第2話
アルマニャック伯主催の宴は、高価な調度品と異国情緒あふれる料理、美酒が並べられた豪勢なものだった。
ガラス戸が外へ大きく開け放たれた大広間からは、大きな川を臨むことができた。川面に反射する日の光がすばらしく、宴の客たちの中にはバルコニーに出てシャンパンを片手に見下ろす者もいる。
客人への挨拶を一通り済ませたらしいアルマニャック伯が、声を張り上げた。
「みなさま、本日は宴にお越しいただき、心より感謝を申し上げる! 礼を兼ねまして、ちょっとした余興をご用意しております。皆さま、どうぞそちらの川辺へお越しください」
アンリ様が強く私の腕を引っ張りながら己こそが一番先だとばかりにバルコニーへ行く。
アルマニャック伯は、せり出したお腹を抱えながら悠然とした足取りでバルコニーにやってくると、隣にいた老紳士に顔を向けた。
集まった客の中でもひときわ異彩を放つ老人だった。顔つきに威厳がある。高位の貴族だろうとうかがい知れた。
「何を見せてくださるのかな、アルマニャック伯」
「ブロワ伯。もうまもなく参りますよ」
アルマニャック伯の言うとおり、その光景は現れた。
光の粒子を反射して輝く川面は、晴天も相まって美しかったが、上流から滑るように進む舟影に、客の目はみな釘付けとなった。
黒檀のように塗られた舟はへりから花で飾られていて、すっきりとした形である。古代を模したゆったりとした服を身に付けた船頭が、もったいぶるようにゆっくりゆっくりと舟を操っている。
なんといっても、舟が積みこんでいる「荷物」に、その場にいた人々は感嘆の息を漏らした。それは、どれほど時経とうとも不変的な価値を持ち、人を魅了し続ける永遠の金属であり、それが舟からこぼられそうなほどに積み上げられている光景など、今の国王でさえなかなか見られないだろう。
「見ろよ、あれ、黄金だ。とんでもない量だ! いくらすると思う、マルグリット!」
アンリ様ははしゃぎながら、私の腕を軽くつまんだ。私は曖昧に微笑みながら、さあ、と首をかしげてみせる。物の価値など何もわかっていないお人形のふりに徹した。
「みなさま、いかがでしょう。とてもよい景色でありましょう?」
アルマニャック伯は自慢げに顎を引く。酒で赤らんだ頬をゆるめるばかりの彼に対し、隣に立っていたブロワ伯はやや冷静に見えた。
「おや、あの黄金はいづこから手に入れたもので?」
「まさに、今回の戦争で奪い取ったものですよ。この輝きは、蛮族どもにはもったいないものですな。我々にこそふさわしい。はっはっは」
後ろ手を組みながら佇むブロワ伯の眉間はさらに深くなったようだった。
彼が、噂に聞いたあの「ブロワ伯」その人であるならば、その反応は何らおかしくなかった。学者気質であり、国の重鎮として国王の相談役も務めるその人は、不必要な贅沢に寛容ではない。むしろ、このような宴に出てくること自体、彼にとっては不服だったかもしれない。
「世界広し、歴史は長しと申しましても、これほど贅を凝らした酒宴はございますまい。ブロワ伯もぜひ我が酒宴を楽しんでいただきたい!」
アルマニャック伯は、ブロワ伯の内心には何一つ気づいていない様子だ。
ブロワ伯はしばらく黙り込んだ後、ついに口を開いた。
「たしかにこの宴はここ数年で数々の戦果を挙げられたあなた様の威光を反映されたもの。新王太子が冊立されたのも、貴公の協力な後ろ盾があったからこそ。太子殿下もさぞや心強く思われているでしょうな。おみそれいたしますぞ」
賛辞を聞いたアルマニャック伯はゆるみっぱなしの口角を引き上げたけれど。
「なるほど。これはさしずめ、『世界一贅沢な宴』の再現といったところでしょうな」
