百合世界の中心花山さん

藤之恵

第1話 平凡な花山花の日常


「おねーちゃん、起きて。時間だよ」


 甘い声。布団の上から、重さを感じる。

 これは妹の華恋が上に乗っているに違いない。

 私は眠い目を開けて光のある方を見る。


「目、覚めた?」


 私の妹はめっちゃ可愛い。

 平々凡々な私の妹とは思えないほど、めっちゃ可愛い。

 布団を頭まで被っている状態だから、まるで後光がさしているように見える。

 隙間から見える顔さえ天使な妹の頬に手を伸ばす。

 触れて、くすぐったいのか、華恋が笑う。

 笑うとさらに可愛い。蕩けそう。


「……あーりーがーとー」

「起きてないでしょ、それ。ほら、可愛いあたしが起こしてるんだよ?」

「ほんと、朝からかわいーねー……いや、いつでも、可愛いけど」


 いやぁ、ここは天国だろうか。

 布団は暖かいし、目の前には天使のような可愛さの妹。

 これはもう一度寝るしかない。

 再び眠りに落ちそうになった私の布団が、いきなりなくなった。


「おーきーてー! 仕事でしょ? あたしは香澄さんとデートなんだからっ」

「ひゃ」


 視界が急に広がった。いつもの私の部屋だ。

 ぼんやりとしている世界に、これまた美人さんを発見。

 華恋の恋人の香澄ちゃんが、困ったような苦笑いを浮かべている。

 香澄ちゃんは私の後輩でもある。

 困惑顔のまま頭を下げる香澄ちゃんは、華恋とはタイプが違う凛とした黒髪美人さん。

 朝から、いいことが続く……姉の部屋に恋人と一緒に入るのはどうかと思うけど。


「おはようございます、先輩。朝からお邪魔しています」

「香澄ちゃん、むしろ、ごめん」

「いえ、華恋を迎えに来て……流れで。すみません」


 お互いにぺこぺこと頭を下げあう。華恋は腕を組んで、ちっとも気にしていない様子。

 いや、いいんだけど。華恋がいいなら、お姉ちゃんは大抵のことは許しますけど。

 どうしていいのか分からない様子の香澄ちゃんに両手を胸の前で振った。


「あはは、そう。わざわざありがとうね。今日も綺麗な顔だわ」

「ありがとうございます」


 香澄ちゃんは、大学でも群を抜く美人さんだった。私は綺麗なものを見ると褒めずにはいられないので、学生時代から会うたびに「綺麗」と伝えている。

 まぁ、挨拶みたいなものだし。

 恋人が褒められて嬉しいのか、華恋が嬉しそうに笑った。


「ねー、香澄さん、いつ見ても美人だよね」

「わたしは華恋の方が、可愛いと思うけど」

「やっだ、香澄さん、あたしが可愛いのは知ってるー! けど、嬉しいっ」


 香澄ちゃんの言葉に華恋が思い切り抱き着く。そのまま顔をぐりぐりと肩口に寄せている。

 わが妹ながら、自己肯定感が凄い。

 香澄ちゃんも口元が緩んでいるから嬉しいんだろう。

 うーん、バカップル。美人さんと可愛いの極地のカップルだから、目の保養でしかない。

 私はそれを横目に見ながら、やっとベッドサイドに座って肘をついた。


「はぁ……朝から、妹と後輩のイチャイチャを見せつけられる日が来るとは」

「お姉ちゃん、こういうの好きでしょ?」

「好きじゃありません! 私は華恋が幸せそうしているのを見るのが好きなだけ」


 どこに他人のイチャイチャを好む人間がいるのか。

 華恋の栗毛と、香澄ちゃんの艶のある黒髪のコントラストが素晴らしいとか思わないでもないけれど。私は顔を背けつつ、言い放つ。

 香澄ちゃんが華恋に腕を回したまま答える。


「……先輩、それ、ほぼ同じ意味ですよ」

「はっ、そうだった!」

「お姉ちゃん、大好き!」

「あー、もー、うちの妹はなんでこんなに可愛いのか!」


 頭を抱える。自覚はある。華恋には全方位甘くなってしまうのだ。

 抱き着いてくる妹を受け止めていたら、時計に現実を突きつけられる。


「って、もう、こんな時間じゃん!」

「起こしてっていう時間に降りてこないから、起こしたんだからね」

「それは、ありがとう。だけど、ごめん、時間がないから、ちょっと出てって!」


 華恋を膝から下ろしつつ立ち上がる。唇を尖らせた華恋を部屋から外に出す。

 少し膨れた顔をしていたが、香澄ちゃんに任せることにする。

 こっちはデートじゃなくて仕事なのだから。


「あとで、パフェ奢ってよ!」

「はい、喜んでー! 香澄ちゃん、あと、よろしく」

「はい、華恋に悪い虫は寄らせませんから」


 華恋にパフェくらい、いくらでも奢ろう。

 扉越しの声に答えつつ、私は掛けてあったパンツとシャツを手に取った。


「香澄ちゃんも綺麗なんだから、気を付けて歩いてね。何かあったら、連絡すること」

「はーい。でも、お姉ちゃんに連絡することなんて、ほぼないから」

「そんな……自分の無力が悲しい」

「あはは、それじゃ、行ってきます」

「はーい、いってらー」


 二人の気配が遠ざかる。デートに浮かれた声が可愛い。

 と、浸っていたら、また時計に現実を教えられた。


「って、いくら遅め出勤とはいえ、遅刻するー!」


 華恋と違って平凡な私は、恋人なんぞ、いたことがない。

 私の周りは顔面偏差値が高くて、知り合いも美人さんばかり。だけど、恋人がいる人は結構少ないのだ。

 うーん、日本、大丈夫か?


 ***


 私の会社は出勤時間には厳しくない。

 きちんと規定通りの時間分働いて、仕事を終わらせれば何も言われない。

 調整が必要な時もあるけれど、基本的には自分でタイムスケジュールを組む形だ。

 なのに、私は今そのタイムスケジュールに遅刻しそうで、住宅街を走り抜けているわけで。


「まずいなー」


 駅が近づくにつれて、道路が込み始める。

 人も多くなった時点で、嫌な予感がした。


「あー、電車も止まってる。これは遅刻確定だわ……連絡しなきゃ」


 電光掲示板の表示は、私の遅刻を意味していた。

 会議とかじゃなくて本当に良かった。上司に連絡だけ済ませて、他の手段を考える。

 タクシー乗り場に目を向けると、すでに長蛇の列だけど、その先頭が騒がしい。

 ちょっと近づいてみるとタクシーの横で大声で話している人がいた。

 これまた、美人さんだ。香澄ちゃんとも、また違った美人さんは眉間に皴が寄っているのにその美貌が損なわれてなかった。


「渋滞が酷くて……はい、必ず、間に合わせますので。ええ、すみません」


 ぺこぺこと頭を下げている。どうやら、道路の込み具合に、こっちで降りて電話していた様子だ。

 彼女が乗ってきただろうタクシーの窓が下がり、運転手さんが顔を出す。


「もう、次のお客さん、乗せるからね」

「え、ちょっと!」


 それだけを吐き捨てて、タクシーが行ってしまう。

 美人さんが慌てた様子で手を伸ばすがお構いなし。

 スマホを耳に当てたまま、呆然と進んでしまったタクシーを見つめている。


「きゃ」

「タクシー列に並んでよね」


 さらに運が悪いことに、急いでいる人波とぶつかってしまった。込んでいてイライラしている人が多い。

 足を取られて転ぶ姿に思わず駆け寄る。

 ペタンと膝を内側に倒して、立ち上がらない美人さんは何が起きたか分からない様子だ。


「大丈夫ですか?」

「っ、ありがとうございます。でも、仕事に行かなきゃ」


 声を掛けたら、つーっと頬を涙が伝う。私は慌てて服やら鞄をまさぐりハンカチを差し出した。

 ハンカチを受け取りつつも、使いはしない美人さん。どうやら気を遣うタイプの人間のようだ。

 だが、美人の涙は見ていられない。

 自分の指で拭うので、私は美人さんの手からハンカチを取ると、そっと頬をに当てた。


「大切なお仕事なんですね」

「今日は大切な打ち合わせの日で、絶対遅れたくなかったのに、車は壊れるし、タクシーは渋滞で、訳わかんないところで降ろされるし……」

「それは……大変でしたね。何時からですか?」

「神保町で11時半からなんです」


 ここからすぐに車で行ってもぎりぎりだろう。

 この長蛇のタクシーの列に並んでいたら、確実に遅れてしまう。

 私は言葉を失くした。


「あー、それは……」

「間に合わないですよね?」


 普通なら間に合わない。

 間に合わないけれど、私なら間に合わせることができるかもしれない。

 スマホを鞄から取り出した。


「おねーさん、ちょっと不審な車でもいいですか?」

「え?」

「綺麗な人に泣かれると弱いんですよ」


 私はきょとんとこちらを見る美人さんに、できる限りの笑顔で笑いかけた。

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