中二病、三次元に現れる。~過去に書いてた小説に出てくる魔王が私のベッドで寝てるんですが~

永杜光理

第1話

 いつも通りに仕事を終え、くたくたになりながら自室の扉を開けたさつきの目に飛び込んできたのは、麗しい成人男性が自分のベッドの上ですやすやと寝ている姿だった。


「………」


 そのまま何十秒、いや何分沈黙していただろう。


 こんこんと眠る男は、幻覚でも人形でもなさそうだ。呼吸をするたびに浅く胸が上下しているし、空気が鼻を通る音もかすかにしている。


 日々の疲労と鬱屈した感情が作り出したまぼろしだ、と結論付けて無視できればよかったのだが、男の素性を探ろうとするエネルギーは、さつきにかろうじて残っていた。


 足裏を床から引きはがし、ゆっくりと近づく。全身黒づくめでマントに身を包んでおり、キューティクルの輝く黒い長髪はふわりと広がって、個性的なデザインの額あてを装着していた。よく見ると足元は膝まであるロングブーツだ。


 そこで初めて、さつきは声をあげた。


「土足で寝ないで。ベッドが汚れるでしょ!」


 他に質問や疑問が口から飛び出てもおかしくないのに、第一声がこれだ。彼女の狼狽ぶりを物語っている。


 すると、男はまぶたを開けた。そのまま上半身を起こす。


「……っ!」


 声にならない悲鳴をあげながら、さつきは後ろへ下がる。

 目覚めた彼は、さつき好みの男の色気あふれる美しさをたたえていたのだ。


 ほりの深い目元、すっと通った鼻筋に、全く荒れていない肌。そしてさつきの姿をとらえたその瞳は、どこか物憂げな雰囲気をたたえていた。


 男はなぜか、さつきを見て嬉しそうに微笑んだ。身軽にベッドから降りると、片膝をついて胸に手をあてる。一方さつきはと言うと、素早く後退しびたん、と背中を壁にぶつけた。


 姿勢と笑顔を崩さないまま、男は声を発した。


「やっと会えた。我が創造神よ」

「……は?」


 さらに疑問が膨れ上がるさつきと、まだニコニコしている男。


「あなた、誰? 泥棒じゃなさそうだけど」


 ようやく誰何できたさつきに、男は平然と言う。


「俺は魔王だ。名前はまだないが」

(何言ってるんだろこの人)


