歳。
「うそだ……」
まさかそんな、とリルゼムは両目をかっ開いたまま立ち尽くす。
なぜ、この男がこんなところにいるのだ。
なぜ、声をかけてきたのだ。
こちらが零した呟きは囁くぐらい小さかったはずなのに、まさかそれを聞き取ったとでもいうのか。
が、今はそんなことで驚いている場合ではなかった。この男はこの世界で平穏で暮らすうえで、絶対に関わってはいけない人間。下手に近づけば非業の死が一気に迫ってくる、リルゼムにとっては死神と同義だ。
「君はなぜあの女性が犯人じゃないと思ったんだ?」
「……あれ? オレ、何か言いました?」
ハハッと笑いながら一歩後ろに下がり、エイドルースと距離を取った。
「……そうくるか」
「はい?」
そうくるかとは、どうくるのでしょう。あと、その『今、よからぬことを考えてます』って顔やめてくれないかな。なんて危機感を抱いている最中に、突然腕を掴まれる。
「ちょっと来てくれるかな」
「えっ、うわっ、何だよっ」
エイドルースはリルゼムを引っ張りながら中庭に集まった法院職員や街人たちの間をぐんぐんと進み、騒動の中心である容疑者がいる場所へと飛び出た。
「エ、エイドルース主席判事! どうして貴方様がこちらへ?」
いきなり出てきたエイドルースに仰天した職員たちの視線が、一気に注ぐ。
「何やら騒がしかったからね。先日の事件の容疑者が連行されたと聞いたが?」
「はい。この女が夫を殺害したとのことで、被害者の友人らが連れてきたそうなのですが……」
エイドルースに問われた職員が経緯を説明しながら女性のほうを見遣る。するとこちらの視線に気づいた華奢な女性が、顔中を涙で濡らしながら叫ぶように無実を訴えはじめた。
「違います! 私はあの人を殺したりなんかしていません! 本当です!」
「嘘つくんじゃねぇ! あの日、ワルドと一緒にいたのはお前だけだし、お前が外に女を作ったワルドを責め立ててる姿だって目撃されてるんだぞ!」
ワルドというのがメッタ刺しで殺された男の名前らしい。そしてこの女性がワルドの妻で、彼女を威嚇しながら責めているのが被害者の友人か。二人の会話でリルゼムは口論する二人の関係を読み取る。
「喧嘩をすることもありますが、責め立ててなんてしていません! それに主人は不貞なんてしてません! 息子のことを大切にする、家族思いのいい人です」
声が割れるほど強く主張する女性の姿は、真に迫っていた。どうやっても夫殺しなど認めないと言わんばかりだが、彼女がここまで鬼気迫るのも当然の話である。もしこのまま夫殺害の犯人として確定すれば、彼女は死罪になるからだ。目には目を、死には死を。それがこの世界の法律なのである。
──冤罪で殺されるなんて、真っ平ごめんだよな。
もしこの世界に現代日本のような科学技術があれば、被害者の遺体や現場に残されたDNAやルミノール反応、証拠品鑑定などで犯人など一発で確定できるのだが、ここでは無理だろう。ではどうするべきか。考えていると、不意に背中に何かが触れた。
それはエイドルースの大きな掌だった。
「なるほど、貴女はご主人を殺害していないと。……ふむ、奇遇ですね。実はここにいる彼も、貴女は犯人ではないと言っているんです」
やや芝居がかったというか、なんともわざとらしい口調のエイドルースの手で強く背を押され、リルゼムは転びそうになりながら前に出る。
「うわっ…………って、え?」
なんとか踏ん張って惨めな地面とのキスを免れたリルゼムだったが、体勢を立て直した時には広間のど真ん中にいて衆人の注目を一身に浴びていた。
「本当ですかっ、お役人様っ!」
ワルドの妻がすぐさま神様でも見つけたみたいに、リルゼムの足に縋りついてくる。
「わっ、ちょっ、ちょっと離れて下さい」
「お役人様! 本当に私は主人を殺したりなんかしてないんです! 信じて下さいっ」
「いや、だから離して……」
人の話を聞かないタイプなのか、それほどまでに追い詰められているのか、ワルドの妻はすっぽんの化身のようにリルゼムの右足を抱き締めたまま微動だにしない。傍から見たら完全に異常な光景だ。
しかも突然出てきて犯人は違うなんて言った人間なんて怪しい以外の何物でもないのか、この場にいるほぼ全員から訝しげな視線を向けられている。
「なんでこんなことに……」
極力目立たず生きていきたかったのに。苛立ちと恨めしさを綯い交ぜにしながらエイドルースを睨みつけると、少し離れた場所にいる諸悪の根源は両肩を竦めて頑張れと笑うだけだった。
──なんだよアイツ、めっちゃ性格悪っ!
ワニ大発生中の池に人を突き落として笑うなんて、最低最悪でしかない。ダークとはいえ一応はヒーローで、作中では格好いい姿ばかり見せてたくせにこんなに性悪だったとは。これはあれか、漫画は客観的視点だから感動できるけど、実際目の前にすると印象がまったく変わるっていうトリック的な何かか。
「おい、それで? この女が犯人じゃないっていうなら、早く証拠を示せよ。俺は
エイドルースをじっとりと睨んでいたら、痺れを切らしたらしいワルドの友人に凄まれた。殺されたワルドのためにも一刻も早く犯人を見つけたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。それはそれはもう痛いぐらいに。
これはどうも逃げられそうになさそうだ。しょうがない、目立ちたくないけどこの場をどうにかするためにはやるしかないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます