第1洞 迷宮の生態

 ケイブリッチ学園には、変態と称される教員をとても多く抱えている。

 大陸で最も大きな学園としてはその懐具合に感銘を受けるのだが、俺が今から向かう教授の変態ぶりは、学園内でも広く知れ渡るほど『ヤバい』らしい。


「くそっ、単位が足りないなんて事にならなきゃ、こんなところ来なくていいのに」


 しかし、卒業取り消しは貧乏学生の俺にとって一番避けなければならない事態だ。それを今回この教授が行う『種』の採集手伝いをすることで足りない分の補填をすると言われてしまった。

 そう言われたら、手伝わないわけには行かない。


「……よし」


 俺は意を決してドアをノックした。


「失礼します、学生課の要請で参りましたディグラッド・ホーリーエールです」

「入りなさい」


 いかにも中年らしい、しかしよく通る声が返ってきた。


「失礼します」


 よそよそしい返事とともに俺は研究所に入った。


 部屋の中はかなり広く、しかし特殊なレイアウトに俺は少し空間の把握に時間を使ってしまった。

 右側壁面には多くの採掘道具や発掘品の標本、作業服や地図が飾られている。

 左手には会議に使うようなテーブルと椅子、その上に何かの模型が所狭しと置かれている。


「君が例の学生か?」


 普段見たことのない世界に圧倒されていると、不意に声をかけられた。


「あっ! はい。グラモンド教授ですね?」

吾氏わしを呼ぶときははアンカーファーストネームでいい。ここの学生はみなそう呼んでくれている」


 アンカー・グラモンド教授は笑顔でそう答えた。

 彼は近年増加傾向にある迷宮ダンジョンの育成・錬磨を目的とした研究をする学問「錬窟れんくつ学」の第一人者にして、世界で唯一の「錬窟学者」に一昨年四十二歳という若さでたどり着いた人だ。


 身長はそれほど高くないが、学生らより少し低い。体はフィールドワークがメインらしくガッチリしてて一見体育系にも見える。

 こう見えて最近結婚したらしい。噂では元生徒だとか。人当たりは悪くないのだろう。


「君はウチの学科を専攻してない生徒かね?」

「はい、お…… 私は迷宮科は「迷宮素材学」の方を専攻してるので」

「一人称は言いやすい方で構わんよ。うん、迷宮素材学はいい学問だ。迷宮から生まれる資源はすべからく人々を豊かにする。学んで損はない」


 教授はそう言うと、突然俺の身体を触り始めた。首元、肩、胸、腰回り、太もも、足首…… 上半身はポンポンと叩く程度だったのが、腰回りからはあからさまに強く揉み込んではウンウン唸ってニコニコと笑った。


「ちょっちょ、なにするんですか!」

「うん、学生課の言ってた通りの男子だ。作業の補助、期待してるよ」


 何かに満足した教授は、改めて向き直ってカーキ色の作業服を俺に渡してきた。


学生課むこうから聞いてると思うが、今から学園内で管理している迷宮へ調査に向かう。これに着替えて東棟の奥にある「水晶連石の迷宮」にすぐ向かってくれ」

「えっ、今からですか?」

「安心しなさい、私も行く」


 教授はそう言うと俺を研究所から追い出し、鍵をかけた。


「待ってるよ」


 ドアの向こうからする足音は徐々に遠ざかる。


「詳しい話も迷宮内で、ってことか。噂通りの教授だな」


 ジタバタしても始まらない。俺は早速着替えて迷宮に向かった。



   ◇



 学園の東棟付近の北側敷地内には、ドコマルデア山脈へ繋がる小さな山が連なっている。

 ここには合計三つの迷宮が確認されており、それらすべて学園が管理しているのだ。

 近年世界中に出現する迷宮は、その中からしか生まれない素材や誘引されるモンスターに一定の価値が見出され、新たに迷宮が見つかるたびに探索・採集が行われる。だが、迷宮への探索経験が乏しいものは最悪命を落とすことになる。


 学園ではそういったことがないようにあらかじめ実習と言う形で簡単な迷宮に潜らせ、経験を積ませる目的でこれらを管理しているというわけだ。


「えっと、この辺で待てばいいかな?」


 取りあえず東棟から離れて迷宮の近くまで来てみた。そこそこ大きな入り口は迷宮と言うより洞穴といった雰囲気で、学園の管理下ということもあって安心できる。


「お、早いじゃないか」

「え!? 教授、もう来てたんですか?」

「はっはっは。潜窟に使う服は常に着込んでいるんだよ。君も十分早い方だ」


 教授は迷宮の中で使うバックパックを俺に渡しながら、自分も装備を整えていた。


「ここの迷宮実習に参加したことは?」

「ここはないです」

「うむ。なら、奥に行きながら説明しよう」


 教授は、頭のヘルメットにセットした明光石にマナ魔法力を込め、明かりをともしつつ中へと入った。


「うむ、やはり便利なものだな。マナツールは」

「魔法を一般人が使えるようにしたアイテムですよね」

「そうなんだよ! なまじ火のランプを持って入ると内部のガスに引火して大変だったりするからな。いちいち魔術師を雇うとコストがかかって困るんだ」


 ここ最近になってようやくマナを用いた道具「マナツール」が普及し始めた。

 それまでは魔法使い達など限られた人間が魔法を使うためだけに研究されてきたのを、こうして一般人が使えるように調整されたアイテムが出たことで研究水準が一気に上がったのだ。

