落ちこぼれ賭博教師と未完の禁絵巻

ぶらっくそーど@プロ作家

プロローグ

第1話 未完の禁絵巻


 人生とは、常に勝つか負けるのか50%である。


 そんな売れない誇大広告ハイプじみた信念を持つ彼、欺波しば神無(かんな)は、朝の三時間で20万円を溶かし切っていた。


「ぐううううぅ……あり得えねえ! この俺が、負け続けるなんて……っ!」


 今年で20歳になった彼は、何もそこまで非合法イリーガルな悪事に手を染めているわけではない。

 ただ、お金を投入すると出てくる銀色に輝く不思議な玉を打ち続ける台に、あれよあれよと一万円札、もとい日本人の心の支えを湯水のごとく投入し、そんな正気の沙汰とは思えない動作を20回連続で繰り返したら、貯金が0になっていただけだ。


 こんなことは、あり得ない。負けの50%を引き続けるなんて……っ!


 斯波は、自分の身に不運が付き纏っているのだと錯覚し、黒猫を蹴散らすように近くの空き缶を蹴り上げる。すると、壁に跳ね返った空き缶は見事に顔面へとカムバックした。


 あまりにも不幸。あまりにも惨め。

 兎にも角にも斯波神無は、運命の神さまに見放されたような男だった。


「クソ、金の切れ目が運の切れ目……となると、いよいよこいつでも売るか」


 斯波が懐から取り出した物は、お金に換えられる素敵な四角い特殊景品――ではなく、幻都天妙絵巻学園の【臨時教師】、その教員免許証だ。


 もちろん、まだ20歳である斯波に教員免許を取得することは《通常》不可能であるが、この日本四大都市の一角である《幻都》においては話が別だ。

 日本中から優秀な【絵巻師スクローラー】が集う、絵巻都市――通称、《幻都》。


 人々は背に等身大もある【絵巻】を背負い、空には《獅子舞の妖巻使い》たちが幻都の警備をつとめている。地上では、巻物仕掛けのエマキロイドたちが、清掃や保守・点検業務を担っている。

 まさに幻影じみた和の世界には、この景観を台無しにする無骨な四輪駆動車が走っていれば、幾重もの高層建築物も存在感を発揮していて、幻都の空を占有してもいる。


 科学と幻と現実が交錯する2056年、8月24日木曜日。

 斯波の暗い胸中など斟酌することもなく、夏の青空は煌々と澄み渡っている。


 ああ、なんて憎たらしい晴れ空なのだろうか。《幻都》の教員免許証は、通行許可証や身分証明書にもなる。これを闇市ブラックマーケットにでも流せば、割といい値になるんじゃないか。

 そんな教師らしからぬ打算を立てている斯波は、ふと免許証を懐に隠した。


「えっ……斯波にぃ? ……斯波にぃ、だよね?」


 きょとんとした顔で斯波を見つめている少女は、天上結友香。

 彼女の淡い群青色の頭髪は、夏の日差しでキラキラと煌めいている。前髪には左右にぶらんとおさげが伸びており、ポニーテールは頭の後ろで揺れている。青い瞳には「?」と困惑の色が漂っていて、なぜここに斯波がいるのかと結友香はジィっと睨んでいる。