ブロワ伯も口角を上げたが、アルマニャック伯のそれとは意味が違っていた。
「『世界一贅沢な宴』? ブロワ伯は何をおっしゃっているので?」
笑みを浮かべながらも当惑の表情を浮かべるアルマニャック伯。
彼には、ブロワ伯の意図がわかっていないようだった。
「わかりませんかな」
ブロワ伯はアルマニャック伯ばかりでなく、その場にいた客人を見渡しながら静かに問うた。
もはや黄金の舟のことなどみなの眼中になく、ひとりの老人がその場を支配していた。
彼は微笑を浮かべるばかりで、何も言わなかった。
「え、と……ブロワ伯?」
「なにか不快なことでもありましたでしょうか」
沈黙に耐えきれなかった周囲の客がぼそぼそとブロワ伯に話しかけるも、「答えではありませんな」とだけ返されたため、戸惑っていた。
アルマニャック伯の顔が赤くなる。今度は恥をかかされた怒りのためだが、相手はあのブロワ伯なのだ。威張り散らしてよい相手ではないだろう。
――他の人は、『世界一贅沢な宴』の意味がわかっていないのね。
私なら、答えを知っている。
ブロワ伯もいじわるなことをされる。答えを知る者がこの場にいるとは思えないのに。
青年はやや呆れながら一連のやりとりを眺めていた。
彼は、ブロワ伯のなぞかけの答えがわかると自負していた。
――ここは、一旦、ブロワ伯に顔を覚えてもらえる機会を掴んでおくか?
実際、機会は掴めるだろうが、あえてこの場で表に出る必要もなかった。……今はまだ。
だから、別の関心事へ意識を向けた。マルグリットだ。自分と同じく遠巻きにアルマニャック伯たちを見ていただろう彼女。
彼女は、無意識だろうか、真珠の耳飾りに手を触れていた。
おや、と思った。まさか彼女は答えがわかっているのだろうか。
やがてうろうろと視線をさまよわせた彼女に、隣の婚約者が人目をわきまえない大声で、
「ブロワ伯はだれもから一目置かれる重鎮だ。ぜひここで覚えめでたくしておきたいものだ」
と、言った時。彼女は動いた。
自身の付けていた真珠の耳飾りを片方外すと、近くの給仕を呼び止めた。
「ワインビネガーをいただけますか」
彼はたしかに、その言葉を盗み聞いた。
なるほど、これは面白くなってきた。知らず知らずのうちに、彼は自分が微笑んでいたことに気付く。彼はそっと彼女の近くに寄った。
マルグリットは給仕からワインビネガーを受け取ると、婚約者の元に戻った。
彼女は婚約者の彼に、真珠の耳飾りとワインビネガーを差し出す。
「アンリ様、こちらをお持ちください」
「なんだ、それは」
マルグリットに話しかけられたアンリは不機嫌もあらわに彼女を睨んでいる。
「『世界一贅沢な宴』の答えです。ブロワ伯に、真珠を杯の中に入れてお見せください。閣下もご納得されるはずです」
「はあ? 何を言っているのだ、おまえは。急にばかばかしいことを」
「いえ、これは……」
「黙れ。私に恥をかかせたくて言っているんだろう? こんなところで策を弄するとは底が浅い女だな」
本来澄んでいるはずの彼女の瞳が濁っていく。まるで瑞々しい花が萎れていくさまを見ているようだった。
――見ていられないな、これは。
アンリという男を見ていると、同じ男として大層不快になる。あれが婚約者では、さぞや彼女も苦しいだろう。
「……失礼。そちらは僕が使わせてもらおうかな、お嬢さん」
彼は真珠の耳飾りとワインビネガーのグラスをさっと取り上げた。
不意のことに驚いたマルグリットが、彼を見上げて目を丸くしている。その表情は、彼の想像よりも案外、愛らしかった。
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