第8話 もう一つの顔 高校生作家
俺――上杉義之には二つの顔がある。一つは、上杉家の跡取りとしての顔。華族と財閥、その双方から注目される存在として、学習院高等部の中で一目置かれる立場だ。そしてもう一つが、高校生作家としての顔。中学時代から二冊の小説を出版し、現在は三冊目の執筆に取り組んでいる。
華族出身者と財閥出身者、それぞれがこの作家活動に対して抱く感情は微妙に異なり、それが俺の日常にも影響を与えている。
俺の作家活動については、他の女性たちもそれぞれ異なる意見や感情を持っている。
「義之君、小説を書くことはとても素晴らしいわ。君の文章には、誠実さと情熱が込められているもの。」
美樹さんは、俺の活動を心から評価してくれる存在だ。侯爵家の次女としての高い教養を持つ彼女は、文化活動の意義を深く理解している。そのため、俺が執筆活動に打ち込むことを全力で支持してくれる。
「でも、無理はしないでね。君が健康を損ねてしまったら、作品も完成しないでしょう?」
そんな言葉をかけられると、俺は心の底から感謝と尊敬の念を抱く。
学習院内で、俺の作家活動は特別な立ち位置を持っている。華族出身者たちは、文化的な活動を重んじる者が多く、自ら文学サロンを主催したり、作家や芸術家のパトロンになることも珍しくない。そのため、俺が小説を書くことについても「上杉家らしい」と寛容に受け入れられている。
休み時間には、クラスメートで侯爵家の令息である有栖川透が、興味深げに話しかけてきた。
「義之君、今日は出版社と打合せがあるんだって?どんな話をするんだい?」
「次回作のプロットや、今後の展開についてだよ。編集部の意見を聞きながら内容を詰めていくんだ。」
「素晴らしいね。君の小説は華族としての誇りを感じる内容だから、僕たちも応援しているよ。」
彼の言葉に、俺は軽く頭を下げた。華族の中では、俺の活動は文化的な意義を持つものとして評価され、敬意を払われているのだ。
一方で、財閥出身者の多くは、俺の作家活動に対して異なる視点を持っている。彼らは実業や経済的な成功を重んじる傾向があり、文化的な活動を「贅沢」や「趣味」として捉えることが少なくない。そのため、俺が時間を割いて執筆していることに対して、どこか冷ややかな視線を向ける者もいる。
例えば、クラスメートで財閥出身の篠崎由美さんは、俺の作家活動について率直な意見を述べることが多い。
「上杉君、小説を書くのは素晴らしいけど、それがどれだけ現実的な利益に繋がるの?華族や財閥の跡取りとしての役割に集中すべきじゃない?」
由美さんの言葉は厳しいが、それが彼女なりの価値観と責任感から来ていることは理解できる。彼女は実利を重視する財閥の世界で育ち、経済的な成功こそが家を支えるという信念を持っているのだ。
「由美さんの言うことも分かるよ。でも、小説を書くことは俺にとって、上杉家の跡取りとしても大切なことだと思ってる。文化や言葉を残すことも、一つの責任だと思うから。」
そう答えると、彼女は少し意外そうな表情を見せたが、やがて静かに頷いた。
「まあ、君がそう言うなら応援はするわ。でも、忘れないで。君の背負っているものは、小説だけじゃないのよ。」
沙織さんは、文学を文化的な資産と捉え、それを通じて社会や人間の本質を探ることに深い意義を見出している。そのため、義之の小説執筆活動を非常に高く評価しており、華族の伝統的な役割を果たしていると認識している。
「義之君の作品には、人の感情の微妙な揺れが的確に描かれていて、とても魅力的だわ。文学というのは時代を映す鏡よ。あなたが書き続けることで、私たちの生き方にも新しい光を当ててくれると思う。」
沙織さんは、義之の活動を単なる趣味ではなく、華族としての文化的貢献と捉え、敬意を払っている。文学サロンでの議論でも、義之に積極的に意見を求め、執筆を応援している。
千鶴さんは、美術や音楽を含む広い意味での芸術を愛し、文学もその一環として高く評価している。義之の執筆活動に対しては、その情熱と才能を称賛しつつ、彼の視点に独自の魅力を感じている。
「義之君の小説を読んでいると、まるで自分がその世界に入り込んだような気持ちになるの。特に、キャラクターの感情がリアルに伝わってくるところが素敵だわ。これからもたくさんの物語を紡いでほしい。」
千鶴は義之の文学的な才能を心から支持しており、作品を通じて彼の成長を見守っている。義之にとっては、彼女の視点が新たなアイデアのヒントとなることも多い。