 今年で16歳になる結友香だが、背丈は低く、中学生にも間違われる童顔だ。

 こんな見た目をしている結友香だからこそ、彼女が4歳差の《幼馴染》なのだと、斯波も直ぐに気付いた。


「斯波にぃ? ねえ、ねえ、斯波にぃだよね!」

「えー、あー、うー……」

「いままで、どこに行ってたの! 高校を出てから、全然、連絡もつかないし……」

「ひっ、人違いではないでせうか?」


 ピキリッと、結友香の頬っぺたには漫画でしか見ないような怒りマークが浮かび上がる。

 この《結友香顔》もおよそ2年ぶりで、斯波は懐かしさよりも、彼女の尻に敷かれるという武士のごとく潔い諦めの念を懐いた。


「ね、え。し、ば、に、ぃ?」

「ひ、ひぃっ! ど、どうかっ、命だけはご容赦をっ!」

 斯波が思い切った侍土下座に徹するも、結友香のピキピキはいっそうと頬に増えていく。

「斯波にぃ……今年で、20歳だよね?」

「へ、へい、それがしはハタチを迎えましたが……あっ?」

 ふと斯波が顔を上げると、そこには結友香の桃源郷――もとい、《煩悩の天蓋スカート》の中に潜むクマさんパンツが、ただならぬ存在感を発揮していた。


「げ、げふんっ!!?」

 すかさず足裏で斯波の頭部を踏み付ける結友香。耳まで真っ赤に染まった顔は、更なるピキピキを浮かべている。さあ、これからこのヘンタイをどう料理したものかと、結友香の口元は不気味に吊り上がっている。


「ねえ、斯波にぃ? ここでわたしが【彩絵守人センチネル】を呼んだら、斯波にぃはどうなっちゃうのかな?」

「少女に暴力を下されているこの爺めを助けて、悪しきクマさんおパンツには正義の鉄槌が下されるでしょう――げふんっ!?」


 続けての足踏みにも負けず、斯波は騎士の心得で刺し違えてでもパンツを見る。


「き、も、い! 斯波にぃ、二年前から、何も変わってないじゃん!」

「そういう結友香だって、二年前から下着のセンスが……」

「あーっ! 子供の頃、斯波にぃが《可愛い》って言ってくれたのに! ふーん! そういうこと言っちゃうんだぁ!」

「おっ、落ち着け、結友香! いくら俺を踏み付けたって1UPもしないし、ここはソウイウ専門のお店でもない! あられもない性癖開示は、満20歳になってからだ!」

「とか言いながら見るなぁ! ほんっと、きもい! アホ、バカ、幼馴染、鈍感クズ男、甲斐性なし、万年金欠、粗品早漏!」

「おっ、おいおいおいおい、最後に言っちゃいけないことを言ったぞ!!?」


 散々、コテンパンにされながらも、結友香はなんだかんだで下着を見せてくれる。

 あるいは結友香のピキ顔も、その暴力も、恥じらいを隠すための手段に過ぎないのかもしれない。隠す素振りもなく、「ふんっ」とあしらいながらも、むしろ堂々とクマさんおパンツをご開帳なされている結友香は、自分に負けず劣らないヘンタイなのではないか?


 斯波のそんな疑問は、もちろん胸の内だけに留められた。


「斯波にぃ、これからちゃんと連絡は取れるんだよね?」

 ひょこっと膝を折って屈み、斯波との目線を合わせる結友香。

 依然としてダメ男の視線は、少女のクマさんに一点している。果たして自分は、結友香と話しているのか、パンツと会話しているのか。そんな哲学的な疑問はさておき、斯波は自分のスマホを結友香へと見せびらかした。


「ほら、《ブロック》は解除したよ。また、いつでも掛けてこい」

「ぶ、ブロックって……ちょっと、斯波にぃ、どうしてわたしを拒絶してたの!? もしかして、わたしのことが、嫌いに……」

「なるわけないだろ。まあ、結友香がすぐ手を出してくるのは、いま風なTPO的観点もあるし、そろそろ控えてもらいたいところだが……」

「そっ、それは斯波にぃが、えっちぃからでしょ!」

「実は、大した事情じゃない。ちょっとだけ、忙しかっただけなんだ」

「ふーん……だったらまあ、許してあげないこともないけど……って、斯波にぃ、見過ぎだって! ほらっ、もう、十分見たでしょ!」

「お前……やっぱり、見せてるって自覚はあるんだな」

「うっさい! 斯波にぃのアホ、ばか、金欠、ロリコン!」

「その詰りだと、結友香がロリってことにならないか?」

「~~っ!」


 ああ言えばこう言うの応酬に耐え兼ねて、遂に背負っていた絵巻を取り出す結友香。


「はあ……【日本五大絵巻】のひとつが、【天照大御神あまてらすおおみかみ】。その末裔、【天神家】の長女さまと手合わせなんて、命がいくつあっても足りねえよ……」


 天照大御神が天岩戸あまのいわとに隠れ、世界から光が失せる。その光景に阿鼻叫喚とする八百万の神々、そしてアメノウズメが彼女を岩戸から出して、世界には再び光が宿る――結友香が開帳した絵巻の中には、天照大御神にまつわる伝承が記されている。


