第2話 乙女の恋心は希少価値の高い一点ものだから

「フツーでしょ、それくらい」


 友人の真波は筆記用具を片づけると手鏡を開き、乱れていない前髪を直した。


「ポルターガイストが発生するカフェは普通じゃないよ!」

「でもさ、電話つながったんでしょ。優しそうな声の店長が出たってさっき安心してたじゃない」

「そうだけど、そうじゃないんだよ」

「もう一度行ったら大したことないかもよ。妄想しすぎ」


 昨日、百花はとんでもない過ちを犯した。

 カフェにスマホを忘れたのだ。


 奇怪でヘンテコで得体の知れないお洒落なカフェにスマホを忘れるなんて、高校生の頃に三点の英語の答案用紙を学校に置き忘れて、翌日クラス全員に可哀想なやつ認定された以来の失態だ。


 一人で取りに行く勇気がなく真波に相談したところ、スマホを貸してくれた。

 まずは電話をかけてみろ。警察に届けられていたらカフェに行かなくてすむし、怪しいユウレイ店員がスマホをぶち壊していたら諦めがつく、ということだった。


 いや、壊れていたら諦めはつかないよ。すっごく困るんだけど。


 真波のスマホから置き忘れた電話番号にかけると、柔らかでお腹の底にゆったり届く低音ボイスの男性が出た。声でキャラクターに息を吹き込む仕事をしているのではと勘違いするくらいには、魅惑的な声だった。


 男性はカフェでスマホを預かっているとし、百花は午後取りに行くと約束をしたのだが不安がある。お化け店員にスマホを人質に脅されたらどうしよう。近代的な店内と真昼の怪奇現象のギャップについていけず、絶対抵抗できない。


 真波について来て欲しいのに、今日はなにを話してもうわの空で、透明なイヤフォンをつけてノイズキャンセリングでもしているのかと疑ってしまう。


 枯草のようなため息が出る。

 あの店に一人で行くのか。憂鬱だなあ。


 教室を出て廊下に出ると、真波の浮ついた瞳がドラマの有名俳優を見つけたかのように輝いた。

 視線の先にいるのは、学人先輩だ。

 天文部の部長で、ワックスで整えられた金髪、黒縁メガネからのぞく愛嬌のあるキツネ目、上下黒のファッションがトレードマーク。イケメンではないが、男女問わず誰にでも優しく細かな気配りを忘れない。

 新しいシュシュを買うとすぐに気が付くし、学食で部員が集まると、全員が話に参加できるように声をかけてくれる。


 真波は二人羽織りをしているかのような不審な動作で百花の耳元に口を寄せると、密やかに教えてくれた。


「今日、先輩に告白するんだ。この後一緒に学食を食べて、レポートの作成を手伝ってもらうの。部室じゃなくて、先輩のうちに呼ばれてるんだ。はぁ、心臓がうるさくて飛び出しそう」


 百花の喉がひゅっと鳴り、酸素と二酸化炭素と、さっきの授業のつまらない感想が引っ込んだ。


 みんなの憧れ、優しさの一番星、学人先輩を独り占めして告白までしちゃうって?

 そっかー、そうなんだ。うんうん、真波なら先輩から余裕でOKをもらえるよ。

 教授を欺く賢さがあって頼りになるし、ぱっと笑えばヒマワリが咲いたようにその場が明るくなる。インスタにあげる料理は家庭的で、手作り弁当は彩り豊か。本屋巡りが趣味の地味な百花とは大違いだ。


「ぜったい上手く行くよ。がんばって」


 応援するしかなくて、良い友達のフリをして送り出したけど、二人の様子が気になって仕方がない。先輩の部屋で肩を寄せ合い仲睦まじくレポートを作成していると、小指と小指が偶然当たり、そのまま……。


