第4話 —

豪雨が鉄錆びた骨組みと雑草だらけの荒れ地を均一に叩き、無数の水滴が黒い地表を濁った鏡のように変えていた。


光源はほとんどなく、わずかな雷光が一瞬の閃光をもたらすのみ。その刹那、廃工場群の輪郭が浮かび上がり、すぐに再び闇へ沈む。


707特殊任務大隊は、その闇に溶け込むように展開していた。


リーダーであるチェ・サンミン少佐は、ナイトビジョンを通して廃工場を睨む。近傍の隊員たちはほとんど姿を主張せず、雨と泥、崩れた瓦礫に紛れ、無声の彫刻のように潜んでいる。


敵の監視を薄めてくれるこの状況は、精鋭にとってむしろ好都合だ。


チームリーダーであるチェ・サンミン少佐は、ナイトビジョンゴーグル(NVG)の僅かな緑暗い像越しに、遠方の廃屋を睨む。

雨がゴーグルのレンズを叩くが、彼は丁寧にその滴を指先で拭うことすらせず、首を僅かに傾けて視界を確保する。


その微細な体重移動や首の角度ひとつで、隊員同士は何を示しているか理解できる。

言葉はむしろ、ノイズなのだ。


廃工場内部には、標的となる要人が潜伏している。

だが、それはただの逃亡者ではない。その人物は「ブラックブック」と呼ばれる国家機密クラスの情報を握っているとされ、その売却や拡散を狙う勢力が殺到している。


そして要人は、地元の武装組織——旧ソ連崩壊後の混乱期に台頭した、過激な分離主義と反欧米志向を抱く自称「ヴォロナ旅団(Vorona Brigade)」の一派に庇護を求めているらしい。


彼らはイデオロギー的には反西欧、反NATO色が強く、東欧の闇市場で武器や情報を取引する半ば無法な民兵集団だ。


この廃工場を拠点に、要人を囲い込み、高値で情報を売り渡す機会を伺っている。見張りには古いソ連製ナイトビジョンやAK系のアサルトライフル、即席の防弾装備がある程度。精度は低いが、地の利と数で侵入者をあぶり出す狡猾さを持っている。


707の隊員たちは、この武装集団が巡回パトロールを行う時間帯とルートを把握している。


チェ・サンミン少佐は手信号で「シャープ」に合図を送る。シャープは静かにドローンを低空で飛ばし、雨粒で雑音が増した熱源センサーを使い、工場内外の動きを一瞬で分析する。


微弱な無線符丁がゴースト、バイパーへ伝わる。

彼らは残響のような短いパルス信号で、巡回兵の数と位置を共有する。

声は出さない。人間の声は、自然界において想像よりも大きく、遠く響くからだ。全ては脳内に焼き付けた座標と戦術的思考によって動く。


最小限の動作、無駄な呼吸すら抑え、不規則な形で廃工場に接近する。雷鳴が低く唸り、鉄骨フレームが一瞬きしむと、その雑音に紛れるように隊員たちはわずかに位置を変えた。


より死角の多い鉄梁の裏や、崩れた壁片の背後へゆっくりと、泥の上を沈むように移動する。隊員たちはすぐにでも沈黙の襲撃を仕掛けられたが、まだ待つ。


豪雨が視界と聴覚を曖昧にし、見張りの足元に広がる水たまりが反射している光源はほとんどない。

その男はAK系ライフルを胸に抱え、警戒しているようでいて、周囲のノイズに埋もれる異変を感じ取れない。


チェ・サンミン少佐は、NVG越しにバイパーの位置を確認する。バイパーは廃材の陰、泥と鉄くずに溶け込むような低姿勢で、数メートル先の見張りを射線に捉えている。

次の雷光が走る瞬間が、合図となる。


空気が一瞬張り詰め、雷が空を裂く。

その閃光にかき消されるように、サプレッサー付きHK416の小さな吐息が鳴る。

発射音は豪雨と雷鳴に包まれ、見張りは膝から崩れ落ちる。

血と水滴が混ざり、泥上に拡散するが、激しい雨がすぐにその痕跡を掻き消していく。


躊躇いは無かった。

弾道は正確に喉元を貫き、見張りは声を上げる間もなく沈黙した。

他の隊員は即座に周囲をスキャン、追加の敵影や不審な反応がないか確かめる。

シャープがドローンフィードを再確認し、ゴーストは反対方向の死角をクリアにする。


チェ・サンミン少佐はゆっくりと顎を引き、続行の合図を送る。

要人が潜む工場建物への接近ルートが一つ開かれた。


ヘリの振動や、出撃時の記憶は遠く、ここには刃の如き集中力だけが残る。


707は標的制圧を進める。

それに追いつく形で、日本側の特殊作戦群が動き出す。

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