第3話:事件発生
さて、まず現状を軽く整理しよう。
自分は事故で命を落とし、【闇粛】のモブキャラ・リルゼムに転生した。しかし中身は生前の自分のままで本物のリルゼムの記憶はほぼない。あるのは漫画で読んだ情報のみだ。
現時点で確定しているのは【闇粛】の主人公・エイドルースと関わると近い将来殺されるということ。つまり自分には死亡フラグが元気よく立っているということだ。
ちなみに肝心要の物語詳細であるが、簡単にまとめるとこうである。
三年前、エイドルースの兄が突然自ら命を絶った。当時王国法院の判事だったエイドルースは兄の死を不審に思い調べ始めるも、なぜか真実に辿り着けない。さらなる疑念を抱いたエイドルースは「今以上の地位を得れば、機密書類も閲覧できる」と、それからたった一年で主席判事の座まで登りつめた。そうして掴んだ情報が、兄の自死には高位貴族が隠蔽した犯罪が関わっている、であった。
エイドルースは闇に隠された真実へとさらに踏み込むため、罪を犯すも裁かれないままでいる特権加害者への闇粛清を始める。その結果、兄を追いつめたのが玉座の奪取、つまり王への謀反を企んでいた王国宰相であったという真相だった。
最終的にエイドルースは宰相の罪もすべて暴き、関係者全員を断頭台へと送り、物語は結末を迎える。
と、こんな感じの話なのだが、リルゼムはエイドルースとともに宰相の罪を暴こうとする最中に、宰相が放った刺客によって殺されてしまうのだ。
自分としてはこの必滅エンドだけは絶対に避けたい。それには最大の謎である『なぜ本物のリルゼムは、エイドルースに協力したのか』を知らなければならないのだが、下手に探ってしまえば物語が動いてしまう可能性もあるため、やはり一番いいのは『一生エイドルースに関わらず、協力せず、地味に生きて大往生する』だろう。
再度決意を固めた響李は早速この世界で生きていくべく、リルゼムの同僚たちに「頭を打ったことで記憶が曖昧になってしまった」と泣きついて、リルゼム本人のことからこの世界の情報や暮らし方、職場での仕事内容、付き合いのある職員、果てには隣に住んでいるおしゃべりばあさんのことまで色々教えてもらった。
「えーっと、この国の名前はラーシャで、王様が国を納める君主制の王国、と」
同僚から聞き取った内容をメモに書き、響李はすべてを覚えられるよう何度も音読する。
「オレが住んでるのは首都の街。ラーシャは結構文明が発達していて大聖堂や修道院、学校などの公共施設が揃ってる。市場も毎日開いていて公益流通も盛んで、あとライフラインもある程度整っている」
ラーシャの街並みは古めかしい木造建築や石造りの家ばかりで、初めて見た時は日本と文明水準の差に不安を覚えたが、実際生活してみたら意外に不便は感じなかった。
「次はリルゼム。年齢はオレと同じ二十一歳で、両親はすでに他界。王国法院の庶務課で事務職員として働きながら、都で一人暮らしをしている」
王国法院とは罪を犯した者を裁く場所、現代日本でいう裁判所だ。ちなみに法院の職員は一応公務員なので、贅沢はできないがごく普通の暮らしができている。これはありがたかった。せっかく生まれ変わったのに明日の食事もままならない生活なんて、元令和の日本暮らしには耐えられないだろうから。
それに生前の自分は大学の法学部に通っていたので、司法職は身近に感じる仕事ゆえ個人的にも嬉しいし、この世界で「王国法院で勤務している」と言うと街の人から羨望の眼差しを向けられるので、ちょっと鼻も高い。
「容姿はいわゆるところの綺麗系男子……これには作者に五体当地で感謝しないとな。オレ、モブなのにめっちゃ美少年だし」
少女漫画ではモブでも見目よく描く決まりがあるかどうかは分からないが、作者が力を入れてくれたおかげでぶっちゃけ同僚受けはいい。先日も同僚の一人に「オレのこと……教えてくれないかな?』って上目使いで頼んだら、なぜか庶務課全員がすっ飛んできて協力してくれた。代わりに後で同僚一人一人と二人きりで食事にいく約束になったが、その程度の礼で済むなら儲けものである。
