第4話
ウォドセフは村外れの砂浜に座って海を眺めていた。
村は砂浜の上に作られ、ほとんどの村人たちは漁を生業としていた。今も、海の上にはいく艘もの小舟が出ていて、漁をしている。
「ちょっと不貞腐れてないで、会いに行こうよ」
ウォドセフはエレーネの言うように不貞腐れていた。それは、村に帰ってきたというのに、村人たちから何の反応もなかったからだ。よく帰ってきたと褒められはしないと思っていたが、なんだお前が帰ってきたのかという反応すらなかった。まるで、そこには誰も存在しないかのような反応だったのだ。
長年いじめを受けていたウォドセフですらそんなのは初めての経験で、実はかなりショックを受けていたのだった。
「まあ、いいわ。そしたら、私が話を聞いてくるから。ここにいなさいよ」
エレーネはそう言って、村の方へ歩いて行った。
ウォドセフはエレーネが去った後もしばらく海を眺めていると、背後から肩を叩かれた。
エレーネが帰ってきたんだと思って何も答えずにいると、その人は回り込んできてウォドセフの正面に立ち、手を差し出してきた。
その恰好を見ると、エレーネの姿ではなく、村人の古ぼけたチュニック姿だった。ウォドセフは嬉しさが込み上げてきて、意気揚々と顔を上げた。そして、すぐに絶句した。
「母さん……」
母は目の端に皴を作って優しく笑いかけていた。
ウォドセフは促されるまま手を取って立ち上がる。
「──ひさしぶりだね」
ウォドセフは首の後ろをさすりながら、もじもじと足元を見る。
「あの、変わりない? 俺が出て行った後とか、なんもなかった?」
ウォドセフはそんなどうでもいいことを聞く。しかし、母は何も答えなかった。ウォドセフはそのことに疑問を覚えた。
母さんだったら、どんなに嫌がろうと人目を気にせず、抱き着いてくるに違いないのに……。
ウォドセフは不安になって顔を上げる。やはりそこには、紛れもない母の姿があった。しかし、なぜか目が合わない。
「母さん…?」
ウォドセフが顔を覗こうとすると、母はウォドセフの手を引いた。そして、村の方へ急ぎ足で歩き出した。
「ちょっと、母さん。どこ行くの?」
ウォドセフは村を通るのは心底嫌だったが、負い目から母には逆らえなかった。
黙って着いて行くと、母は村の道を通るのではなく、目的地へ直線的に移動していた。人の庭に入り込んだり、花壇を踏んだり、そんなことをすれば村人から何をされるか分からないのにも関わらず、家主の見ている前でも堂々とそうした。しかし、やはり村人たちはウォドセフたちには微塵も興味がないらしく、通ったことすら気が付いていないようだった。
極めつけは、目の前に壁があるにも関わらず、母は避けようとしなかった。そして、驚くべきことに、母は壁をすり抜けたのだ。ウォドセフが驚いたのも束の間、今度は自身も壁をすり抜け、家の中にいた。その家の住人はそのことにも気づいてないようだった。
どういうことだ? 見えていない? でも、エレーネは見えてたよな。それに壁をすり抜けた……。
ウォドセフは母に連れられ、何度も壁をすり抜けながら、混乱する頭を整理していた。そして、気づけばとある家の前に着いていた。そこは、ウォドセフと母の家だった。
母は木の板をつなぎ合わせただけのドアを開けた。ドアはギーと音を立て、ウォドセフはその音でかつての日々を思い出した。
外でいじめられ、走って逃げて、このドアを開ける。母は家の中からその音を聞いて、ただいまと言って、こっちに笑顔を向ける。
ウォドセフは誘われるように、家の中に足を踏み入れようとした。
「えっ?」
目の前には巨大な口があった。黄色い歯が横倒しになって並び、ウォドセフを飲み込もうとしている。
ウォドセフは咄嗟に目を閉じてしまう。
カチッという歯が噛み合わされる音がした。
ああ、食われたのか。
ウォドセフは呑気にもそう考えていた。
「大丈夫か? おい、目を開けろ。起きてんだろ」
エレーネの声だった。ウォドセフはそっと目を開けると、目の前にはエレーネがいて、そしてその奥に、家が見えていた。どうやら、エレーネに助け出されたようだ。
「今のは?」
ウォドセフが問うと、エレーネは険しい顔をした。
「心して聞いてくれよ。君のお母さんだけど、実はもう……」
ウォドセフはすぐに理解した。というよりも薄々気づいていた。
母が何かおかしかったことも、村人たちが誰も気づかないことも、壁をすり抜けたことも。母が自分に触れられることも、エレーネだけが自分を見えていたことも。
「俺も死んでるんだよな……」
エレーネは一瞬だけはっとし、顔を伏せた。
「──そうだよ。君は死んでる。あの戦場で君は死んでたんだ」
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