 これがなければ、アンカー教授が有名になることはなかっただろう。


「よし。では」


 ひんやりとした入り口に立つと、足元に冷気が絡みつく。


「ここはレベル・ゼロモンスターが寄り付かないの安全迷宮ではあるが、整地まではされてない。足元には十分気をつけてくれ」

「はい」


 ふい、と中へ入るやいなや、周囲の壁から生えた水晶が頭から出る光を反射してキラキラと周囲を照らし始めた。


「うぁ、眩しっ」

「迷宮の名前の由来でもある水晶があちこちに生えてるせいだな。これらは地中のマナが迷宮のマナに吸い寄せられて結晶化したものだ」


 教授は手近な水晶をパキッと割って自分の手のひらに乗せる。すると、折った箇所からぼんやり明かりが浮かび上がる。マナが漏れているようだ。


「採取して持ち出した場合、僅かだが蓄積したマナを取り出せるぞ」

「ええ、確かにマナがふわっと」

「お、それが学生課の言ってた『マナの流れが見える』ってやつか」

「あ、そうです」

「羨ましい。吾氏は道具なり呪文なりがないと見えないから、何かあったときは頼りにしてるぞ」


 そう、学生課が俺をこの教授の手伝いに推薦した大きな理由だ。


「有害なマナと無害なマナの見分けはできたり?」

「できます」

「ありがたい! ちなみにどんなふうに見えるんだ?」

「ええと、無害だとただの煙みたいに漂って掻き消えるんですけど、有害なやつは混ざらず下の方に溜まるんです」

「なるほど! ということは洞窟タイプの迷宮では奥に行くに従って沈殿していることもあるわけだな」

「違うタイプもあるかもしれませんけど、基本他のマナと混ざらないと思います」

「ちなみに、今ここの迷宮はどんな感じなんだ?」

「ここ、ですか?」


 言われて俺は、改めて迷宮の内部を『見』た。


「そういえば、他のと比べると足元から湧き出てるマナに規則性がありますね」

「規則性、とは?」

「えっと、普段は地表から湧いて周囲に混ざって消えるんですけど、今は」


 俺は奥の方を指差し、続ける。


「あっちに向かって集まってます」

「……君が来てくれて本当に嬉しいよ」


 教授は満面の笑みを浮かべた。


「あの方向の先に、手伝いを学生課に頼んだ理由のものがある。来なさい」


 そう言うと教授はずんずんと足早に進み始めた。


「ここはモンスターを誘引しないタイプの迷宮だ。理由は分かるかな?」

「えーっと、そもそもモンスターを引き寄せる理由に、彼らが生み出すマナを迷宮が栄養として奪う生態がありますよね」

「うむ」

「てことは、他にマナの供給源があるから必要ないと考えられますね」

「その通り。ちなみにこの迷宮はなにが供給源か分かるかい?」


 俺は周囲のマナ分布と記憶を頼りに答えを探る。


「そうですね…… 地中から漏れ出るマナも良質ですけど、多分水晶が元から持つマナをそれと入れ替えて自身の成長に使ってるんじゃないですかね? 素材生成系の迷宮によく見られるやつです。水晶が生長するのも相互作用かなと」

「……君はなかなか勉強してるね。なんで単位が足らないんだ?」

「あー、素材学の実技テストでよく間違えるんです。自分の「目」がちょっと」


 俺はヘルメットの中がむずかゆくなった。他の人には怒られることはあっても、こんな褒め方をしてきた人はいない。


「なるほど、見えすぎるのも問題というわけか。どうだ、うちの研究チームに入れば助教授まで面倒みるぞ」

「めっちゃ嬉しいんですけど、借りた学費の返済方法決まってるんです」

「そうか、残念だ」


 会話しながらもずんずんと教授は奥に進む。


「あ」

「どうしたね?」

「マナが、ここに集まってます」


 今までふわふわと漂うだけだったマナが、ある一点を目指して吸い込まれていく。風が吹いているわけじゃない。壁を越えた先に向かって吸い込まれる様は、まるで迷宮が呼吸しているようにも見えた。


「うむ。ゴールが近いようだ」


 教授の足が速くなる。俺も置いていかれないように追いかけるが、さすがは勝手知ったるフィールドワーカー。あっという間に距離を離されていく。


「ここだよ、ディグラッド君!」

「きょ、教授! ちょっと待っ ……おわぁ」


 なんとか転ぶことなくたどり着いたその場所は大人が十人ほど入れる小部屋になっており、大きな水晶が壁一面にせり出すように生えていた。

 そして驚くべきは、その部屋の中央へと銀色に輝くマナが渦を巻いて圧縮されていくところに出くわした事だ。


「君の目にはどう映っているかわからないが、吾氏には部屋の中央が歪んで見える。圧縮されたマナが周囲の空気を巻き込んでレンズのようになっているのだろう。……タイミングがいいな。もうじき、『生まれる』ぞ」

「う、生まれる??」

「マナはどうなってる!?」

「は? えっと、さっきからぐんぐんと周りのマナを吸ってますけど」

「うむ! 実はな、最近この迷宮が他の迷宮と『交配』を行った気配があってな。近い内に新しい『シード』を生むだろうと踏んでいたんだ」

「し、シード!?」


 初めて聞くぞ!?

 迷宮が子作りしたってのか!?


「迷宮も生き物だ。セックスくらいする」

「いやいやいや!」

「ちなみに洞窟は雄型、塔などの建造物系が雌型でな」

「今そこ広げる必要あります??」

「ふむ、確かに。あ、そうそう、バックパックにマナグローブを入れてあるから、つけておきなさい」


 俺は言われるまま預かったバックパックからグローブを取り出す。

 冷静に考えると、表現に語弊はあるが迷宮があちこちで発見されてることは事実だ。

 となれば、迷宮が増える原因があるはずだ。

 まさか増え方が迷宮同士の交配とは誰も思わないが。


「その『シード』がこの迷宮から打ち出される前に、我々で確保するんだ」

「打ち出される!?!?」

「当然だろう? 迷宮内に迷宮ができたら、とんでもない規模の迷宮になる。なくはないが、通常は外に放出されて拡散するものだ」

「……なるほど、そういうことですか」


 学生課で言われた内容は「グラモンド教授の研究を補助し、種の回収を行うこと」だった。

 種とは? と思っていたが、こういうことだったのか。


「うむ、予想通りだ! 使用するマナツールを最小限にすればシードの放出を邪魔せず観察できる!」


 教授はマナをぐんぐん吸い込む空間を睨みながらも笑顔でメモ帳へのスケッチに挑んでいる。


「ディグラッド君! シードはいつ放出されるかは分からん! 注意しつつ見守ってくれ!」

「ち、ちなみどんなモノなんですか?」

「わからん!」


 え??


「採集に成功した例はない!」

「うううう、嘘でしょ!?」

「基本的には迷宮情報を持ったマナのカタマリだ! グローブで掴めなかったら次また挑戦する!」

「体当たりすぎる!」


 そんな文句を言ったところでマナの圧縮は待ってくれない。リンゴほどの大きさだった歪みがさらに膨れ上がり、人の頭ほどになっていた。


 そこで、マナの奔流がピタリと止まった。


「!?」


 次の瞬間、その歪みが部屋の周りをふわふわと漂い出した。


「……出口を探してるのか?」

「どうだろうな、過去放出を観察したときは猛スピードで外に放出されたからな」


 教授としては初めてではないらしい。


「要は、これを掴めばいいんですかね?」

「うむ、やってみてくれ」


 俺はグローブをつけた手でそっとシードを包みこんだ。

 空気が歪んでなおキラキラと光るそのカタマリは、なぜか俺が手に取るのを待っていたようにも見えた。


「キレイ、だな――」


 どぷん。


「!! ディグラッド君!?」


 突然視界が歪んだ。

 手の中にシードを包んだ瞬間、歪んだ空気が膨張して俺の体を一息に包みこんだのだ。


「バカな! シードが保有マナの少ない生物にんげんを取り込むなど!」


 俺は焦って全身でシードを追い払うべく暴れる。


(くそ、なんだ! まとわりついて、離れない!?)


 だがマナのカタマリは空気とともに俺の全身をくまなく這いつくばって離れない。


(そ、そこはっ!)


 突然、腹部に違和感が起こった。


(腹っ? ヘソっ??)


 おもむろにお腹が裂ける痛みが襲った。

 ただ、肉体的な損傷を受けた感じではない。恐らく


「これは、まさか…… ダンジョンシードが人間を、しかも洞窟種が人間の男性を『自己領域テリトリー』に選んだのか?」


 ごうんごうんという音がお腹から響く。マナとシードの混ざりものがぐんぐんヘソを通って入り込んでいくのを、俺はただ見守るしか無かった。


「あれ? お腹…… 何にもない」


 気がついたら俺を包んでいた空気の歪みもマナのカタマリもなくなっていた。あれほどお腹の中で暴れていた何かは、お腹で小さく膨らむだけにとどまってしまった。


「教授、これは一体……」


 状況を飲み込めない俺に、グラモンド教授はただ奇妙な笑顔で伝えた。




「おめでとう。君は人類で初めてのダンジョンの父親になるだろう」

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