第4話 最弱の教師と最強の学園


「すーっ……」


 斯波は講義室の上段で身を乗り上げている結友香にまず気が付き、ここはB級ゲームの悪夢ナイトメアなんじゃないかと頬をつねり、しかしいよいよ現実なのだと分かると、まずあの胡散臭い金髪上司に怒りが湧いた。


『案じずとも、あの子とは別でありんす。主にとっては、二年ぶりの学園生活でありんすねぇ。煩雑なことは頭から外して、伸び伸びとやっておくんなまし』


 まったくのウソ、まったくの戯れ事だ。アリアンナは斯波の慌てふためく顔が見たさに、《別クラスに》なんて欺瞞を吐いたに決まっている。

 こんな性悪なサプライズをもらえば、斯波の顔は歪みに歪んだ。


「どうして、斯波にぃ――」

「よおおおおぉっし、今日は天気がいいなぁーっ! 病は気から、絵巻も気から、博打の運勢も気の持ちようだ! さあ皆さん、今日も元気に、おはようございまーすっ!!」


 顔に冷や汗をダクダクと流しながらも、斯波は強引に結友香の声を遮る。

 この学園にいる限り、自分は【火結神無】だ。

 本名を口にされては《任務》に支障が出るし、第一、これだけの教え子たちの前で『斯波にぃ』なんて呼ばれてしまっては、自分にロリコンの目を向けられてしまう。


 二人はどういった関係なのか。結友香と斯波の付き合いを掘り下げていけば、それは即ち偽物教員の暴露にも繋がり、《任務》は根底から破綻する。


 とどのつまり、斯波最大の障害を乗り越える秘訣は、気合いと勢いに他ならなかった。


「結友香ちゃん、アレって……」

「うにゅぬにゅぬっ……許さない、許さない、許さない! 斯波にぃ、わたしを騙して、びっくりさせてやろうとか思ってるんだ。ふんっ……ほんとに、知らないんだから!」


 心配そうに見つめる占羅と、全力ピキ顔の結友香はさておき、斯波はいまも空元気で、偽りの教鞭を執っている。

 一限目は歴史で、新学期開始の振り返りとしてもちょうどよい。

 斯波が取り出した参考書には、組織が下準備したであろうマーカーや付箋が、これでもかと引いたり張られたりしていて、斯波はその手引きに従うだけのBOTと化した。


「《絵巻》――それは古代から中世にかけて日本で発展した芸術の一形態であり、物語や歴史、風俗などを描いた巻物状の絵画。しかし、《絵巻》はただの芸術の域に留まらず、非物理的な法則が含まれている」


 教科書に忍ばせたカンペを見つつ、斯波はいかにも教師らしい振る舞いで説明を続けていく。


「特定の血脈、特有の人種によって、《絵巻》はその真価を発揮し、妖術、呪術、神術、降霊術などを使役できる。日本において、これらは……」


 しかし、斯波はそこまで読み上げると、はあっと肩を落として教科書を伏せた。

 どうしたのかとざめわく生徒たちにも、斯波の気怠い態度は変わらない。


 やっぱり、教師は無理だ。

 そもそも自分は、誰かに教えるのが絶望的に向いていない。


 そう分かったからこそ、斯波はあくまでも自分らしく、独りぼっちスタイルを貫くことにした。


「日本は、文化と歴史が多様過ぎてな。《何々術》なんて細分化していったら、何百種類にもなっちまった。そんなのは、なんつーか、とっつきにくいだろ? だから、えーっと、鎌倉あたりから《絵巻術》なんて呼ばれるようになったんだっけ? どんな力であれ、絵巻を使うことになるからな。そんで、絵巻を使うやつらを、《絵巻師》と呼ぶようになった」


 教師らしからぬ噛み砕いた表現ではあるが、生徒たちにはむしろ好感触だった。

 教科書に載っていることをただ読み上げるだけなのなら、AIでいい。

 火結神無という男の適当さと、歴史の分かりやすさが紐付いて、生徒たちは偽りの教員の言葉に耳を傾けていく。


「火の絵巻を使えば、火が生み出せる。水の絵巻だと、水を操れる。だけど、絵巻っつうのは、基本的には【秘伝】なんだ。代々として受け継がれていった、一族限定の秘密兵器。言っちまえば、お前たちが背負っている絵巻は、《ルーツ》であり、《誇り》でもあるわけだ。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんから受け継いできた《絵巻》には、ご先祖様の【物語】が内包されている。この幻都に集められた学生は、およそ一九〇万人。そのすべてが、《絵巻》を扱える《絵巻師》――お前たちは、未来のホープってわけだ」


 自分たちが国の希望と囁かれて、顔をしかめる者はいない。

 果たして斯波の弁舌は、生徒たちからの好印象を掴み取るに至った。


 彼はいつも、無自覚で他者からの興味を惹き付ける。しかし、《自分だけの斯波にぃ》がみんなのものになっていく感覚を嫌って、結友香だけは、やっぱりピキピキ顔だった。


「だがまあ、いまに至るまで日本は安泰だったわけじゃない。黒い船に乗って、外からは《西洋の絵巻師たち》――スクローラーがやってきた。外国にも、絵巻スクロールの文化はあったんだ。彼らは、スクロールの原理や技術に貪欲で、日本は後れを取っていると分かった。つまり【幻都】は、その対抗手段ってわけだ。それから諸々あり、【メイジ時代】を迎え、絵巻師たちもグローバルに適応していった。絵巻を使う異能を、【絵巻魔法】と呼んだり、俺たち絵巻師を、【スクローラー】と呼んだり、細部まで拘り、知識と技術を磨き上げていった。そしてお前たちは、この幻都で研鑽を積み重ね、やがては国の――」


「いつまで、能書きを垂れてやがる。かくいうあんたは、オレたちよりも強えのか?」


 突如として、ある男子生徒が怒りを剥き出しにして立ち上がった。

 鋭い眼光をもって斯波を睨み据えている少年の名は、鳥獣遊ひとなし《玖然くぜん》。

 茶髪と緑髪のハーフツインカット、そして茶色く揺らめく眼光にも、どこか自然臭さを感じさせる。剥き出しになった闘気は斯波へと定められ、鳥獣遊はコツコツと階段を降りていっている。新米教師へと、一戦手合わせに臨むつもりなのだろう。


「この《天妙てんみょう学園》は、幻都でも最高峰の絵巻師が集う、名門中の名門だ。担任は生徒に舐められねえように、自分の流派やら血筋やら絵巻やらを開示するのが、この学園での一般常識プリンシパル。だのにてめぇは、未だに絵巻のひとつも見せやしねえ。見たところ、オレたちとそんなに歳も離れていねえようだが……あんた、本当に《教師》なのか?」


 鳥獣遊が講義室の最下段まで着き、教壇の斯波と一触即発の空気を漂わせる。


「結友香ちゃん。たしか、あのお兄ちゃんって」

「斯波にぃは、絵巻魔法を【使えない】。昔から、そうだったんだもん。斯波にぃは《劣等生》って呼ばれていて、いつも補講ばかりだったのに……斯波にぃは、どうやって先生になったんだろう……」


 占羅と結友香が懸念するところ、当の本人である斯波も、己が落ちこぼれ絵巻師であることを自覚している。

 学生生活での長期休みは、教員からの熱い補講の呼び出しラブコールが当たり前。

 たったひとつの《絵巻魔法》を行使することも適わず、周りからの評判は下の下、それでも斯波が《天妙学園》への入学を果たせたのは、その【禁じ手】にある。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る