第7話 高校生活の始まり
学習院高等部の教室に一歩足を踏み入れると、周囲のざわめきが一瞬で収まった。教室にいる生徒たちの目が一斉に俺に向けられるのを感じる。俺――上杉義之は、この学園内で特別な立ち位置にある存在だ。
上杉家は、伯爵家の末子だった曾祖父が財閥を創設し、その功績をもって子爵の爵位を受けたことで成立した家系だ。華族制度が残るこの社会において、「中位華族」としての位置にありながら、財閥の跡取りという経済的な影響力も併せ持つ。その二重の立場から、華族出身者にも、財閥出身者にも一目置かれる存在となっている。
そんな中で、教室の外からひときわ大きな存在感を放つのが一条院美樹さんだ。侯爵家の次女として生まれ、生徒会副会長を務める彼女は、華族・財閥双方から尊敬を集めるカリスマ的存在だ。
俺たちクラスメートの中で、美樹さんは常に話題の中心にいる。誰もが彼女に憧れ、彼女を恐れ、そして彼女に従う。俺にとっても、中等部時代からの顔見知りでありながら、その気高さには頭が上がらない存在だ。
「義之君、今年もクラスのまとめ役として頑張ってね。」
美樹さんから直接そう声をかけられたとき、教室全体がざわめくのを感じた。その視線を背に受けながら、俺は静かに頭を下げる。
「もちろんです、美樹様。期待に応えられるよう努力します。」
彼女の存在がこの学園の中心であり、俺にとっても無視できない影響力を持つことを改めて実感する瞬間だった。
教室に入ると、内部進学組と外部進学組が自然と分かれて座っているのが分かった。内部進学組は学習院の伝統や格式を重んじる家庭の子弟が多く、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出している。一方で外部進学組は、学業やスポーツで特に優れた成績を収めたエリートたちが中心で、その表情には新しい環境への意欲と緊張が混じっていた。
教室に足を踏み入れた瞬間、全員の視線が俺に向けられた。内部進学組の生徒たちは、俺が上杉家の跡取りであることを知っているため、親しみと敬意が入り混じった表情を浮かべていた。外部進学組の生徒たちは、俺の名前が持つ重みや伝説的な家系について聞き及んでいるらしく、どこか驚きと畏怖を感じさせる目で見ていた。
「おはよう、上杉君!」
先に声をかけてきたのは、伯爵家の次男であり中等部からの同級生でもある松平恒彦だった。彼は華族としては格式が高いものの、気さくで社交的な性格が特徴だ。教室の緊張感を和らげるように、親しげに声をかけてきた。
「ああ、おはよう。クラス分け、同じになったんだな。」
「そうそう!まあ、君がいるクラスなら色々と安心だよ。」
恒彦君の言葉には冗談めいた響きもあったが、彼が俺を頼りにしているのは中等部時代からの付き合いで分かっていた。そんなやり取りを交わしていると、外部進学組の一人が勇気を振り絞るように近づいてきた。
「上杉さん……ですよね?はじめまして、僕は田島悠真です。」
田島は外部進学組の代表的な存在で、全国模試の成績上位者としてこの学園に招かれた優秀な生徒だ。その顔には緊張が滲んでいるが、礼儀正しい態度は彼の育ちの良さを窺わせた。
「ああ、よろしく田島君。このクラスで一緒になるんだ、仲良くしよう。」
俺が手を差し出すと、田島君は目を見開き、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにしっかりと握手を返してきた。
「ありがとうございます!上杉さんが同じクラスだなんて、心強いです。」
外部進学組にとって、俺のような存在は伝統や権威を象徴する一方で、どこか手の届かない高嶺の花のように感じられるのだろう。それでも彼がこうして近づいてきたことに、彼の真摯さを感じた。
教室に座ると、自然と周囲に人が集まってきた。内部進学組の華族出身者たちは、俺との関係をこれまで通り円滑に保とうとするように親しげに話しかけてくる。一方、財閥出身者たちは、互いに探り合いながらも、俺に対して一目置いている様子がありありと分かった。
