第2洞 男二人の密室で
「ねえ、もう一度言ってくれる?」
幼馴染のベル・ラクナーシャがベッドで横になった俺に詰め寄る。
長く美しい金色の髪が自慢の彼女、みんなには優しく評判がいいのになぜか俺に対しては辛辣なことが多い。
「だから、卒業ができなくなった」
「あーのーね! 学費は
「高い学費を貸してくれた親父さんには感謝してるし、それについては……」
進学を断念した俺に学費を立て替えてくれたのは、他でもない彼女の父親なのだ。
「ま、まあアンタが卒業できないならウチで働いて返してくれてもいいし、なんならアタシの貯金からも貸してあ……」
「相談したら、アンカー教授が払ってくれるって」
「……へ?」
「だから、今の手伝いが終わるまで学園に残ることになったから、それまでの学費や生活費はアンカー教授が面倒見てくれるって。一応研究所の研究生扱いになるとかでさ」
ベルの顔が、今まで見たことないくらいポカーンとしている。
続けようか迷っていると部屋の扉が開いてアンカー教授がやってきた。
「お、その子が例の大商会の娘さんか」
教授を一瞬強く睨みつけたあと、商会の娘らしく営業スマイルを乗せた顔でベルは挨拶した。
「……初めましてグラモンド教授。アタシの名前はベル・ラクナーシャ。大陸では知らない人はない『ラクナーシャ商会』の会長ベレフェン・ラクナーシャの一人娘です」
「アンカーでいいよ。それと、ディグラッド君から聞いたよ。彼と一緒に学園で学びたいからとお父上に学費の融資をお願いしたと」
「ええ、ですが卒業できないと本人から連絡があって、急いで検査室まで来たんです」
そう。俺は今、学園が経営する病院で検査を受けている。
建物は学園と併設されており、ある種の研修機関としても使われている病院だ。
「今回のケースは珍しくはあるがゼロではない。実験台に使うつもりは全くなかったが、滅多にお目にかかれないケースでもある。過去の例を見ても命に別状はないからそこは安心してくれていいぞ」
「で、ですけど!」
「君の商会でこの手の分野に詳しい人はいるのかね?」
「う!」
「ラクナーシャ商会が素材生成系の迷宮をいくつか持ってるのは知ってるよ。けど、まだシードの解明すらできていないのに、おいそれと素人に彼を渡すつもりはないよ」
「う、うぐぐぐ……」
顔を真っ赤にしたベルは、百八十度向きを変え、俺に向かって絶叫した。
「だから! アンタがしっかり勉強しないで単位を落とすから悪いのよー!」
「そ、それは謝ったろ! 他にやらなきゃならないことがあって」
「うっさいうっさい! うっさい! わーーーん!!」
ひとしきり騒ぐとベルは部屋から出ていった。
「賑やかな子だね」
「すいません、普段はもっとふてぶて…… 元気なやつなんですけど」
「ハハハ。君も鈍感だな」
言いながら教授は俺のベッドの脇に座る。
「検査の結果だが、その前に様子はどうだ?」
「マナも安定してます。俺の体内エネルギーを吸ってるわけでもないですけど」
「うむ、従来のシードも特性は同じだ。ただ、今までの例だと宿主は女性しかいなくてね、症状も同じかどうかは断定しかねる」
教授は手にしていた鞄から大きな資料を取り出し、俺に見えるようにベッドに並べた。
「通常、シードは女性の…… あー、子宮へもぐりこんだのち、胚を形成する。君の場合はヘソから侵入して、子宮に代わる器官を生成した可能性があるな」
「え、どのあたりですか?」
俺は服を捲ってお腹を晒す。
「あっ! なんかヘソの周りが膨らんでる!」
ヘソを中心に、ちょうど握りこぶしくらいのふくらみがぷっくりと盛り上がっている。脂肪が付いたとかそんなレベルではなく、明らかに異物が入り込んだ状態になっていた。
「おおお、恐らく子宮を自作しているんだろう。ちょっといいかな?」
教授は妙な形のメガネを取り出し、それをかけて俺のお腹を凝視する。うんうんと唸っては謎の動きを腹の上で繰り返し、さらに唸る。
意を決して教授は俺の腹に手を当て、さらに強く唸った。
両手をハの字にしてヘソを囲むように腹をさする。むにむにと揉み込んでみるが特に何も感じない。
俺の反応と腹の反応を交互に見比べる教授は、なんだか楽しそうに見えた。
「痛くはないかね?」
「ええ、特には」
「うむ、寄生とはまた違うのかもしれないな。もしかしたら疑似子宮…… うーむ、細胞壁なのか外殻なのか、役割が何なのかもわからんが、宿主と完全に共生関係にあるのかもしれん」
ハの字の感覚が狭まる。ぷっくりと膨らんだヘソ周りだけを捉えると、それを優しく揺さぶりだした。
「おお、感覚が伝わるぞ。これがシードの胚か。うむ、既存のレポートでは分かりづらかったが、直に触るとまた感慨深いな」
「……教授?」
「おお、すまん」
教授は手を離すと、資料のひとつを俺に指さしながら続けた。
「ある程度成長したシードは、その育成環境によって自分がどう育つかを決めるんだ。洞窟型になるか、建築物型になるか、はたまた別の進化をするかどうか」
「別の進化?」
「既存の例で有名なのは、周囲のモンスターを従えてナワバリを広げる『魔王』となるやつだな。胚そのものに意識が宿り、モンスターの誘引ではなく服従させる力を持つことになる」
背筋がゾクッと震える。
「も、もし魔王になったら俺はどうなるんですか?」
「なってみないと分からん。宿主を大事にするよう成長すれば生き残るだろうし、破壊衝動に駆られるなら腹を破いて出てくるだろう」
「えぇっ!?」
「はっはっは。そもそも魔王の素質を持つシードは数百年に一度しか生まれない。よほどモンスターの怨念で環境が汚染されてないことにはなりえないよ」
俺はちょっと怖くなって自分の腹を見る。
ちょっとポッコリしている以外は痛みもないし、特におかしいところはない。
だがこれは迷宮の種なのだ。
あまりの非日常すぎて受け入れられてないが、これは本来人体の中にあるべきではない代物。わからない、がこんなに不安なんだとよくよく思い知らされる。
「しかし、奇妙なふくらみだな。いや、もしかしてちょっと縮んできていたりはしてないか?」
「いや、どうでしょうか? 自分でも凝視してたわけじゃないし」
「いかん! いかんぞ! せっかくのレアケース、ここで消えてもらっては!」
教授は突然覆いかぶさる角度から俺の腹をがっしり掴んで、今にも嚙み千切る勢いでヘソにかぶりつく。
「そうだ、マナだ! 疑似子宮を作る過程でマナが不足しているに違いない! よし、
「ひゃっ! ちょっと、教授! あっひゃっひゃっひゃ! 揉まないで! 教授! うひょひょひょひょ~!」
跳ね除けようにも教授の目は真剣そのもの…… というより、俺のヘソ以外何も見えてない状態に見えたのでとても振り払える気がしない。
「っく!」
せめて声だけでも殺しておきたい。
「大丈夫か? マナは足りてるか? 生きろ、生きろ、死ぬんじゃないぞ!」
遂には薬を塗りたくって腹を揉みはじめる教授。好きにしてくれ。
だけどこのくすぐったさは我慢できない。つい声に出てしまうじゃないか。マジで何とかならないか?
「きょう…… じゅっ! そろそろ、やめ、て……」
その時突然部屋のドアが開き、誰かが勢いよく入ってきた。
「ディグ! やっぱりアンタはちゃんと連れて帰ってウチで借金返すまで働いて、そんでゆくゆくはアタシとけっこ……」
「きょ、きょうじゅ、もうやめてくださいっ!」
「んー! んー! ほら、こうか? こうすればもっと大きくなるか? それ、吾氏の……」
三人の空気が凍った。
「え、え、え……」
「べ、ベル……」
ワナワナと震えるベル。それに気が付いた教授が振り向いて一言。
「おや、ラクナーシャ君じゃないか、忘れ物かい?」
「いやああああ!! ふけつううううううううう!!!!」
再度、彼女はダッシュで部屋を出ていった。
「騒がしいな。他の講義でもああなのか、彼女」
「いや、今のは明らかに教授が悪いですって……」
「ん? そうか…… お、マナの循環が良くなってきたな。よかった、これで一安心だ」
確かに腹回りのマナ巡りが良くなっている。しかしそれはただ薬の影響でそう見えるだけだ。そのうちまた同じようなことをされかねない。
「ちなみに、これはいつになったらなくなるんですか?」
「さあ」
その言葉に、俺は背筋が凍った。
「え、その、他の例で言うと?」
「わからん。とある前例だと半年で体に空洞ができ、そこから希少金属が時々出るようになった。別の例だと、不思議な匂いが立ち込める穴が体中に開いた。宿主になって三年目の事だと記録にある」
「ま…… マジですか?」
「ただ、そのどれもが同じ迷宮から生まれたシードでもない。環境もそれぞれ違う。まだ魔王が勢力を伸ばしていた当時とも違う。何がどうなるかはわからん」
俺は良い未来を望んでいいのか、悪い未来に恐怖すればいいのか、分からなくなっていった。
「言えるのは、シードの育成には環境が大事だと言うことだ。マナの循環しかり、モンスターらの影響しかり。君が清く正しく、安心して生活することを心がければ大事にならずに済むはずなのは、間違いない」
満面の笑み。その顔を最近見た時、俺はこうなっていた。
つまり一番信用できない。
「その役目、アタシがやります!」
再び部屋のドアが勢いよく開け放たれ、三度めの方向が検査室に響いた。
「お前どこから聞いてたんだよ」
「だってアンタが追いかけてくれないから! ずっと待ってたのに!」
「動けるわけないだろ? 自分でもどうなってるか分からないのに」
俺は服をまくり上げてお腹の状態を見せる。なぜかそれを教授も一緒に目を見張ったが、気にせずベルに先を促した。
「だったら、そのシード? って言うのがなくなるまでアタシも学園に残る!」
「おいおいおい! それは親父さんにキチンと言わないと」
「アンタがいないのに卒業したら何言われるか分かんないわよ!」
「それはそれでどう言う意味!?」
頭が混乱して来た。
と、それを見かねた教授がベルの手を取り俺のところまで引っ張ってくると、やはり満面の笑みでとんでもないことを言い出した。
「なら、君も吾氏の研究生になりなさい。そうすればずっと彼と一緒に勉強できるぞ」
あれはパトロン込みで俺の世話をさせる気だな。こういうコネ作りは流石と言わざるを得ない。
「え、ディグとずっと一緒?」
「おいおい厄介ごとを丸投げされそうになってるんだぞ?」
「……」
やばい。色んな事が一気に頭の中に流れ込んで処理ができなくなってる顔だ。
「ベル、ここはちょっとだな、情報を持ち帰ってじっくり」
「わかりました! 入ります!」
「ベルーーーーー!!」
◇
数日後。
検査が終わってからにはなったが、俺が使っていた学生寮は色々あって引き上げることになった。
教授曰く、突然色んな事象が重なった場合、学生寮で起こりうる最大最悪の事態を考えると、そのまま住み続けたとして対応に遅れる可能性が高いから、と言われた。
「この学園は、そもそも探索者ギルドが将来の新人探索者を育成するためにつくった組織だというのは知ってるか?」
引っ越しのために作った家具コミコミのクソ重い荷物を片手で軽々と持ち上げながら、教授は息も切らさず話しかけてきた。
「え、ええ。引退した元探索者の人たちが後進の生存率を上げるために、とかですよね」
「その通り。学園もそこそこ歴史が長くてな。かつて使っていた探索者用宿舎がまだ残っているんだ。悪いが当分そこを使ってくれ」
「学生以外も使ってる、ってことですか」
「非常時には頼りになる連中だ。吾氏の元仲間が運営してるし、安心して使ってくれ」
「え、教授って元探索者なんですか?」
すると教授はあの笑顔を浮かべる。そろそろこの顔が嫌いになりそうだ。
「まあ、昔とったナントヤラってやつだ」
学園の敷地内、南のはずれにあるその宿舎は、木造で確かに歴史を感じる古い三階建の建物だった。
若干校舎からも離れているため目立たなかったが、近くで見るとそこそこ大きく頑丈な作りに見えた。
「管理人には話を通してある。こっちだよ」
教授は二階に登った階段すぐの部屋に案内する。
「遅かったじゃない」
すると、聞き覚えのある声が隣から聞こえてきた。
「ベル!? なんでここに?」
「なんで、って。アンタがここに来るって言うからアタシも来たんじゃない! お隣さんよ。よろしくね」
「お前は学生寮に部屋あるだろ?」
「ああ、彼女にもここへ来るようお願いしたんだ。下手に知らない人間にサポートをお願いするよりいいだろう?」
「教授ゥゥーー!!??」
元の荷物も少なかった事もあって、日が暮れるまでかかったものの引っ越しは割と早く終わった。やはり教授が教科書などの重い荷物を一度で運びきってくれたおかげではある。
とはいえ、ここ数日の怒涛の出来事に、少々疲れが出始めていた。
「なんか、めちゃくちゃいろいろあったな」
安物のベッドの上で初めて見る天井を見上げる。
検査室のものと違うな、などと思い出すとお腹が痛くなりそうなのでやめた。どこか思考の欠片がぐちゃぐちゃになって襲いかかる気がしたからだ。
こうなったのも多少は自分にも責任があるので誰かに当たるのも変だし。
……今は、こいつをなんとかしないと。
『本当よ。アタシをここまで振り回すのはアンタくらいなもんなんだから』
「うぇっ!? ベルか?」
ベルの声が壁から響いた。
『うふふ。古い建物だから壁が薄いみたいね』
「ま、まあ、何かあったら頼むよ」
『ホント昔から厄介事が好きなんだから、見てらんないわよ。何にでも首を突っ込むクセ、直したほうがいいんじゃない?』
ぐうの音も出ない。
「まあでも、
『ディグ……』
何やら隣がバタバタうるさいが、ようやく自分のベッドで寝られる安心感から、俺はすんなりと眠りについた。
次の更新予定
2024年12月20日 18:00
お前もダンジョンマイスターにならないか? 国見 紀行 @nori_kunimi
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