ソウル・国防省
第3話 国益
薄暗い室内には、プロジェクターの微光が動く衛星写真を点々と照らす。
東欧某国の荒廃した工業地帯が拡大され、複雑に入り組んだ廃屋や錆びた配管が歪な影を作り出している。
韓国国防次官は組んだ腕の上に顎を乗せるようにして、硬い視線でその映像を見つめていた。
窓のない地下空間、湿度が絡みつく空気は少し重い。
「例のブラックブックがあの地で動いていると確実になった。日本側も先行して動いたようだ。…あちらはSFGpかもしれない。」
次官の声は低く、焦りは表に出さないが、その眼差しからは明らかな危機感が漂う。
対するは陸軍少佐チェ・サンミン。
707特殊任務大隊の運用を指揮する彼は、身なりは地味な民間風スーツだが、醸し出す雰囲気は研ぎ澄まされている。
その眼は映像上の建物の輪郭をなぞるように細め、潜入経路を脳内で描く。
「我々はすぐにでも動けます。既にチームは待機状態にあります。」
彼の声は簡潔でぶれがない。
次官はディスプレイ横の端末を操作し、もう一枚の画像を呼び出す。
そこには、要人とされる男のぼやけた顔写真が浮かぶ。
「日本側に先を越されては困る。外交カードとして、我が国がこのデータを掌握する意義は計り知れない。公式ルートは使えない以上、迅速かつ隠密に動く必要がある。」
チェは一度うなずき、映像の隅に写るかすかな地形を記憶に刻むように目を遣る。
要人確保とデータ回収——タスクは単純だが、相手は日本の精鋭だ。
純然たる衝突を避けつつ、先手を取らなければならない。
「情報統制は徹底します。」チェは軽く顎を引き、端末越しに流れる断片的な諜報情報を頭に叩き込む。「今回はこちらで独自の暗号プロトコルと一時的通信規格を使うつもりです。電子端末上のログは最小限、帰還後に即時消去します。国防部としても報告なんて要らないでしょう。ターゲットの身柄。この結果だけで十分だと認識しています。」
次官は苦い微笑を浮かべる。「その通りだ、詳細報告は不要だ。成功か失敗か、我々が知りたいのは最終成果のみ。」
彼は指をこめかみに当て、「君たち707は一度動けば、短期間で仕上げてくれると信じている。日本側の狙いを挫き、あのブラックブックを手中に収める。それだけで国際テーブルでの我々の発言力は格段に変わる。」
部屋の隅で待機していた分析官が、衛星画像をフェードアウトさせる。
代わりに、暗号化された座標リストが一瞬だけ表示され、すぐに消える。
チェはその瞬間を見逃さず、頭に叩き込む。
「目標エリアまでの前進拠点、移動手段、そして浸透ルート。現地での補給は期待しない。すべてはこちらが用意した分でやる。小型ドローン、NVG、狙撃オプション、ブリーチングツール、必要な物は既に揃っています。」
次官は一瞬目を閉じる。「我が国の意志を示してくれ、チェ少佐。静かに、確実に。万一、日本側と遭遇しても、我々の存在を悟られぬようにな。互いが影の中で爪を研いでいる。こちらが素早く動けば、奴らを出し抜ける。」
チェは何の感情も表に出さず、ただ短く一礼。「承知しました。」
湿度を孕んだ空気が、換気ファンの回転で揺れる。
外ではソウルの街が眠りにつこうとしているが、裏面では確かな歴史の分岐に差し掛かっていた。
韓国側もまた、日本側とは違う手口を練り、デジタルと暗号を用いた即興の通信戦術を組み立てる。
「では、行け。」
次官は無駄な言葉を交えず促す。
チェが静かに部屋を後にすると、残された官僚たちは無言でプロジェクターを落とし、圧縮された戦略と期待と不安を胸に、待つしかなかった。
新たな勢力が同じ標的を巡り、黒い盤面に次の一手を打ち込む時が迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます