第10話 50・50の授業術


 2組の必修授業は斯波が担当しているため、午後も続行して《火結神無》としての登板が余儀なくされた。


「はあ……すげえことに、なっちまったな……」


 選択科目や、空きコマがある生徒は、自分のクラスをほっぽり出して1年2組に見学をしに来ている。名家のひとつである鳥獣遊家の長男に《タイマンで勝った》という噂は、学園中に広まっていき、彼らはその伝説を一見するため、2組に訪れているというわけだ。


 何より斯波は、季節外れの新米教師でもある。彼の風貌は、よその講師と見比べてもあまりに若く、注目を惹き付けるだけの要素を兼ね備えている。

 が、斯波神無は所詮、【偽りの教師】だ。いつボロが出てもおかしくなく、斯波は気を揉むあまり、手のひらに人を描いて呑み込んでいる。


「落ち着け、落ち着けー……どっちに転んでも、50パーだ。色々と考えすぎるな、俺に選択肢は二つしかない」


 この期に及んでもギャンブル頼みに徹する斯波には、副担任もやれやれと呆れ気味だ。


「火結先生。もしも気忙しいようなら、私が教壇に立ちましょうか?」


 教室の扉の前で、悶々と苦慮している斯波。

 これに善意で名乗り出たマッテオだが、斯波は《提案されると反発したくなる》という歪んだ反骨精神のもと、「いいや、俺がやる」と己の頬に喝を入れた。


「季節外れの新人教師だ。舐められねえためにも、俺がやるしかない。第一あんたは、《西洋式スクロール》を解説するための、専属アドバイザーだろ。日本の絵巻のことは、日本人の俺の方が、よく知っている」


 マッテオは「ふっ」と鼻で笑った。あたかも道端のゴミクズでも見下すかのように、その視線も嗤っていた。


「ええ、存じております。しかし私は、この天妙学園に一年ほどつとめております。教員としての作法は、私の方が知り得ているかと」


 明らかに見下した態度に、斯波も反論せずにはいられない。


一年間・・・、ねぇ。そんじゃあ新人同士・・・・、俺たちは手を取り合う必要があるわけだ」


先輩・・が抜けていますよ、火結くん・・。日本では、年上に敬意を示すために、敬称を付ける文化があるそうですね。マナーの観点からも、私が手解きしてさしあげましょう」


「おやおや、マッテオ。敬意の表現方法も、千差万別なんだよ。俺がマッテオを後輩の如く君付けするのも、ある意味ひとつの敬意なわけだ」

「おやおやおや、火結教員・・。それは大変、見上げた姿勢だ。私も君に倣って、まずはドアの前で立ち往生してみましょうか? ほぅら、こう、子供のように、無様に地団太を踏んで」

「おやおやおやおや、マッテオ。俺はお前と違って、勇猛なんだ」

「勇猛と無謀は、また違う――」

「言葉ではなく、姿勢で語る。ハラキリ文化も厭わない日本男児にとっちゃ、こんなドア程度、何の足かせにもならねえんだよ」


 ようやくの決心がついた斯波は、教師らしからぬ足で扉を開けてのご入場。

 斯波は多くの生徒たち視線を押しのけながら教壇に立ち、絵巻魔法の参考書という心の支えを右手に、五限目の【技能講習】を開始する。


「よーし、夏季休暇サマーバケーションでボケた頭のお前たちに、初歩的なことから確認すっぞ!」


 表情は自信満々に、声音だけは張り上げつつも、身振り手振りは交えない。

 本物の自信は、声と顔に出る。

 反対に偽りの態度は、大袈裟なジェスチャーに出るのだ。

 かつてアリアンナにそう教わった斯波は、ごく自然に《教師》を振る舞いながら、視線を参考書に……ではなく、生徒たちひとりひとりに巡らせていく。


「まず《絵巻魔法》を使うにあたって、必要条件はひとつだけある。これが何かを、ゆっ――天上、答えてみせろ」


 結友香は頬にピキピキを浮かべつつも、「はい」と立って、自身の絵巻を手に持ち構えた。


「【開帳】――【神宮じんぐう徴古ちょうこ雑例ぞうれい絵巻】、第一巻、【神宮じんぐう御鎮座并御造替始】、第一段、【神宮御鎮座】」


 結友香が等身大の絵巻を両腕いっぱいに開いた瞬間、眩いばかりの光が結友香の身体を包み込み、その姿が一変する。


 天の羽衣、白き正装、赤く染められた裳裾スカート、額に飾られた太陽の冠。

 淡い群青色の頭髪は、煌々と輝く黒髪に染まり、双眸は赫々と神威を迸らせている。


「お見事、というには簡単すぎたか。《絵巻》は伝承の力を授けるが、それには正統な資格を持った人間が、絵巻を【開帳】しなくちゃならない。これによって、《伝説》を人の身に下ろすことができるから、【絢巻】なんて呼ばれたりしてる。だがまあ、絵巻を開くだけの【開帳】なんざ猿でもできるし、この程度で《絵巻師》は名乗れない。ステップ2――【画巻】を、そうだな……七五三掛しめかけ、やってみせろ」


 占羅も開帳して、【絢巻】を果たした。

 額には五芒星が浮かび上がり、全身には朱色の《法衣》が纏わりつく。

 頭には高位の僧が着用する縹帽子はなだぼうしが掛けられ、その頭上には、左腕に巻き付いた数珠と同じ円環が顕現している。


「火結先生。【絢巻】をしましたが、この後はどうすれば……」

「そうだな……七五三掛、天上、ここまで降りてこい」


 斯波の指示に従い、二人の優等生は講義室の教壇まで赴いた。


「よし、天上と七五三掛。いまから、模擬試合・・・・を始めてみろ」


 教師からの無茶ぶりを受けて、あわわと唇を震わせているのは占羅だ。


「ちょっ、ちょっと、先生!? 結友香ちゃんは、【天照大御神あまてらすおおみかみ】を担う絵巻師ですよ!?」


「見れば分かる、ピカピカ光って眩しいだろ。とはいえ七五三掛の《絵巻》も、なかなかに派手じゃないか」

「確かに私も、名家の一族ではありますが……流石に、格の差が……」

「【日本五大絵巻】の一柱、そんな大物とやり合うなんざ、普通は御免だわな。けどよ、逆に言えば、《七五三掛家が名を馳せるチャンス》でもあるんだ」

「いっ、いやっ、だってそんなの……恐らく私の勝率は、100回やってもっていう……0.数パーセントに過ぎないでしょうし……」

「いいや、それは全くの見当違いだぞ、七五三掛。勝つか、負けるか。七五三掛の勝率は50%だ。この一世一代の大博打を蹴る理由が、七五三掛占羅にはあるっていうのか?」


 全く荒唐無稽な口車ではあるが、ハッキリと提示された二つのみの選択肢は、占羅の不安を拭い去った。


「火結先生……本当に、いいのですか?」


 突然の生徒同士の決闘に、副担任マッテオも不安を隠せていない。それでも斯波は、自信をもって頷いてみせた。


「絵巻師には何ができて、どんな神秘が隠されているのか。夏休みでボケた頭を叩き起こすには、この方がいいだろ。多少刺激がある方が、競争力も高まるってもんだ」

「確かに……それは、否定しませんが……」

「もしもの場合は、俺が止めに入るさ。学園長に大目玉を食らいたくねえからな」


 彼自身が責任を持つというのなら、マッテオも必要以上の異論は上げない。

 二人の意見も合致したところで、二人の少女たちも支度を終える。


「【天照大御神】と【鉄門海上人てつもんかいしょうにん】……いずれも、異なる時代の伝説・・だな」


 結友香は右手を上に掲げ、占羅は瞳を閉ざして瞑想している。

【天照大御神】の一撃に立ち向かうのは、最高位の僧【鉄門海上人】だ。

 これが伝説同士による直接的な対峙であったのなら、力の差は歴然だっただろう。

 だが、二人の少女は【絢巻】しているに過ぎず、神や僧そのものではない。


 絵巻師として積み重ねてきた努力、技量、実力に差があるのなら、【大御神倒し】をも成し遂げるはずだ。

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