前世で死んでしまったショックはまだ引きずっているものの、この世界の人たちは皆優しいからなんとかやっていけそうだと響李は一安心した。ただ──。
「でもエイドルースとの関係だけは、誰に聞いても分からなかったんだよな……」
同僚たちに聞いても「俺らみたいな一般職の人間と、王国法院のトップが知り合いなわけないだろ」「リルゼムとエイドルース様が一緒にいたところなんて、一度もみたことない」と言われておしまいだった。
「もしかして、まだ出会う前とか? それならラッキーじゃん」
まだエイドルースとの関係が始まっていないのであれば、このまま出会わないよう気をつけながら死ぬまで不変の日常を送ればいい。リルゼムは天涯孤独の身だが高望みさえしなければ彼女も作れるだろうし、早めに家庭を持って小さな幸せを守りながら生きていけば無駄死にルートも避けられるはず。
「よーし、まずは彼女捜しでもするか!」
最終目的と当面の目標を決めた響李──いや、この世界で生きていくと決めたので、ここからはリルゼムとしよう──改め新生リルゼムは、勇み立つ気持ちを抱きながら職場へと向かう。
周囲が騒がしくなったのは、そんな時だった。
「おい、外がやばいことになってるみたいだぞ!」
「え?」
この世界に来て数日。ようやく場所を覚えた庶務課の扉を潜ろうとした矢先に、緊迫した声が耳に届いた。リルゼムは廊下を走っていく職員のほうを首を傾げながら見る。すると外から戻ってきた同僚が息を切らしながら庶務課の扉を開けて、他の同僚たちに声をかけた。
「ちょっと皆、外来てみろよ。すげー騒ぎになってるぞ」
「え、何かあったの?」
ちょうどすぐ傍にいたリルゼムが同僚とともに職務室に入り、尋ねる。
「なんかこの前の事件の容疑者が、街の人たちの手で連れてこられたらしいんだけど、自分は犯人じゃないって暴れてるんだって」
「この前の事件?」
「街で起こった殺人事件だよ。知らないのか、って……そうか、リルゼムは頭打って記憶がごちゃごちゃになってるんだっけ」
リルゼムの事情を思い出した同僚が、仕方ないと言って事件の詳細を教えてくれる。
「数日前の朝、街の路地裏で鍛冶屋の主人の死体が見つかったんだけど、なんでも被害者、どこかで恨みでも買ったのか鋭利な刃物で身体中メッタ刺しだったらしい」
「メ、メッタ刺し……」
考えずとも一目で殺人事件だと断定されたその事件はすぐさま法院の職員によって捜査が開始されたが、現場に遺体と凶器以外の痕跡がなかったため今日まで被疑者逮捕にまで至っていなかったそうだ。
「その犯人が、街の人の手で連れてこられたんだよ」
「へぇ、そうなんだ……で、誰が犯人だったんだ?」
「鍛冶屋の女将。奥さんらしいぜ。なんでも旦那が若い女と関係を持ったことに激怒してグサッ、だと」
痴情のもつれによる殺人。ありがちな話だ。どこの世界にもあるものなんだなと思いながら、リルゼムは適当に相づちを打つ。しかし。
「ってことで、見に行こうぜ」
いきなり同僚に腕を掴まれ、リルゼムは部屋の外へと引っ張られた。
「は? いや、別に放っておけばよくない? 犯人だっていうなら警兵が捕まえにいくだろうし」
「だから、自分は犯人じゃないって大暴れしてるんだって。かなりの騒動になってるぜ」
「いや、だからってそんなの別に見なくっても……」
興味はないと断るリルゼムだったが野次馬と化した他の同僚にも引っ張られ、そのまま騒動が起きているという法廷院の中庭へと強引に連れていかれる。
そうして到着した現場の状況を見たのだが。
「いや、犯人違うだろ」
夫殺しの犯人として連行されてきた女性を見た瞬間、ほぼ脊髄反射レベルでそうツッコミを入れてしまった。
数秒後、盛大に後悔することもなるとも知らずに。
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