第一章 絵巻師たちの街、幻都

第2話 運命の神様に見放された男

「主は、また借金をしたそうでありんすねぇ。その負債はわっちらが負担してあげているとはいえ、主はわっちらに借金を負う。まちっと、慎重に賭け事をしなんし」


 斯波の隣で新台、もとい、同じ図柄を並べて、一攫千金を狙う男の夢スロットを打っている女は、アリアンナ・マリーノ。胡散臭い金髪パーマを揺らしながら、機械的な手つきで目押しを繰り返している。その瞳は快晴の蒼穹のごとく青く澄み、背丈はヒール込みで178cmもある。容姿端麗、賭博没頭、頭脳明晰な彼女は、明らかに偏った方言を覚えてしまっており、アリアンナは外国人らしからぬ和の風韻を漂わせていた。


「勝つか負けるかは、《50%》。俺は、あんたの教えに従っただけだぞ」

 同じく斯波も目押しをしているが、彼の画面は一向に光らない。

 スカを繰り返すばかりで金だけが溶け、その不運を嘲笑うかのようにアリアンナが激熱へと突入する。まるで彼女の負けを、斯波が肩代わりしているかのような偏りだ。


「人生とは、常に50%――引き分けなんて存在しない、勝つか負けるか、その一髪千鈞の大勝負に身を委ねてこそ、人生というゲームは光り輝く。わっちの助言を、よく心得ているようでありんすねぇ」


 きな臭い語調で縷々と喋り明かしている彼女は、これでも一応斯波の上司だ。

 猛暑の夜、公園でホームシックならぬホームレスを決めていた斯波を自身のマンションへと招き、汗臭い斯波をシャワー室へと叩き込み、やつれた彼に手料理を振る舞った。


 幻都が率いる暗部の【極秘部隊】――通称【墨絵】。

 僅か二人で編成されている彼ら【墨絵】部隊は、幻都を脅かす敵勢力を駆逐する。

 賭博師だてらに《臨時教師》に抜擢された斯波は、とある任務を遂行中なのだ。


「それにしても主は……恐ろしいほどに、運命の神さまに見放されていんす。どうして、そこまで、負け続けられるのか……」

 斯波はこの30分で、既に10枚もの紙幣を溶かしているのに、当たりは0。

 ここまでくると、不運が神懸っているとしか言えない。

「俺はまだ、20歳だぜ? 平凡な人間として生きていくはずが、進学先の幻都絵巻大学は中退……さらにこの二年間は、世界中を駆け巡る日々ときたもんだ」

「つまり、ストレス発散には、うってつけでありんしょうか?」

「元はと言えば、あんたが教えてくれたことでもある。……裏の世界なんて、俺には無縁だったからな。こうしていると、勝ち負けの【50%】が、身に染みていくんだ」


 死んだ目つきのまま、ひたすらに指先を左から右に滑らせていく斯波。

 彼は高校を卒業してからの二年間、《普通》とはかけ離れた世界に身を投じていた。

 アリアンナと知り合ったのも、結友香と連絡を絶ったのも二年前。

 平凡な男子高校生が、幻都の暗部に招かれたのも、斯波が【異端】だったからだ。


「斯波家――室町幕府将軍足利氏の一門で、予てより日本国の守護者として仰せつかった。斯波神無……いいや、【禁絵巻イマジンスクロール】を使用できる斯波家の血を引く者は、主一人になってしまいんした。本来は、長男の・・・斯波無限が、つとめを果たすはずでありんしたのに」


「別に構わないさ。兄貴は、任務で死んじまった・・・・・・・・・んだろ。だったら、俺が担うしかない」


 脳裏にある人物を思い浮かべると、斯波の指先はピタリと止まった。


『斯波にぃ! ねえ、ねえ、つぎはどこに連れていってくれるの!』

 幼い頃から常に見守ってきた、ある少女の笑顔――。

 結友香あいつの笑顔を守るためにも、自分が【墨絵】に従事しなければいけない。それだけが、自分がいま生きている理由なのだから。


「おや……主のスマホが鳴っていんすねぇ」

 胸ポケットから響くタイマーの音で、斯波は我に返った。

 早くも賭博師には、《教師》としての出勤時間が来てしまったらしい。


「組合への返済は充てておきんした。次の50%も、負けを引くことを願っていんす」

「俺も負けたくて負けてるわけじゃねえんだが……それより、俺が担当するクラスは」

「案じずとも、あの子とは別でありんす。主にとっては、二年ぶりの学園生活でありんすねぇ。煩雑なことは頭から外して、伸び伸びとやっておくんなまし」


 ギリ合法な第四号営業店から出て、斯波は生徒の影が消えた炎天下の街並みを歩んでいった。

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