 そして力の顕現に伴い、結友香の衣装も一変した。

 身に纏う天の羽衣と、清純さを意味する白の正装、日天を象徴する赤の裳裾スカート、額には太陽の冠が。

【天照大御神】の力を己の身に降臨させる力――《絢巻》だ。


 伝承に合わせて、結友香の頭髪は黒に染まり、瞳は太陽を映す紅色に変わる。


「ねえ、斯波にぃ……ごめんなさいは、まだ、言ってないよね?」

 なんてピキった顔で微笑みながら、結友香は右手を上に掲げている。

 日本の国土を照らし出す、【太陽神】の威を示したポーズだ。

「ふっ……まだまだだな、結友香。いいモノを見せてもらった時は、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうございますだろ!」

「それで、死ぬ準備はできているの?」

「さあて、どうだか……生きるか死ぬかも、50%だ。後のことは、運命の神さまが決めてくれる」

「ふーん、そう。――だったら、斯波にぃの運命は、このわたしが占ってあげる!」


 結友香の振り下ろした右手に合わせて、燦然たる光の束がレーザーキャノンじみた勢いで掛け放たれる。

 これが【天照大御神】の権能のひとつ――《光の操作》。周囲の光エネルギーを集め、それを一点に集中させた必殺光線として敵を撃ち抜く。

 とんでもない《絵巻魔法》だ。まともに浴びれば焼死体エンドは間違いない。それでも、この斯波に限っては、頬に冷や汗を流す程度で済んだ。


「へへっ……随分と力の使い方が上手くなったな、結友香」

 結友香が背負っていたご立派な大絵巻とは違い、斯波の絵巻は手のひらサイズだ。

 これといった装飾もされていない。中軸は黒で、表紙は白。無骨を超えて、貧相チープ過ぎる風体だが、これこそが彼の持つ、たったひとつの切り札――【未完の禁絵巻イマジンスクロール】だ。


 中に《何も描かれていない》まっさらな【禁絵巻】を右手で持ち、光の束をぶん殴る。

 たったそれだけで、斯波は結友香の光線を打ち消せて・・・・・しまう。

 そして、教師に決闘を仕掛けてきた勇猛な少女へと、彼は培ってきた歩法を駆使して、僅か三歩で距離を詰める。仕上げに斯波は、結友香の小さな頭へと手を伸ばし――。


「っ……斯波にぃ」

 ビクっと怯えた様子の結友香の頭を、斯波はそっと撫で回した。

「戦いの続きは、また今度な、結友香」

 斯波が頭をぽんぽんとさすると、結友香はまんざらでもなさそうに目を細めた。

 生きるか死ぬかのクソゲー50%は、幸いにも生存アライブを引き当てたようだ。

 ……しかし、財布の中身的に、このままじゃどのみち自分は餓死するのでは?


「あっ、そうか! 追い借金かきんして、一発どデカイのを当てりゃあいい!」

「ちょっと、ねえ――斯波にぃ!?」


 結友香の声も無視して、斯波は希望と夢の渦巻く競馬場へと足を運んだ。

 ……自然の摂理のごとく、斯波の負債はさらに200万円ほど膨れ上がった。

 さっき銀色の玉を打つ台で負けの50%を引いたんだから、次の勝率は100%のはずなのに。

 本気でそんなことを考えている若教師は、確率の計算もできないようだった。


「おい、兄ちゃん。ちょぉっと、顔を貸してくんねえか?」

「あ、どうもぉ~……幻都信用組合の皆さん……」


 その晩、斯波はとてもおっかない男の人たちに追われながら、寒空の下で野宿した。が、いきつけのホームレスのおじさんが、今日もパンを恵んでくれて飢えずに済んだ。

 ふ、ふふはっ……今日も、俺の勝ち……だ……。

 そんな惨めな勝利宣言を胸に、斯波は無人の公園で猛暑の夜を乗り越えた。 

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