「義之、あんまり本にばっかり没頭してると、後継ぎの勉強が遅れるぞ。」
真琴君は俺の活動を「趣味の範疇」と捉えており、財閥の後継ぎとしてもっと実業に注力すべきだという考えを示すことがある。
財閥出身者たちの評価には一定の冷ややかさが感じられるが、それは彼らの価値観が「経済的利益」や「実利」に基づいているからだ。それでも俺が家柄にふさわしい責務を果たしている限り、彼らは大きな批判を向けることはない。
華族出身者たちからの称賛は励みになるし、財閥出身者たちからの冷ややかな視線も、俺にとっては一種の刺激だ。それぞれの立場からの評価を受け止めることで、自分の活動に対する視野が広がっていると感じる。
俺にとって作家活動は、単なる自己表現ではなく、この世界に自分の存在を刻むための挑戦だ。たとえ全員に理解されなくても、それを続ける意義は変わらない。華族と財界という異なる視点の中で生きる俺だからこそ、この二つの価値観を超えた「自分だけの物語」を紡ぎたいと願っている。
平日の授業を終え、放課後に編集部へ向かう。駅近くのオフィスビルに入ると、そこには俺がもう一つの顔――高校生作家としての役割を果たす場所がある。
打ち合わせの日はいつも少しだけ緊張する。学校では見せない自分を出す場だからだ。とはいえ、編集者たちは俺の年齢や背景を特別視することなく、あくまで「作家」として接してくれる。そのプロフェッショナルな姿勢が、俺を引き締める。
「上杉先生、今日もお忙しい中ありがとうございます。」
編集部に入ると、担当編集者の佐藤さんが出迎えてくれる。彼女は30代半ばの女性で、俺のデビュー作からずっと担当してくれているベテラン編集者だ。柔らかな物腰でありながらも、鋭い意見を的確に伝えてくれる信頼できる存在だ。
「いえ、こちらこそ。進捗を持ってきました。」
事前にメールで原稿は送信していたが俺はカバンからUSBメモリーとノートPCを取り出す。3冊目の執筆中で、今回の打ち合わせでは中盤の展開について議論する予定だ。
原稿の確認と意見交換
会議室に入り、原稿を確認しながら議論が始まる。
「この場面、とても印象的ですね。主人公が友人に感情をぶつけるところは、読者の共感を呼びそうです。」
佐藤さんがそう言いながら、手元の原稿に目を通す。彼女の評価に内心ほっとしつつ、次の瞬間には厳しい意見が飛んでくる。
「ただ、後半の展開が少し駆け足に感じます。この部分、もう少し心理描写を深めてみると良くなると思います。」
俺はメモを取りながら頷く。彼女の意見は的確で、時に痛烈だが、その分だけ作品が良くなることを実感できる。
「心理描写ですね……具体的にどんな描写を追加すべきでしょうか?」
「例えば、この場面で主人公が自分の過去と向き合う時間を作るとか。今のままだと感情が流れてしまいそうなので、一息つくシーンを加えるのはどうでしょう。」
佐藤さんの提案に、俺は新たな可能性を感じた。
原稿の話が一区切りつくと、佐藤さんが別の話題を切り出す。
「それと、上杉先生。実は次回作についても少しお話をしたくて。」
次回作――まだ3冊目も完成していないのに、編集部は常にその先を見据えている。
「どんなテーマをお考えですか?」
「今の作品が青春の葛藤を描いているので、次はもう少し大人の視点を取り入れたいと思っています。」
「それは面白そうですね。読者層が少し広がるかもしれません。」
編集部は俺のアイデアを尊重しながらも、常に読者の視点を考慮している。その視点が、作品をより多くの人に届けるための重要なヒントになる。
議論が終わると、佐藤さんが微笑んで一言。
「今回も楽しみにしています。締め切りは余裕を持って進めましょうね。」
俺は少し苦笑いを浮かべながら頷く。締め切りという言葉には、常にプレッシャーが付きまとう。
編集部を出ると、夜の街が広がっている。ビルの明かりがにぎやかに瞬く中、俺は次のシーンの構想を頭の中で巡らせながら、家路を急ぐ。
編集部での打ち合わせは、俺にとって毎回新たな発見と挑戦の場だ。学校生活とは異なる「プロ」としての厳しさと責任を感じる時間でもある。それでも、こうして作品を磨き上げ、読者に届けることができる喜びがあるからこそ、俺は作家という道を歩み続けるのだ。
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