第3話 初等科での出会い 図書館での美樹様との邂逅
学習院初等科に入学して間もない頃、俺はその新しい環境にまだ馴染みきれていなかった。教師もクラスメートも、名家や華族の子息ばかりという特別な空気を纏っていたし、その中でどう振る舞うべきかを考えるだけで、日々が過ぎていった。
そんなある日の放課後。校内の図書館に足を運んだ。幼いながらも読書は好きで、特に図鑑や物語集に夢中だった俺にとって、静かで落ち着いた空間は安心できる場所だった。
ある日の放課後、静かな図書館でひとり読書をしていると、後ろから声が聞こえた。
「ねぇ、君、その本好きなの?」
振り返ると美しい髪を揺らしながら微笑む美少女がそこに立っていた。その雰囲気は初等科の生徒とは思えないほど落ち着いていて、俺は言葉を失ってしまった。
「……まぁ、好きかな。」
「私、一条院美樹、2年生。あなたは?」
そう名乗った彼女の名前を聞いて、俺はその時初めて、彼女が侯爵家の次女だと知った。
「上杉義之……1年生です。」
急に緊張して、少し硬い口調になってしまった。彼女はそれを気にする様子もなく、にっこりと微笑んだ。
「義之君ね。星の図鑑なんて渋い趣味だわ。でも、素敵だと思う。」
彼女はそう言うと、ページをめくる手を止め、
「この星座の名前、教えてくれる?」
と尋ねてきた。美樹様は初等科にしては落ち着いていて、品の良い物腰で話しかけてくれるその姿が、俺には少し眩しく見えた。
名前を名乗ると彼女は満足げに頷き、俺の隣に座った。
「この図書館、私も好きなの。静かだし、いろんな本があるでしょ。義之君もここが好きなの?」
その問いかけに、俺は思わず頷いた。彼女の優しい笑顔と言葉が、心に染み込むように届いた。
彼女の顔に見覚えはなかった。初等科に入る前、幼稚園で2年だけ過ごした時期があったが、学年が違うため特に接点はなかった。だがその日、彼女が初めて俺に話しかけてきた。
「これは、星座の図鑑なんだね。」
俺が手にしていたのは、星空や天体に関する図鑑だった。幼い頃から夜空を見上げるのが好きで、星の名前を覚えたり、物語を知ったりすることが楽しかった。
「へぇ、面白そうね。」
彼女は俺の隣に腰を下ろし、興味深そうに図鑑のページを覗き込んだ。
その日から、美樹様とは少しずつ言葉を交わすようになった。彼女はいつも自然体で、俺の話をじっくり聞いてくれる。一緒に図書館で本を読んだり、校庭で少し遊んだりする時間が増えるにつれ、俺は初めて学習院という特別な環境の中での居場所を感じることができた。
彼女がなぜ俺に声をかけてくれたのか、その理由を知るのはもっと後のことだが、この出会いが俺にとって忘れられない特別な記憶となるのは間違いなかった。
その日、図書館を出る時に彼女が小さく笑いながら言った言葉が、今でも心に残っている。
「また一緒に星の話、聞かせてね。」
俺の胸の中で、幼いながらも特別な感情が芽生えた瞬間だった。美樹様とのこの出会いが、俺の心に初めての輝きをもたらしたのだ。
学習院初等科に入学してからの数年間は、俺にとって環境への適応に必死だったが、そんな日々の中で美樹様との思い出は特別な輝きを持っている。初めて図書館で声を掛けられてから、自然と一緒に過ごす時間が増えていった。彼女は常に周囲の中心にいる存在でありながら、俺に対しても平等で、温かい言葉をかけてくれる特別な存在だった
美樹様は勉強が得意なだけでなく、運動神経も良かった。休み時間には校庭でクラスメートたちと元気に遊ぶ姿をよく見かけた。
ある日、俺が一人で校庭の隅でぼんやりと空を見上げていると、美樹様が近づいてきた。
「義之君、何してるの?」
彼女の声に驚いて振り向くと、にっこりと笑ってこちらを見ていた。
「ただ空を見てただけ。」
「ふーん。じゃあ、一緒に鬼ごっこしない?みんなも呼んでるよ。」
俺が周囲に馴染めずにいるのを見透かしたようなその一言に、思わず頷いてしまった。美樹様に手を引かれて輪に加わると、いつの間にか他のクラスメートとも自然に打ち解けていった。
「ほら、もっと走って!」
彼女の明るい声が、緊張していた俺の心を溶かしていった。
小学生時代の一大イベントといえば学芸会だった。俺のクラスは劇をやることになり、俺は脇役の一人だった。
緊張しいの俺は、出番が近づくたびに不安になり、袖から舞台を見ていた。そんな俺に、隣のクラスで主役を務める美樹様が気づき、声をかけてくれた。
