第2話 美人なおねーさんは放っておけない


 駅前の喧騒から少し離れた場所に、美人なおねーさんと二人で移動してきていた。

 美人さんの顔に浮かんでいるのは怪訝そうな表情。

 それでも着いてきてくれたあたり、余程困っているのだろう。

 スマホを耳に当てながらきょろきょろしていたら、軽いブレーキ音を響かせ目の前に黒塗りのセダンが停まった。


「お待たせしました。花さん」


 窓を開けて見えたのは、いかつい顔をしたスーツの男性。杉山さん。

 私は胸の前で両手を合わせて頭を下げた。


「急にすみません。どうしても、急ぎの用事ができまして、神保町のあたりだったら、お願いできるかなと」

「へい、あそこらへんだったら小道も含めて詳しいので、しっかり送らせてもらいます」


 ほっと胸を撫で下ろす。

 あとは、美人さんが乗ってくれるかだけだけど。

 私は頭を上げてから、美人さんを振り返った。


「ありがとうございます。お姉さん、一緒に乗るので、行きましょう」

「え、でも」


 安全性を示すためにも、先に車に乗る。

 相変わらず、ふわふわの座席だ。これに日常的に乗っている友人が怖い。

 私は開かれた扉の前で固まる美人さんに手を差し出した。


「大丈夫、絶対間に合わせますから」

「……わかりました」


 覚悟を決めて美人さんがきょろきょろと車を見回しながら、中に入ってくる。

 扉を閉めて、すぐに車が動き出した。

 これでも問題のほとんどは解決したようなものだ。

 ちらりと隣の美人さんを見る。ぴんと背筋を伸ばして、険しい顔で前を見つめていた。見るからにキャリアウーマンな女性だ。

 と、隠れて見ていたのを咎めるように、スマホの画面にメッセージの通知が来る。

 表示された名前は、この車を寄こしてくれた本人からだった。


『急に電話してきたと思ったら、迎えに来てとか、便利屋じゃないんですけど?』

『ごめん、今度のお休みに遊びに行くからさ』

『その言葉、忘れないでよ』


 これは早いうちに予定を組まないと、怒らせることになる。

 私は苦笑いを口端に浮かべつつ返事を書き画面を伏せた。

 神保町まではもう少しかかる。緊張している美人さんに話しかけた。


「神保町ってことは、本とか印刷関係の仕事なんですか?」

「あ、一応、デザインをやらせてもらっていて、今度大きなお店のディスプレイをさせてもらえそうなんです」

「おー、カッコいい。その関係で神保町なんですね」

「はい」


 まだ硬いが先ほどより表情が柔らかくなる。仕事が好きなタイプのようだ。

 うんうん、やっぱり美人さんは柔らかい表情の方が良い。

 緊張した顔も美しいけれど。


「私の知り合いも、神保町でお店してるんですよ。ジャダーイってお店なんですけど……」

「え、そこ、知ってます! というか、今から行くのが、その店なんです」

「ええ? 本当ですか? すごい偶然ですね!」


 まさかのジャダーイに行く人だった。

 美人さんは目を丸くして、こちらを見ている。

 私もびっくり。

 目と目が合った瞬間に、二人して大笑いをした。


「いやー……すごいな、こんなことあるんですね?」

「ほんと、びっくりしてます」


 漏れてきた涙を指先で拭く。

 美人さんはすっかり、落ち着いた様子だ。

 と、今まで黙っていた杉山さんとバックミラー越しに目があった。


「花さんは多いんじゃないんすか? いつも人助けばかりしておりますから」

「いやいやっ、そんな大したことはしてないよ」


 ぶんぶんと顔の前で手を振る。だけど、杉山さんの言葉に、美人さんは座席から身を乗り出して興味津々の様子だ。


「そうなんですか?」

「花さんは稀にみる御仁ですわ」

「あはははは、普通の会社員なんだけどね」


 もう笑って誤魔化すしかない。杉山さんの中の私は、きっと彼が仕えるお嬢様の影響だろうから。

 御仁なんて、言われたことがない単語すぎる。普通のOLには荷が重い。

 私はスマホの時計を見てから、話を振った。


「これなら、ぎりぎり間に合うんじゃないかな?」

「五分前を目指してます」

「本当ですか? ありがとうございます! 本当に、助かります」


 杉山さんは当然と言うように頷いた。さすが、詳しい人は違う。

 美人さんも安心したように、顔をほころばせている。うん、眼福。

 私でも分かるくらいジャダーイに近づいていた。

 車が店の目の前に着く。私は先に降りて、美人さんの扉を開る。

 これくらい、カッコつけなきゃ、私はただ同乗しただけの人間だ。


「ありがとうございますっ、本当になんて言っていいか」

「いいですよ。たまたまですから。ほら、早く行きましょ!」

「いえ、この名刺だけは渡させてください」


 補助するように手を取り、車からエスコートする。

 手を離したら美人さんから名刺を渡された。

 高峰葵。たかみねあおい。デザイナーと書いてある。

 美人な人は名前まで綺麗だなと変に感心してしまった。


「あ、ありがとうございます。これ、私の名刺です」

「花山花さん」


 社会人として持っていた名刺をどうにか交換する。

 花山にもう一つ花を重ねた理由を親に問いたいところだ。

 だけど、この名前のおかげで顔を覚えられるのは早くて特徴がない人間としては助かっている。


「覚えやすいですよねー、花って呼んでください」

「はい! 後日必ずお礼させてください」

「いいです、いいですっ。早くいかないと、遅れちゃいますよ」


 私は葵さんの背中を押した。せっかく間に合ったのだから、私には構わず仕事に向かって欲しい。

 葵さんは何度かこちらを振り返りながら、出入り口に手をかける。

 そこで、再び大きくお辞儀をした。


「本当に、ありがとうございました!」

「お仕事頑張ってください」


 私は葵さんの後姿がちゃんとジャダーイに入ったのを見てから、車に戻る。

 来るまでは杉山さんが、運転席に座ったまま待っていてくれた。

 私はさっきまで葵さんが座っていた座席に座り、お礼を伝える。


「急な連絡だったのに、ありがとうございました」

「いえ、花さんのお役に立てるならいつでも……まぁ、あっしが言うまでもないことでしょうが」


 杉山さんはにっこりと厳つい笑顔を見せてくれた。

 急なお願いだったのに、この態度。頭が下がる。

 ふーっと息を吐きながら気を抜いていたら、急にスマホが鳴った。

 画面を見て顔をしかめる。


「げっ、忘れてた……」

「最寄りまで、お送りしますね」

「すみません、ありがとうございます」


 上司に伝えていた時間を大幅に超えていた。遅刻に遅刻を重ねるのはさすがにまずい。

 私の反応に、杉山さんは色々察してくれたらしい。彼に職場の近くに送ってもらうのは初めてじゃない。

 私は頭を下げながら、電話に出た。


「はい、花山です。えっと、電車が止まってまして、今タクシーで向かってます。はい、本当にすみません。思ったより時間がかかってまして……」


 謝るとき、つい頭を下げてしまうのは何でなのか。

 さすがにイラつきを滲ませ始めた上司の声に、ぺこぺこと頭を下げる。


「人のために、自分が遅刻するなんて、なかなかできないことですぜ」


 杉山さんのそんな呟きは、必死に謝る私には聞こえていなかったのだ。

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