第2話:大学生・関口響李の転生。



 それは大学の通学途中でのできごとだった。


「危ないっ」


 その声を聞いて振り向くと同時に、全身にとてつもない衝撃が走った。

 一瞬で身体は大きく吹き飛ばされ、近くにあったガードレールに激突する。しかしそれだけでは止まることができず、響李は奥の歩道へとゴムボールがバウンドするかのように投げ出された。


 痛みなんてほとんど感じなかった。痛みを感じる前に視界にチカチカと閃光が飛び、続けて嗅覚聴覚が一気に遮断されたからだ。


 その後の記憶なんて当然ない。

 突然の事故。

 それが関口響李の最期だった。



◆◆◆


 ここはどこだ。


 目覚めた瞬間、双眸に飛びこんできた不快な光に響李は眉を顰めた。

 手をかざして光を遮ると、どうやらすぐ隣にあった窓から差し込んでいた陽がちょうど目に当たっていたことが分かった。


「ん……」


 重たい身体を動かし半身を起こすと、一番に真っ白なベッドが目に入った。他にも真っ白なカーテンに清潔そうなタオル、ガーゼや薬品瓶のようなものがある。 ここがどこかは分からないが、まるで学校の保健室みたいだ。そんなことを思い浮かべていると、不意に近くから声がかかった。


「ああ、気がついたかリルゼム。体調のほうはどうだ? 転んだ時、思いっきり頭ぶつけてたけど、気持ち悪いとかないか?」


 声のほうに視線を向ければ、少し変わった格好の見知らぬ男が心配そうにこちらを覗き込んできた。


「え……」


 誰だろうかこの人は、と思う前に話しかけてきた男の格好に響李は驚いてしまった。

 襟元が開いた白い麻のシャツに、膝下が細い綿のズボン。そしてロングブーツ。飛び抜けて変だというわけではないのだが、なんだかコスプレにような服装というか、中世ヨーロッパを描いた映画に出てくるキャラみたいだ。


「どうしたリルゼム?」

「リルゼム?」

 

 リルゼムって誰だ。どこかで聞いたことがある名前だが、起きたばかりで頭が働いていないせいか思い出せない。それと、向こうはこちらを知っているような顔をしているが、響李には目の前にいるのが誰だか分からない。



「ここは……? オレ、確か事故に遭って……それで……」

「事故? 何寝ぼけてんだよ。お前、資料室で書類整理してる時に紙踏んで盛大にすっ転んで気絶したんだよ。あと、ここは医務室。医者の先生は今いないけど、曰く『大きなタンコブができてるぐらいで、別になんともない』だってさ」



 おかしい、自分は暴走自動車に轢かれる大事故に遭ったはずだ。それなのに男に転んで頭を打っただけと言われ、響李はいろいろと辻褄が合わない記憶に不安と恐怖も覚えた。



「あの、それとリルゼムって……」

「はぁ? 笑えない冗談とかやめてくれよ。それとも頭打って混乱してるのか? お前はリルゼム。リルゼム=パルナ。ここ、王国法院の庶務課で働く、事務職員だよ」

「リルゼム……パルナ……?  っ! っ……」


 その名をフルネームを聞いた瞬間、頭を思いきりガツンと殴られたみたいな強い衝撃が走った。

 直後、響李は走馬灯でも見たかのように、すべてを思い出す。


「そ、うだ……」


 リルゼム=パルナは響李が事故に遭う日の朝、たまたま妹に借りて読んだ漫画【闇の粛清者は徒花を手折り嗤う】に登場するモブキャラだ。


 妹曰く、通称【闇粛】は、主人公のエイドルースが兄の死の真相を探りながら法で裁けない悪辣貴族たちを裏で粛清していくというダークヒーローものの漫画で、少女漫画であったが男でも十分に白熱できるぐらい面白かった。


