第4話 種族の壁②
店員に案内され、テーブル席に着く。各自、メニューの魔石から酒と肉を注文する。
通路側に私とヴィロミアさんがいるから、肉を切り網に乗せる係だな。
自身の役目を認識する。ここは戦場。いかに効率よく肉をさばけるか。それが重要なことだ。
まずは乾杯。話題はケレアニールとヴィロミアの来訪理由。だが、私の頭の中は「早く肉来い」でいっぱい。話半分で、肉への妄想を膨らませる。ここの名物は塊肉。厚さを自分で決めて切り、焼く楽しみを堪能できる。どんなことでもそうだが、自分で決められることが多いほど楽しみや美味しさは増すものだ。
最初の肉が来た。素早く受け取り即座に網の上に乗せる。
スタートはあえて肉キノコを選ぶべきである。まず当たり前だが、屋台のそれとは味付けが違う。最初は王道の塩でいただくのだ。いつもの屋台の謎の味付け花とは違い、不純物の少ない厳選された良い塩。肉キノコという日常の中に潜む非日常。知っている味と思い油断した体に落ちる稲妻。そして実感する。今日は何かが違うぞ、と。体が特別を味わう準備ができた瞬間である。
「それでいいよね?」
隣のウィローラが突然確認してきた。耳に入ってきた話をざっくりまとめると、ヴィロミアもケレアニールもこの街に来たばかりで、まだナートラフの森に入ったことがない。そこで、5日間ほど森に慣れるための訓練をする話らしい。
「良いと思う」
返答すると、ウィローラの鋭いジト目が突き刺さる。
「本当にわかってる? メーケ、食事の時になると自分の世界に入って戻ってこないことがあるからね」
私のことをよく理解していらっしゃる。いかんな、話も聞かなければ。
「気をつけるよ」
「じゃあ明日は一日使って入森行程書の作成ね」
ウィローラは、他の二人が同意しているのを確認する。
私はその間に肉キノコを口に運び、今日の戦闘への準備を進めた。
「明日の店がまだ決まっていないなら、ここに行きたいんだけど、どうかしら?」
ヴィロミアがウィローラにパンフレットを手渡す。彼女はそれを受け取って眺める。
「近そうだし、良いですね。全員に場所を共有してもらえますか?」
「わかったわ」
ヴィロミアは冒険者カードを操作する。送られてきた情報を確認してみると、知っているエリアだった。少し安心し、また肉や野菜を網の空いている場所に手際よく乗せていく。
それにしても、食べ物の減りが早い。皆、歩き疲れてお腹が空いているのだろうか。私も負けていられない。
さらにお酒や肉の追加注文が次々と飛び交う中、ウィローラが口を開いた。
「二人は森での戦闘や野営経験はある?」
彼女がヴィロミアとケレアニールに尋ねる。
「私は100年くらい森で暮らしていたことがあるわ」
ヴィロミアがさらりと答える。
100年か。さすが長寿族、スケールが違う。
「私は浅い森くらいしか経験ないかな。この街の森って、かなり深いの?」
ケレアニールの問いにウィローラが答える。
「どちらかというと深いね。あの森でわかっている部分は、全体の1%にも満たないって言われているから」
「そんなに大きな森は初めて。今までは、全体が把握されてる小さな森で日帰りの狩りをする程度だったから」
そういえば、故郷の森も小さかった気がする。あまり入ったことがなかったから記憶も曖昧だけど。
「あ〜、その規模の森とはだいぶ勝手が違うね〜」
「うん、朝に仲介屋から説明を聞いた時、危険な植物の多さには驚いたよ」
「でも、今回行く予定の場所は森の入り口付近だから、ある程度は安全だよ」
「ある程度は?」
「レンジャーが道の整備や間引きをしてくれているエリアだからね」
「なるほど〜」
「ただ、そのエリアから外れると一気に危険度が増すから、注意が必要だよ」
ウィローラとケレアニールは、引き続き森について話し込んでいる。
何気なくヴィロミアの方を見ると、すっかり出来上がっているようだ。もう3杯目くらいだろうか。
ペースが早いな~。お酒好きなのかな、わかるわ~。
アルコールに耐性があるのか、顔色は変わっていないが、目が少し虚ろだ。彼女も視線に気づいたのか、こちらを見てグラスを持ち上げた。
「この樹液ウイスキー、飲みやすいけど回るのも早いわね」
ヴィロミアは風魔法で髪をなびかせながら、服を掴んで揺らし、体の熱を冷ます。
「度数高いですからね。この店、樹液系のお酒が多くていいですよね」
「そうね〜。この『獣の誘引』、癖になるわ」
「それ、実際に獣を惹きつける効果があるお酒らしいですよ」
「その気持ち、わかるわ〜」
私も飲みたくなって、同じものを注文する。
それにしても......そろそろ来ても良い頃合いだ。
店内を見渡すと、大皿に乗った長方形の塊肉を持った店員がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
来たなアイツがッ!!!
テーブルの前まで来た瞬間、私の左手は無意識のうちに大皿をつかんでいた。遅れて思考が追いつく。
よし!掴んでいるぞ!私の手がっ!
