第9話 239円の昼休み
物価高が叫ばれる近年においては、ワンコインで牛丼並盛も食べられない。
「ぐうううっ……財布がすっからかんなこと、忘れてたぜ……」
王道の焼きそばパンにカツサンド、小腹を満たすアンパンにメロンパン、得てして女子たちの野望を叶える豆乳のパックジュースや口内炎撃退のオレンジジュースまで完備されている。
ともあれ斯波は、全財産239円で購えるだけの栄養源を確保していく。
欲を言えば食堂でお昼を取りたかったのだが、たった239円では学食のおばちゃんに『おとついきやがれ』と門前払いを受けてしまう。
パン耳ラスクと、たまごサンド。
悲しくも若き教員の昼飯は、質朴を超えて貧相なラインナップに留まった。
「あっ、斯波お兄さ……火結先生!」
ラスクを齧りながら学園内を彷徨していると、斯波は見知った後輩に呼び止められる。
「おーっ、
真っ白な頭髪を持った
「占羅氏よ。先生との会見は、事前に予めお取り計らいをするべし、との心得がよろしいかと存じる」
「ふわぁ~……眠たいよう、占羅……」
いずれの少女も初対面だが、クラス名簿と顔写真を叩き込まれた斯波には、二人の素性もしかと掴めている。
先に口を開いた少女が、
そして眦を擦っている少女は、
奇妙にも彼女の絵巻は長髪にクルクルと巻き付けられており、あたかも装飾品の一つのようになっている。
「武蔵坊と小馬、お前たちも【
「あれ? 火結先生には、説明してませんでしたっけ?」
「どっちも、全くの初対面だな」
「あわわっ、すみません……つい紹介が、遅れてしまい……」
「気にすんなって。占羅の友達なら、俺の友達みてえなもんだ」
通常、天妙学園の生徒は、入学時に販促される《天妙学園学生服Aセット》か、《天妙学園学生服Bセット》を着用する。
Aセットが、結友香や占羅が着ているシャツにブレザー、スカートといったオーソドックスな学生服だ。男女別に購入完了で、学園の徽章や絵巻留め具などの小物も付いてくる。
Bセットは、越嘉の着用している和風モダンな学生服だ。ブレザーはウエストを絞ったタイトなデザインで、下衣はフレアスカート。襟元や袖口、スカートの裾には絵巻模様が配され、和と洋の華やかさが演出されている。リボンや帯にも絵巻のモチーフが施され、統一感を持たせている。和装に慣れていない生徒でも着やすい一品に仕上げられている。
服装は違う彼女たちだが、三人には共通した特徴がある。
それが、胸元につけた学園の徽章だ。
天妙学園の生徒は、その身元を示すために徽章の着用が義務付けられている。
そして学園の徽章は、上から垂れるように描かれた《下がり葵》だ。
だが、占羅たちの徽章は一般生徒とは異なる《下がり三つ葉葵》。
東と西からも葵の葉が顔を覗かせており、その三つ葉葵はかつての《徳川紋》を彷彿とさせる。栄華の中にある天妙学園の守護を意味する【全景納絵団】には、相応しい紋様だ。
「御対面に預かり候、火結神無氏。一年三組、武蔵坊越嘉と申す。取るに足らぬ武蔵坊家の者にて候が、納絵団に所属いたしておる次第。今後ともよろしくお願い申し上げ候」
「……???」
由緒正しき武士としての言葉遣いなのだが、斯波は異国の言語の様に聞き取った。
イントネーションには跳ねた訛りもあって、現代日本語に馴染みのある斯波には、何と言っていたのか、名詞以外は吹き飛んでしまった。
「越嘉、どうか口調を崩してくれないか。俺、学生の頃も古文は赤点だったんだよ」
「では、このように。如何なる場合も、その通りに致しまする」
斯波は顔を引き攣らせながらも、差し出された越嘉の手を取った。
「んんっ……んにゅぅ……」
そして彼女の隣では、立ったまま
「こら、藍夢ちゃん。先生の前だよ」
