第3話

 玄関を飛び出すと、夕暮れの冷たい風が、彼を出迎えた。

 「う~」

 盆地の秋に身を震わす。

 トーキョーのよどんだ空は見えない。

小さな肺いっぱいに冷たい酸素を送り込む。

夕焼けに染まった雲は動いた気配がない。

 いそごう…。

 駅までは7分の道のり。

 何か…ある。

角を曲がると待ち受けてるかもしれない。

「あ」

 しかし、森之介が角を曲がるのを待ち受けていたのは、彼が予測していたようなものではなかった。

 「…んだよ?」

 赤い野球帽。さっきまで彼をいじめていたクラスメートの一人だ。

2秒ほど立ち止まって目をあわせて、そして森之介は赤い野球帽の前を通り越し、歩を進めた。

 「待てぇや」

 声が背中につきささる。

 振り向く。

 「お前を待っとたんで、トーキョー」

 いつも徒党を組んでいる赤い野球帽が、めずらしくひとりだった。

「僕はトーキョーって名前じゃない」

 「わかっとるわい、トーキョー」

 森之介を怒らせようとしているのか、赤い野球帽は続けた。

相手になってたまるか…と、森之介は、そのまま背をむけて1歩すすんだ。

 「お前の父さん、死んだんか?」

 凍りつくような言葉が森之介を包んだ。

「それで、お前はミヨシに来たんか?」

 空には、ホログラムでしか見たことがないような一番星が出ていた。


 「なぁ、お前の父さん、死んだんじゃろ?」

 赤い野球帽は、森之介に重ねてきいてきた。

「…」

 森之介は、何も言い返さず、黙って拳をにぎりしめた。

 死んでない!と叫ぶのは簡単だった。

 でも、父さんは言った。

 『真実を見極めろ』と。

 …最期に。

 森之介は深く息を吸いこんだ。

 小さく答えた。

 「そうだ」

 手の中の焼き芋の包みが冷たく感じられる。

「…ほうか」赤い野球帽の声も、同じトーンだった。「俺の父さんも死んだんだ。あの疫病で」


 今世紀初頭に、惑星全体をウィルスが蔓延した。

 生命をおびやかす病原菌の出現に、全世界がパニックに陥り、あらゆる地域で、あらゆる紛争が勃発した。直接のウィルス感染で、人口の三分の一が減り、残りの三分の一が紛争で命を落とした。

 それから、何の予告もなく、突然、人類は破滅への道から救われた。抗ウィルス剤の処方を記録したデータが、どこからともなく流れはじめ、あっと言う間にパソコンで全世界を駆け巡ったのだ。

 

「お前の父さんも、疫病にやられたんか?」

 森之介は、赤い空を見上げた。「うん」

 死因はウィルスでないにしても、父さんの死には、ウィルスがからんでいた…に違いない。母さんが消え、父さんが死に、自分が、こうやって逃げ延びていることも。

「トーキョーはひどかったんじゃろ?」

 森之介は、はじめて同級生である赤い野球帽を間近に見た。首都圏では、もう見ることすらまれになった、生粋な日本人の髪と目と肌と血の色を持つ少年。ロシア人の母が羨ましがった暗黒色の眼。背丈と脚の長さだけが21世紀人らしく、すらりと伸びている。「トーキョーは全滅じゃあ言う噂じゃったけど」中国地方独特の発音。

 「ウィルスより強奪の方が恐ろしかったな」森之介はクールに言ってのけた。

はるかに生命破壊力の大きいウィルスだが、その姿は目に見えぬ。それよりも、武器を持った人間たちの方が、幼い森之介には脅威だった。ウィルスは退治できる方法が見つかったが、トーキョーの裏街は悪化していく一方。

 風が吹く。

 「行かなきゃ」森之介は無意識に空を見上げた。

 「どこへ?」

 答えずに、森之介は新聞紙の包みを胸にだいたまま、走り始めていた。

「どこへ行くんや~!」声と一緒に赤い野球帽が追っかけてくる。

 「駅!」と一言。

 「待てやぁ…」


 あら?

 ミュミ婦警は、道路の向こう側の歩道を走る二人の少年の姿に気がついた。

 あれは…? さっき喧嘩していた子たちじゃない?

 喧嘩というより、いじめだったみたいだけど。人間の遺伝子がなせる技、いじめ。ウィルスみたいに抗いじめ剤なんてのができればいいのに。

 婦警になって2年間、少年補導で町に出てみて特にそう思う。

殴られていた方の少年は、めずらしくハキハキした子だった。転校生と言ったか。

二人が向かっているのは駅の方だ。

いじめでないにしても、確認してみる価値はあるわね。

事件を未然にふせぐため。それより、さらにふみこんで、事件の源すらを消去するため。

 それにしても、今日の夕焼けは赤すぎる…な。


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