第2話 —

海外展開、即応、秘匿。先方は707、廃工場。


その断片的な指示文言に次々と続く情報を、「レイヴン」「ファング」「エコー」は即座に脳裏に刻み込む。

紙片に書き留めるなど論外だ。

敵地で一片の紙すら残せば、作戦が白日の下に晒される。代わりに視覚イメージと聴覚的符号、匂いや触覚的感覚まで組み合わせて情報を脳内の「棚」に格納する。仮に捕まったとしても、拷問による吐露を防ぐために、一部の情報は複数の感覚記憶を組み合わせないと想起できないように、一見すると支離滅裂な情報列に組み替えている。


テーブルに開かれたペリカンケースから、レイヴンはHK416D14.5RSを静かに取り上げる。長年使い続けたボルトアクションやセミオート、そしてこのHK416シリーズは、幾度となく彼を死地から救った相棒だ。確実な射撃と沈黙した炎で応えるサプレッサー、SureFire SOCOM556-RC2をねじ込むとき、そのわずかな金属音が心地良い。

「いいな」

声に出す必要はないほど小さな囁きだが、ファングとエコーには聞こえる。彼らも同様に、愛用の武器の確認を済ませている。


「707は真っ向から押してくるかもしれない。狙撃とブリーチを同時に行うのがあいつらの常套だろう。」装備を確かめながら、ファングが低く呟く。

「正面対決は避ける。こちらは先行して地下室を押さえる。そのためのジャミングとドローンだ。『エコー』、反応時間の計算は?」


エコーは指先でジャミング機材のLEDを確認しながら、「電波環境次第だが、5秒の遅れで奴らのドローンは混乱する。5秒あれば『ファング』が一つ先の区画へ進める。」

ファングは軽く笑いに似た鼻息を漏らす。「5秒あれば充分だな。」


レイヴンはGlock19ハンドガンをホルスターに収めながら、小声で尋ねた。

「…弾数、どうする?」

ファングは少し考え、「多めは避けよう。想定交戦時間は短いだろうから、標準プラス2マガジンで充分だろう」と応じる。言葉は少ないが、日頃の訓練から、思考回路を同期させるには十分だった。


装備を完了した三人は、静かに目配せし、扉へ向かう。レイヴン、ファング、エコーが防音扉を抜けると、そこは照明を極限まで落とした広い格納庫だ。普通の自衛隊員なら目が馴染むまで数十秒を要する闇だが、彼らには一瞥で状況が掴めた。

暗視訓練と、必要ならNVGを即座に活用できる習熟度が、微かな反射や物の輪郭を素早く拾い上げる。


彼らの視界には、黒一色で塗り潰されたUH-60JAヘリコプターが鎮座していた。

本来は汎用的輸送・救難用のUH-60J系列を、特殊作戦向けに改修したカスタムモデルだ。国籍マークもシリアルも消し去り、IRシグネチャーや騒音を最小化する処置が施されている。


ヘリ下で動く整備兵や無線士官は、軽い手信号だけで最後の調整を行い、彼らもまた無言のうちに三人を認識している。


外は悪天候の雨だった。幸運だ、とファングは心の中で呟いた。衛星監視や赤外線検知精度が落ち、相手は索敵に苦慮する。風を伴った雨音は、敵がドローンで探知しようとも微弱なサインを掻き消し、隠密な浸透をより確実なものにする。

心血を注いだ鍛錬が形になるのだ。特殊作戦群のほか2名も、同じように感じていた。


ファングが機内へ足を踏み入れ、静かにカーゴフックへ装備ケースを固定する。エコーはジャミングユニットを慎重に安置し、緩衝材を詰め直す。


機内は暗く、ヘッドセットを装着すれば外の声はほぼ遮断される。隊員たちは全員インナーイヤー型の通信装置を使い、必要最小限の合図を交わす。ホバリングの前、ファングはシートベルトを締めるが、決して背もたれに深く寄りかからない。重心を少し前に置き、常に機外への跳び出しに備えるような独特の姿勢をとる。


やがてタービンが低く唸り、ローターが軋むように回る。整備隊員の静かなアイコンタクトで、ヘリはゆっくりと浮き始める。鉄骨の梁やケーブルが低い位置に張り巡らされたこの格納庫での離陸は慎重だ。ローターによる乱気流で、隊員たちの装備のストラップが微かに震え、頬に当たる息が少し酸味を帯びる。


ヘリの振動は彼らの心拍と溶け合い、意識のレイヤーを徐々に引き上げていく。

悪天候の中、UH-60JAは陸を遠く離れた。空にはもはや、ヘリの残像がない。


出撃を見送った隊員は、ためらうことなくシャッターを降ろした。地上には細かな水溜まりと薄いオイル膜が残っている。


再び雨音が格納庫の屋根を叩く音に満たされた。

出撃した証拠も、軌跡も、何も存在しない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る