占羅に身体を揺さぶられて、藍夢はようやくの眠りから覚めた。
「ふああ……おあよう、占羅。お昼は、終わった?」
「まだだよ、藍夢ちゃん。ほら、先生に挨拶しないと」
「えっと……だれ?」
「ああ、俺は2組の担任をしている、火結神無――」
「ううん、ちがう。たしか、わたしの名前って……」
「小馬藍夢でしょ! ……すみません、先生。藍夢は寝ぼけてる時が、特にひどくって」
紫色の寝ぼけまなこを擦っている藍夢は、またすぐにうつらうつらしている。
この度が過ぎたお寝坊気質は、決して彼女が怠惰ということではなく――いや、怠惰である可能性も捨てきれないが、【小馬家】の特性と見るのが妥当だろう。
かつて清少納言が絵巻に書き記した【
「【全景納絵団】とは、要するに都市の《風紀委員》だな。幻都最高峰の学園だからこそ、都市の守護も仰せつかっている。所属は、三番隊……ちょうどこの中央区につとめているのか。高校一年生だと、そろそろ《見習い》も卒業だな」
占羅は「はいっ!」と、自信を誇示するかのように《団員手帳》を持ち構えてみせて、
「中等部の頃は資料整理とか、捕縛用具や、警備用具の整備ばかりでしたから! 雑用係を乗り越えて、ようやく、幻都の
ピクッと眉根で反応し、好ましからざる一瞥を向けたのは越嘉。
「らしいとは言わぬ、守護者としての責務を果たすべし。
「わ、分かってるよ! でもほら、いままではずっと、雑用係だったし……」
「然るに、是れ我ら団員の差配なり。門番に給仕、畑仕事、物見や馬丁の務めに従いて、草鞋を温めんこともあろう。如何なる命であれ、我らは身命を賭して臨まねばならぬぞ」
越嘉に見咎められて、占羅は「たはは」と毒気を抜かれた笑いをこぼす。
おっとりとした気風の占羅とは正反対に、越嘉は廉直な性分だ。たとえ相手が親友でも、教師でも、
「あっ、藍夢ちゃんは、どう思う!? ほら、現場に出られて、嬉しいとか!」
「んにゅっ……んううゆ……」
耐え兼ねて藍夢に逃げた占羅だったが、悲しくも藍夢の意識は夢の彼方だ。
「占羅氏よ、承知の通りか? この場、この時に賊が襲来すれば、我らは死を賭して臨まねばならん。苛烈なる戦の中においても、たゆまぬ心を持ち、刀を取ることこそが武士の役目ぞ。我らは誉れに心酔するのではなく、義勇のために刃を交え――」
更なる武士の追い打ちが続き、「ひいいいいぃっ!」と阿鼻叫喚する占羅。
藍夢の背中に隠れてみせるも、越嘉は斟酌なく武士としての説示を重ね浴びせる。
そのカオスの中にあっても、どちらの側に付くこともなく、我関せずと眠りこける藍夢。
一見するとちぐはぐなトリオではあるが、斯波には彼女たちの絆が如実に見て取れた。
「さあて、俺もそろそろ行くとするか……」
「あっ、火結先生!? ど、どちらに行かれるのですか!?」
占羅も斯波についていこうとしたが、「占羅氏。公務は如何に御座候ぞ」、越嘉に襟元を掴まれて断念した。
「いんや、もうじき《雷》が降ってきそうでな」
「雷? 空模様は、真っ青ですが……」
「ああ、俺の顔色も真っ青だよ。そんじゃあ、また後でな」
斯波が視線を上げた先、そこには校舎の屋上から、刺すような視線を浴びせてきている結友香の姿が。恨めし気にアンパンを口に加えているが、その頬に浮かんだピキピキまでは隠しきれていない。
自分以外の女の子と話していることへの嫉妬だ……どうやら、斯波のあずかり知らないところで、新たな雷神さまが誕生していたらしい。
「姫、どうして怒っているんでしょうか……」
斯波が屋上に送った独り言にも、結友香はただ睨むだけだった。
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