第3話 ピキピキ顔の待ち人

 幻都の年代別人口割合は、学生が八割を占める。


 斯波やアリアンナなどの一部の《関係者》、そして保守・点検業務に準じる大人以外は、全て学生である。たとえば、コンビニやスーパーなどの小売店で導入されているサービスボットの《エマキロイドα》。従来の人型アンドロイドではなく、絵巻を模した外見で、縦軸を駆動させて床を滑って移動する。巻紙にはLEDパネルが搭載されており、顔文字を模した多彩な表情を見せてくれる。


 顧客の案内や商品の説明はもちろん、内蔵された駆動アームで、商品の補充や陳列も可能。顧客とのコミュニケーションを取ることもでき、絵巻たちのバリエーションも豊か。


『平家物語』や『源氏物語』など、伝説を題材にした【物語絵巻】は、顧客に頼まれれば巻紙を展開して昔話を始めることもできる。

『太平記』や『群馬合戦』など、歴史上の出来事や人物を描いた【歴史絵巻】も、顧客の知識欲を掻き立てる。

『大江戸風俗』や『好色一代男』らの【風俗絵巻】は、江戸時代の日常風景や生活様式を描いた絵巻であり、仏教の教えや伝説を題材にした【仏教絵巻】、自然や風景を描いた【山水絵巻】も捨てがたい。


 これらのサービスボットを統率するのは、商売繁盛を象徴する神【恵比寿】を模したAIの【エビスロイド】。右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱えたおべっさんの外見は、えびす像を忠実に再現されている。一店舗につき一体は配置されており、また滅多に姿を見せないことから、学生たちの間では人気のマスコットにもなっている。見かけた時には、彼の逸話にあやかって、肩や背中を撫で【福】の恩恵を借りようとするのだとか。


 街には清浄と安全の神、【塩土老翁しおつちおじ】をモチーフとした《エマキロイドβ》が清掃中。水陸両用の優れもので、地上では絵巻型、水上では船型になってゴミを拾い集める。また、ごく低確率で《塩をまく》機能が実装されており、【塩土老翁】の清らかさと安心安全に惹かれて、休日では《エマキロイドβ》の塩拾いをする学生たちもいるのだとか。


 しかし、今日は8月25日金曜日、現在時刻は9時32分。

 とっくに登校時間は過ぎており、新学期開始の挨拶もちょうど終わっている頃だろう。


「ダメだ、想像がつかねえ……そもそも、俺って教師ができるのか?」


 アリアンナからの通達によると、斯波が割り当てられたクラスは1年2組。

 4歳下のガキ共に、講釈を垂れる俺――博打の必勝法でも教えてやろうか?

 そんなロクでもないことを考えながら、斯波はピッカピカのビジネスバッグを肩に担ぐ。

 中には教員用の参考書や教材が多数、もちろんどれも新品だ。

 教育という鞭を振るったこともなければ、人前に立ってご高説あそばせたこともない。


 教師の趨勢も見えず、教育者としての吟じなんて高尚な信念も宿していない斯波だが、彼には重要な任務が託されている。そのためには、己の述懐をも殺して、【臨時教師】に則するしかない。


「まあ、結友香とは別クラスらしいし……そこまで、悩むことでもないか……」

 燦々と照り光る夏の日差しを一方的に浴び続けながら、偽りの教師は幻都天妙絵巻学園へとそぞろ歩く。


 一方その頃、学園では新学期の挨拶も終わり、各生徒が自分のクラスへと戻っていた。


「ねえ、結友香ちゃん? 今朝から、ずっと機嫌が悪そうだけど……大丈夫?」


 七五三掛しめかけ占羅うららが、結友香のピキピキ顔を覗き込む。

 雪のように輝く銀髪、星空を思わせる深紫色の瞳、彼女よりも20cmばかり高い中背の占羅は、結友香と中等部からの付き合いがある。特に、この《結友香顔》は心を寄せている相手にしか見せず、好意からの焦りや苛立ちによるものだとも知り得ている。

 結友香と出会ってかれこれ三年、占羅は幾度となく《彼》の話を聞かされてきたのだ。


「斯波にぃが、二年ぶりに帰ってきたの。そしたらね……ほらっ! 学園の【臨時教師】になるとか何とか……聞いても答えてくれないし、本当に、どういうつもりなの……っ!」


 結友香が鬼のメッセージ連打を繰り返すが、斯波からの返信は一切ない。こうなることを見据えて通知を切っていた斯波は、なるほど、幼馴染の扱いを心得ているらしい。

 しかし、メッセージ文にある【門外不出】、【口外禁止】という重大な四文字熟語すら安易に破っていることには、さしもの斯波も考え付かなかっただろう。二人だけの極秘情報はいま、第三者の占羅へと事もなげに語り明かされている。


「ええっ!? 斯波お兄さん、先生になったんだ……」


 占羅は二年ほど斯波との付き合いがある。結友香が不自然な理由をつけて自分の誘いを断ったことを不審に思い、こっそり後をつけていったところ、年上の先輩宅に辿り着いた。その時のまあ、結友香の幸せそうなピキ顔といったら……。


 いくら当初中学生の占羅でも、結友香が寄せる斯波への想いなどは、問うまでもなく察しがついた。

 以降、占羅も結友香と一緒に先輩宅に上がり込み、三人で遊ぶこともあった。


「そう! 今日から【臨時教師】をつとめるんだけどね、詳しいことは、何も教えてくれなくって……」


「《非常勤講師》なのかな? そう言えば新学期の挨拶でも、何人か先生の異動があったみたいだし、すこし慌ただしいよね」


「なにが起きているのって、何度もメッセージを送っているのに……ぐにゅぬにゅぬっ! 斯波にぃ、どうしてわたしを無視してるの? 次に会った時、絶対にただじゃおかないんだから……っ!」


 結友香たちが講義室に戻り、ホームルームを待っていると、ガラリと音を立てて、若き男子教員が入ってきた。


「えーっ、あーっ……今日から、このクラスの担任をつとめる、火結ほむすび神無かんなでーす。以降、なにとぞ、なにとぞ、お見知りおきを――」


 やる気のなさそうな黒目、冴えないぼさぼさの黒髪に、怠さが見て取れる猫背。

 どこからどう見ても、《彼》は結友香のよく知る幼馴染だった。

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