 表では王国法院裁判長として法を遵守するエイドルースが、闇夜に紛れながら特権犯罪者たちを成敗していく様はなんとも痛快で、最終巻まで読了したころには「エイドルース様やばかっこいい!」と、思わず口に両手を当てながら悶えてしまったぐらいだ。自分が女なら完全に惚れていただろう。


 なのだけれども。


「お、おい、もう立ち上がって大丈夫なのか?」


 突然、ベッドから飛び出て鏡のもとへと駆けた響李を見た同僚という男が、仰天して声を上げる。しかし現実を受け止めきれずパニックに陥っていた響李に、その声は届かなかった。


「う……そだろ……」


 美しく磨き上げられた鏡に映る自分の姿に、響李は絶望の声を零した。

 形のいい丸い頭に、アシンメトリーの黒髪ショート。きらきらとした大きな瞳と口角がきゅっと上がる綺麗な笑顔が印象的な細身男子。見た目だけでいえば完全に主役クラスなのだが、それでもモブだというちぐはぐな存在が鏡の中にいる。


 どうやら自分はなぜか前世の記憶とともに、【闇粛】の世界で生きるリルゼムとして生き返ったみたいだ。



「マジかよ、なんでオレがリルゼムなんかに……」



 響李の混乱と絶望はさらに深まった。しかしそれも仕方ない話だった。

 なぜなら漫画のリルゼムはエイドルースの協力者として特権犯罪者の粛清の手伝いをしていたが、やがて辿り着く最大の悪・宰相の手によって殺されてしまうからだ。

 漫画で読んだ最悪な結末が、未来で待っている。改めて自覚した途端、全身に寒気が起こった。

 絶対に嫌だ。事故で死んだことを思い出すだけで辛くて叫び出しそうだというのに、別の人間になっても不幸な人生を送らなければならないなんて冗談ではない。



「いやいや、他人のために殺されるとか絶対嫌なんですけど!」



 正直逃げたい。漫画のエイドルースが格好いいのは知っているが、自分にとって命をかけるほどの相手でもないし、自分にはミリも関係のない話だ。というか、そもそもリルゼムはなんでエイドルースと一緒にいたのだ。漫画では気づいたら隣にいたけど、どうしてか協力していたかは詳しい説明がなかったので分からない。



「どうしよ、オレ、どうやったら死なずにすむんだ? ってか、アイツ一体なんなんだよ!」


 アイツとは無論、本物のリルゼムのことだ。


「ってかオレに身体寄越すんなら、大事なこともちゃんと教えとけよ!」


 別にリルゼム本人から託されたわけではないが、そう愚痴りたくのも仕方ない話だ。なにせリルゼムに転生したものの、エイドルースとの関係どころか肝心要の過去の記憶がこれっぽっちもないのだ。

 中学生の頃に見た異世界転生アニメではどの主人公も皆、その世界の情報だったり転生先の身体の情報を熟知していた。だから異世界でも生きていけたのだし、活躍だってできたのだ。

 でも今の自分は漫画ベースの情報しかない。これでは半分以上詰んだようなものではないか。



「…………ん? いや、待てよ」


 悲観に暮れる中、響李はふと気づく。

 今ここにいる自分は外見はリルゼムであるものの、中身は日本人大学生・関口響李のまま。その証拠に、漫画のリルゼムはエイドルースを崇拝していたが、自分の中にそのような感情はないし、彼のために死んでもいいなんてこれっぽっちも思えない。ということは、別に無理して漫画と同じルートを進まなくてもいいのではないか。

 こちとら平和に染まりきった日本で育った人間である。どれだけ軟弱と罵られようが第一は自分の命。これだけは絶対に譲れない。


「よし、オレはオレの人生を楽しもう!」


 起死回生の一手を見つけた響李は、思いきりガッツポーズを決める。

 第二の人生は、絶対に安全安泰安寧に生きたい。いや、生きてみせる。

 そう強く決意する響李の背後で、同僚が「リルゼムが頭打っておかしくなった」と全身を恐怖に震わせながら壁の影に隠れていたのは、最早言うまでもない。

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