「はぁーっ」


 木枯らし一号みたいな吐息はテーブルの上を走り、コーヒーの表面を揺らした。

 現実逃避に逃げ込んだ昨日のカフェ。スマホを返してもらい、星くず入りコーヒーを堪能中だ。


「三回目のため息ですが、口に合いませんでしたか?」

「いえ、そんなことないです!」


 全力で否定した先には影も形もなく、陽だまりと遊ぶ蝶のような気配が佇んでいる。タオルを降らせ筆談に励み、電話の問い合わせに対応してくれた店長だ。


 このカフェは、正確には異世界カフェらしい。


 異世界とこちらの境目にカフェを開き、波長が合う人間を客として招く。相手の姿が見えないのは異世界と百花のチャンネルが合わず、例えるなら真っ暗な映像を流しながら声だけが聞こえるテレビの状態だかららしい。

 声が聞こえるようになったのは、カフェの水を飲み、異世界との繋がりができたからで、飲食を続ければいずれ姿が見えるようになるそうだ。


 最近の異世界ってそんな感じなの?


 透明人間の接客には慣れないが、店内の居心地は良い。

 店長は癒しのテノールボイスだし、コーヒーは付属の金平糖を入れて溶かすと味が変わる不可思議仕様で、何杯でも飲みたくなる。


 黄色の金平糖なら目が覚めるレモンコーヒー、緑色はパチパチ弾けるラムネフレーバー、赤色はピリリと辛くて山椒に似た味が追加される。

 レモンやラムネや山椒がコーヒーに合うはずないのに、塩キャラメルの感覚で互いの良さを補い調和を保つ。こちらの世界では味わえない、異世界ならではの組み合わせを楽しめる。


 こんなに美味しいのに百花の反応が悪いためか、店長はコーヒーを淹れ直そうとする。


「このままで大丈夫です。コーヒー、すっごく美味しくて、ごくごく飲めます! ただ、今日憂うつなことがあって……」

「そうなんですか。大変でしたね」


 悩みをそっと撫でるような声色に、百花は思わず洗いざらい吐き出してしまった。

 先輩が気になるが、誰がどう見ても可愛くてお洒落で人格者な真波の方がお似合いだし、今頃告白は成功して清く正しいお付き合いが始まっているはずだ。


 二人が手をつなぎキャンパスを歩く姿を想像するだけで、首にロープを巻き付けられたような息苦しさがあり、いっそ締めてもらえたら楽になれるのにと思う。目をそらしたくなる現実を見なくてすむから。

 はあ、専門病院があれば即入院になりそうな失恋だ。


「でしたら、その恋心、譲っていただけませんか?」

「へっ?」


 知らなかった、恋する気持ちはプレゼントできるんだ。化粧箱に入れてラッピングを施し、リボンを巻いて熨斗紙をつけたらはいどうぞ、ってそんなわけあるか。


「冗談ではなく、こちらの世界の情緒はとても良い食材になるんです。恋を忘れられずに苦しいようでしたら、こちらでいただきます。すっきりして悩みがなくなりますよ。もちろんタダとは言わず、それなりの金額をお支払いします」


 なるほど、異世界カフェっぽい相談だ。この店長ならウソ偽りなく恋心を回収し、夢見心地になれる魅惑のスイーツに変身させる可能性が高い。

 でも、いらなくなったらゴミ箱に捨てるように、気持ちを簡単に捨てて良いのかな。


「魅力的なお誘いですが止めておきます。先輩のことは、入部したときからずっと良いなと思っていたから、大事に消化したいんです」

「かしこまりました。そうですね、深山さんの気持ちを考えず浅慮でした。失礼しました。」

「いえ、気持ちはとても嬉しいです。大学では相談できる人がいないですし。あの、恋心は差し上げられませんが、また来てもいいですか? このカフェすごく居心地が良いんです」

「ありがとうございます。いつでもお待ちしていますよ」


 姿は見えないが、夜道を照らす月明かりのような懐の深さが感じられ、真摯な印象しかない。


 これから何度も足を運ぶ確信がよぎる。

 まったく、店長は商売上手だ。

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