カフェ:きみをひとさじ

第1話 透明店主の丁寧な接客はホラーでしかない

 飛び込んだその先はカフェだった。


 深山百花みやまもかは呼吸を整えると、体を三百六十度回転させて不審者がいないのを確認し、ほっと息をつく。

 整然と並ぶ木製のテーブル、静かなカウンター席、ペンダントライトの照明は明るく、心地良い音量でジャズが流れている。

 窓から路上の様子を探れば、小雨に濡れた細い路地が夕闇を鮮やかに反射するのみで、スマートな諜報員も怪しいスナイパーもいなかった。


 ……上手く撒けた?


 最近、大学から帰宅途中に後をつけられている気がする。獲物に飛び掛かるタイミングを見計らう狼みたいに、数メートル後ろを足音なく不気味で奇妙な影がついてくるのだ。


 まさかストーカー? 


 それはさすがに自意識過剰だ。最近読み始めたミステリー小説や夜中に見たホラー映画の影響で、想像力がたくましいだけだと思う。

 容姿とファッションは平凡で、駅の雑踏に紛れたら待ち合わせ中の友だちから見落とされる自信がある。つまり狙われる理由がない。


 だとしたら、奇妙で不気味なねちっこい視線はなんだろう。


 ひとまずここで時間を潰して帰ろう。

 二人掛けのテーブル席に座り、メニューを開く。

 満月パンケーキ、夕焼けナポリタン、月光レモネード、星くず入りコーヒー、幻想と現実を橋渡しするような名前が並び、全部頼んでちょっとずつ食べたくなる。

 胃袋の中は空っぽで新入りを消化しようと蠕動運動を始めるが、残念ながら手持ちは寂しく、値段が手ごろなものを選ぶ。


「すみませーん」


 メニューを蝶の羽のように開いては閉じ、テーブルの木目であみだくじを始めても店員は来ない。


 というか、店員がいない……? 


 入口には「OPEN」「商い中」「イラッシャイマセ」「やってます」の看板が下がっているし、手書きのメニューボードもあった。店の奥で作業をしていて客に気づいていないのか、トイレにこもりサボっているのか、強盗に襲われて縛り上げられていたら……大変じゃないか!

 席を立ちカウンターの奥を覗けば、簡素できれいなキッチンに人影はない。


「あのー、注文をお願いしたいのですが」


 無人のまま店を開きっぱなしとは事件の匂いがするよワトソンくん、なんてね。

 奥へ身を乗り出したとき、背後で物音がした。座っていたテーブルにお手拭きと水の入ったグラスがある。

 いつの間に。

 分かった、サプライズを見守る家族みたいな、こっそり接客するのがコンセプトのカフェなんだ。

 席へ戻りグラスの水を一口含み、改めて注文をする。


「あのー、星くず入りコーヒーを一つお願いします」


 盛大な独り言を終えると、頭上にふかふかの物体Xが落ちて来た。


「ふぁっ!?」


 目の前が真っ暗になり、慌ててそれを取る。タオルだ。

 コーヒーを注文したら、タオルが落ちてきた。なにこれ。注文が通った合図、客に顔を見られないための工夫、新開発の飲み物とか?


 困惑していると、正面にホワイトボードが浮いていることに気づく。読みやすい文字で「すみません」と記されている。

 急に謝られた。


「……えっと? ああ、タオルですね。びっくりしたけど、大丈夫ですよ」


 ホワイトボードの文字が消され、マーカーペンが几帳面な返事を記す。


 ーー雨で濡れているかと思いまして。良ければ使ってください。


「ありがとうございます。でも、小雨ですし、乾いてきたので平気ですよ」


 タオルを返却しようとして、見逃していた違和感が輪郭を縁取り現実になる。

 相手の姿がない。

 ホワイトボードが宙に浮いている。

 マーカーペンが独りでに動き、文字を書く。


「お、お、お化けがでた!!」


 誰もいないと思ったら、お化けカフェだったのか!

 って、そんなことある?

 混乱をさしおいて、ペンは「大丈夫ですか?」の文字を綴る。


「だいじょうぶじゃありません!」


 カフェを飛び出すと、一位を目指す体育祭のリレー選手のごとく、一目散に駆けだした。

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