そのまま大皿を自分の前に置く。
目の前に現れたのは、高さは拳二つ分、厚さは手のひらを広げたほどの圧倒的な肉のレンガ。その存在感に圧倒される。鷲掴みにして網の上に叩きつけたい衝動を必死に抑え込む。
来たな、ケンタウロスの太もも肉!
なんという赤身の塊だ......屈強な上半身を支えるために発達した筋繊維が、解体され、ただの肉の塊に成り果ててもなお、その力強さを失っていない。まるで、今にも本来の筋肉の動きを取り戻し、膨張しそうではないか。血の脈動を受けて蓄えたエネルギーが、いまにも爆発するかのように見える。
それでいて、なんときめ細かいことだ。照明の灯りを受け、美しい流線を際立たせている。
私はその肉塊にそっとフォークを滑らせ、筋繊維に触れる。その感触に息を呑む。
さて、どう切り分けるか。四人で分けるには、まず半分に切り、それをまた二つに切る。それを繰り返していけば良い......
目の前のグラスに入った「獣の誘引」の氷割りを一気に飲み干し、空いたグラスを机に叩きつける。
それは理性だッ!!!
この下品なまでに大きな肉の塊を前に、なんたる品性!なんという合理性!理性は本能を鈍らせる!
肉を前にした生物は等しく獣だ!本能の赴くままに牙を突き立て、喰らい尽くすのみなのだ!
......だが、ここでそのような蛮行に出るわけにはいかない。私は人だ。社会の中で生きる者であり、祈りを知る者でもある。
一旦落ち着くために、ナイフとフォークを置こうとしたそのときーー
「いたっ!」
突然頭に痛みを感じ、両手で押さえる。
視線を上げると、ウィローラがあきれ顔で私を見ていた。
「戻ってきた?じゃあ、早く切って」
「はい……」
私の中の本能が、しぼむように小さくなっていくのを感じる。
視線を向けると、ケレアニールとヴィロミアが笑顔でこちらを見ている。
な、なんだよ。こっち見んなよ。
仕方なく、肉を半分に切り、さらにそれを二つに切り分ける。そして、網の上に四枚を慎重に並べた。
さて、気を取り直していこう。まずは網の上の肉だ。
すでに熱せられた網が、じわじわと肉に熱を伝え、その水分を急速に蒸発させていく。
いかんいかん。焼きすぎると干し肉のようにパサパサになってしまう。それは噛み切りにくく、台無しだ。
素早く網の上の肉をひっくり返す。この動作を何度か繰り返すうち、表面の色が程よく変化してきた。
よし、ここでいただこう。
まずは大きな肉を皿の上に移す。いまだ私の中で大きくなっている理性がそうさせるのか、ナイフで食べやすい大きさに切っていく。そして、たっぷりのタレを豪快にかけ、フォークで一切れを刺し持ち上げる。
断面をじっくり観察すると、そこには見事なグラデーションが現れている。
流石、わたし。
厚みのある肉の最大の利点は、内部の水分が抜けにくいことだ。中は半焼け、外側はしっかりと焼かれた層。外側の香ばしさと内側のジューシーさが織りなす食感のコントラストこそが、この肉の醍醐味だ。
意を決し、口へ運ぶ。
なんという肉々しさ!
程よい噛みごたえに加え、濃厚なタレと絡み合う肉汁のコクが一気に口の中を満たす。タレに隠れた謎の果実の甘味と、ほのかな酸味が旨味をさらに引き立て、後味をさっぱりと締めくくる。この絶妙な調和が、次の一切れを新たな気持ちで迎える準備をしてくれるのだ。
次々と肉を口へ運ぶたびに思う。
ああ、美味い!
噛むたびに溢れ出す魅惑の肉汁をもっと味わいたいという欲求と、温かいうちに次の肉を食べたいという衝動。そのせめぎ合いが、この食体験をさらに豊かなものにしてくれる。
いつの間にか焼いた肉が消えていた。だが、慌てる必要はない。まだ肉レンガは半分も残っている。
さて、どうするか。徐々に野生を取り戻しつつある今、この勢いを絶やすわけにはいかない。邪魔が入る前に決断を下すべきだ。
深呼吸を一つ。気持ちを落ち着かせる。
本質を見失うな。
切るという行為は手段でしかない。本質はなんだ......人が神々に作られ、祈りしか知らなかった時代から、長い時間をかけて社会を築いてきた。狩りをし、作物を育て、家を建て、街を作った。文明は進化し、人は賢くなったと、強くなったと、錯覚するほどの歴史を重ねてきた。
だが、根底にあるものは変わっていない。祈りと本能。それこそが人間の核だ。
ヴィロミアを見ろ。また毒キノコの食べ比べセットに睾丸焼きだ。あれで良いのだ。複雑に考えすぎてはいけない。食べたいものを食べたいように食べる。それが本能であり、生命への感謝を実感する瞬間なのだ。
真理にたどり着いた私にもう迷いはなかった。
まず肉を半分に切り分ける。それを横に倒し、広がる断面を露わにする。さらにそれを十字に切り分ける。厚みのある四角い肉片が次々と網の上に並べられる。残りの肉も同じように切り分け、網へ乗せる。
そうだ。私は四角いブロック肉を喰らいたかったのだ。
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