「義之君、これからは高等部でも君のリーダーシップが必要になるわね。」
侯爵家の令息であり生徒会に所属する透君がそう言ってきた。彼は華族内でも特に格式高い家柄の出身でありながら、俺に対して対等な立場で話しかけてくれる数少ない人物だ。
「そんな大それたことはしないさ。ただ、自分の役割を果たすだけだよ。」
「ふふ、そういうところが君の魅力なんだろうね。」
透君の冗談めいた言葉に周囲が笑い声を上げ、教室の空気が少し和らいだ。
入学式初日のクラスの様子を通して、俺は改めて自分が置かれている立場の重さを実感した。曽祖父が築いた功績は華族にも財閥にも大きな影響を与え、俺自身がその期待を受け継ぐ存在だということを、周囲の目が物語っていた。
内部進学組、外部進学組、華族、財閥――それぞれが異なる背景を持つこのクラスで、俺がどう振る舞い、どんな関係を築いていくのか。それがこれからの学園生活を形作る鍵となるだろう。
「さて……これからが本番だな。」
俺は小さく息を吐き、これから始まる新たな生活への期待と緊張を胸に秘めた。
美樹さんは高等部でも忙しい日々を送っているはずだが、俺と会話を交わすときには、まるでその忙しさを感じさせない余裕を見せてくれる。
ある日、廊下でばったり会ったときのことだ。
「義之君、今日は何か困ったことはない?」
「いえ、特には……ただ、少し授業が難しく感じています。」
「そう。慣れるまではそう感じることもあるわ。でも、あなたは一度分かればきっと周りを引っ張れるようになるわよ。」
「ありがとうございます、美樹様。そう言っていただけると、少し自信が出てきます。」
「私が言うことを信じてくれるのね。嬉しいわ。でも、本当に大丈夫だから、焦らず自分のペースで進んでね。」
その一言一言が、まるで心の中の不安を取り除いてくれるような感覚だった。彼女が発する言葉には、いつも自然と相手を包み込む温かさがある。
中等部の頃から、彼女の思わせぶりな態度や特別な優しさには気づいていた。それが俺だけに向けられているのか、それとも彼女の本質的な性格なのかを判断するのは難しい。
彼女の笑顔や優しい言葉の裏に、俺への特別な感情が隠れているのだろうか。もしそれが真実なら――その考えが浮かぶたび、胸の中が熱くなる。
「もし俺が美樹さんに告白したら、彼女はどう答えるのだろうか?」
そんな考えが頭をよぎるのは、高等部に進学してからずっとだ。中等部の頃の彼女の思わせぶりな態度や、俺に特別な目を向けてくれていた記憶が、どうしても心を惑わせる。
彼女が俺のことを好意的に思っているのは、間違いないと感じている。ただ、それが友愛の延長なのか、それとも恋愛感情なのかを確信することはできない。
もし俺が告白したら――。彼女はあの柔らかな微笑みを浮かべながら、「いいわよ」と答えてくれるだろうか。それとも、少し困ったような表情を浮かべて、「ごめんなさい」と断るのだろうか。
その答えを知るのが怖くて、俺はその一歩を踏み出せずにいる。
美樹さんとの関係は、中等部の頃と変わらず温かいものだ。彼女は俺を包み込むように接し、俺の不安や迷いを取り除いてくれる存在であり続けている。
だが、高等部という新しい環境の中で、俺の彼女に対する気持ちはより鮮明になりつつある。そして、その感情が初恋であり、純粋な憧れを超えたものだと気づき始めている。
彼女が俺をどう思っているのか――その答えを知るには、いつか自分の気持ちを伝えるしかないのだろう。でも、それを口にするにはまだ勇気が足りない。
「いつかきっと、俺の気持ちを伝えられる日が来るだろうか?」
そんな想いを胸に秘めながら、俺は今日も美樹さんとの会話を繰り返し、その温かさに浸るのだった。
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