「義之君、大丈夫だよ。ちゃんと台本通りやれば絶対上手くいくから。」
「でも、緊張して足が震えてる……。」
「誰も失敗なんて気にしないよ。それに、私が見ててあげるから。」
彼女のその言葉に救われた気がした。本番では、大きな失敗もなく役目を果たすことができた。終わった後、客席から美樹様が小さく拍手を送ってくれた姿は今でも心に焼き付いている。
学校生活の中で、二人きりの時間が持てる場所といえば図書館だった。
「今日は何を読んでるの?」といつも尋ねてくれる彼女に、俺は嬉しくなって新しく読んだ本のことを話すのが習慣になっていた。
「この本、面白そうね。貸してくれる?」
「いいけど、美樹様、こんな冒険小説読むんだ?」
「だって、義之君が楽しそうに話すから気になっちゃった。」
彼女が俺の趣味に興味を持ってくれることが何よりも嬉しかった。
もちろん、いつも穏やかに過ごせたわけではない。
低学年の頃、些細なことで口論になったことがある。何かの勘違いから俺がムッとしてしまい、美樹様に少し冷たい態度を取ってしまった。
その日の放課後、美樹様がわざわざ俺の席まで来て、小さな声で言った。
「義之君、何か怒らせちゃったならごめんなさい。でも、仲直りしてくれる?」
その一言に俺は自分の未熟さを痛感した。
「俺の方こそごめん。」
そう言うと、美樹様は安心したように微笑んで「よかった」と一言。それ以来、俺は彼女に感情をぶつけるようなことはしないと決めた。
美樹様はいつも俺を引っ張ってくれる存在だった。彼女と一緒に過ごした時間は、俺にとってかけがえのない宝物だ。図書館での会話、校庭での遊び、行事での助け合い――すべてが、幼い俺にとって大切な成長の一部だった。
美樹様は、いつも自然な形で俺に寄り添ってくれた。
転生者としての記憶を持つ俺は、幼いながらも
「自分はこの世界に完全に属していない」
という感覚を抱えていた。それが表情や態度に出ていたのかもしれない。だが、美樹様はそんな俺の壁をものともせず、すっと入り込んできた。
校庭で遊ぶ時も、学年を跨いだ班活動でも、彼女は何かと俺に声をかけ、手を引いてくれた。
「一緒にやろうよ。」その言葉は、孤独に覆われた俺の世界を明るくしてくれる魔法のようだった。
ある日、俺は図書館で美樹様にぽつりと漏らしてしまった。
「この世界が本当に現実なのか、時々わからなくなるんだ。」
言った瞬間、彼女は驚いたような顔をして俺を見つめたが、すぐに微笑んだ。
「どうしてそう思うの?」
「なんて言うか……全部が夢みたいに感じる時があるんだ。」
俺の言葉に、彼女は少し考え込むような仕草を見せた。そして、やわらかな声でこう言った。
「夢だって思うなら、それが夢じゃないことを確かめればいいんじゃない?」
「確かめるって、どうやって……?」
「例えば、私の手を握ってみて。」
彼女の言葉に従い、恐る恐る手を伸ばして彼女の小さな手を握る。その感触は温かく、確かなものだった。
「ね、これが現実じゃないって思う?」
その瞬間、俺の中で何かがふっと溶けた気がした。
「……現実だ。」
俺がそう呟くと、美樹様は安心したように微笑み、「そうだよ」と頷いてくれた。
美樹様と一緒に過ごす時間が増えるにつれ、俺の心に少しずつ「この世界に自分の居場所がある」という実感が芽生えていった。彼女は、いつも自然体で俺に寄り添い、些細な言葉や行動で俺を励まし、前向きな気持ちにしてくれる。
校庭での遊び、図書館での静かな時間、そして何気ない日常の中で彼女がくれる言葉や笑顔は、俺の孤独や違和感を少しずつ埋めていった。
小学生時代の終わりに近づいた頃、美樹様がふとこんなことを言った。
「義之君が時々不安そうにしてるの、少しだけわかる気がする。でもね、私がそばにいるから大丈夫だよ。」
彼女のその言葉が、どれだけ俺を救ったかは、今でも計り知れない。
転生者としての記憶に囚われ、現実感を持てなかった俺にとって、美樹様の存在はまさに「この世界の現実そのもの」だったのだ。彼女との小学生時代の思い出は、俺の心の支えとなり、現在の自分を形作る大切な一部となった。学習院初等科の卒業が近づいた頃、彼女がぽつりとこう言ったことがある。
「義之君とは、これからもずっと一緒にいたいな。」
「僕もだよ。」
その言葉が、子供ながらに初めて心から「友情」を超えた特別な感情を感じた瞬間だったのかもしれない。
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