 悪人ではなさそうだが、さつきの常識では理解がどうしても追いつかない。


 突如物音がして、さつきは悲鳴をあげる。


「わあっ!」

「さっさとご飯食べなさいって言ってるでしょ。何回呼んでも返事しないし、一体どうしたの?」


 開いたドアの向こうに母が立っていた。こちらを怪訝そうに見てくるが、部屋の中の不審人物には無反応だ。

 さつきは母に視線を合わせたまま、人差し指で男性を示す。


「ねえ、私の部屋に何か変なところない?」

「え?」


 母はきょろきょろとさつきの部屋を見渡し、そうねえ、とつぶやいた。


「最近帰りが遅くて忙しそうだから、ちょっと荒れてるなって思うくらいね」


 さつきは首がもげる程の勢いで再び自室を見る。その中央には存在感と違和感ありまくりの男がいるというのに。


「それだけ?」

「あとは週末に洗濯しておいたら? ってくらいかな。そんなことより、テーブル片づけたいからさっさとご飯食べて。わかった?」


 重ねて言い含めると、母は一階のリビングへ戻っていく。


 さつきは扉を閉め、再び自称魔王の元へ近づいた。少し距離を空け、しゃがんで視線をあわせる。


「あの、あなたって」

「創造神よ、先ほど名乗ったとおりだ。俺は名前のない魔王だ」


 さつきはうなだれだ。耳が徐々に赤くなっていく。段々と、この男性の容姿に覚えがあるような気がしてきたのだ。


「まさか……いや、そんなこと、あり得ないよね。じゃあなんで、目の前にこのキャラがいるわけ?」





 さつきは地方都市に住む、会社員に擬態して生きるアニメオタクだ。花の二十代もあと数ヶ月で終了になる。

 休日の今日は、一足早く三十路へ到達した同級生の優芽が久しぶりに家へ遊びに来てくれた。


 目的は、例の男について相談することだ。


 不思議なことに、優芽は男が視認できるようだった。彼の姿を見たとたん、「さつきの言ってる事って本当だったんだー!」と感激と驚愕が混ざった表情になったのだ。


 ミニテーブルを二人で囲み、お互いに両腕を乗せて顔を近づける。その二人の様子を、自称魔王はにこやかな笑顔で見ている。


 振り返って魔王をもう一度観察した優芽は、さつきへ小声でささやいた。


「あのビジュアルって明らかに、さつきが昔書こうとしてた小説に出てくるキャラクターじゃん」

「……うん」


 自分でも確信していたのだが、他者に断言されると何故か居心地が悪い。

 優芽はどこか遠くを見、懐古にひたる。


「お互いに、小説の設定の見せあいっこをよくしたねー。それなのに、二人ともろくに本文は書かなくてさ。なのにキャラの絵を描いたり、あげくの果てにはキャラソンの歌詞まで考え――」

「だめーっ!! それ以上は言わないでー!!」


 突然の大声に魔王は目を丸くしたが、優芽ははあ、と世間知らずの坊やを見る悪女のようなため息をつく。


「いいじゃん。中学の頃の痛くて輝かしい思い出、大事にしようよ? あれはあれで、青春のひとつの形だと私は思うけど」


 妙に達観してる友人に、さつきは同意しかねた。

 ただ彼女は、困っていたのだ。


「この魔王さんは、どうやったら私の部屋から出ていくと思う?」

「わかんないけど、取りあえず今頃現れたのはどうしてか聞いてみたら?」


 さつきは再び振り返ったが、すぐ目をそらし、全力で断言する。


「無理。いろんな意味で恥ずかしくって無理。想像通りのカッコよさだし、リアルな中二病にかかってた時に考えた遺物だし!」

「面倒だなあ。私が聞くよ」


 さつきの返事も待たず、優芽は魔王の前に立つとずばり聞いた。


「魔王さん、どうしてあなたはさつきの部屋に現れたの?」


 すると穏やかな微笑を浮かべていただけの魔王が、柳眉りゅうびをひそめあからさまな侮蔑の表情を浮かべた。


「下等な生き物が。俺を誰だと心得ている? 創造神から未だに名前は頂戴してないが、俺はまごうかたなき魔王だぞ」


 余裕と威厳あふれる物言いに、優芽は膝から床に崩れ落ちた。しかし魔王にひれ伏したわけではなく、可笑しさをこらえきれなくなっただけのようだ。


 ただ一応は遠慮しているのか、丸めた背中の奥に一生懸命笑い声を押し戻そうとしている。


 そんな葛藤する優芽を無視し、魔王はさつきの前に膝をついた。


「わっ!!」


 先程の態度とは違い、悲しみを隠しもしない瞳でさつきを見つめる。


「俺が望むことはただひとつだ。創造神よ、どうかこの魔王に名前をいただきたい。あなた様によって名付けられれば、俺は満足できるのだから」


 さつきは座ったまま、後ろへ下がる。どうにか笑いに耐えぬいた優芽が、魔王の背からひょこっと顔を出した。


「ノートかホームページを見れば、設定とか書いてあるんじゃない?」


 さつきはため息をついた。


「探さないとわからないよ。URLなんてメモしてないし、ノートも捨てたかどうかすら覚えてないもん」


あちゃー、と優芽は片手を頭に当てた。





 さつきには幼い頃から、よく褒められることがひとつだけあった。それは、年齢の割に文章が達者、ということだ。


 本はそこまで好きではなかったが読書感想文は必ず評価されたし、様々な作文コンクールへ提出された回数は、他の子と比べて突出していた。


 そんな文章が上手いごく普通の児童だったさつきは、中学進学のちしばらくしてオタクな生徒へと変貌する。


 きっかけは、小学校の違う優芽と同じクラスになり仲良くなったこと。そして優芽から紹介された漫画や小説にドはまりしたことだった。特にさつきが生まれる前に発売された、異世界を舞台にした少女漫画にどっぷりとのめり込んでしまった。


 その少女漫画は、たまたま漫画好きの母親が持っていたのだが、借りたその日に一気読みしてしまった。それだけに収まらず、優芽の家へお邪魔してアニメDVDをレンタル鑑賞会を開いたりもした。


 まさに優芽によって、さつきは新しい扉を開いた。そして、プロが作った楽しくワクワクする物語をたっぷりと浴び続けてから一年後。


 中学二年生の時、さつきは買ってもらったガラケーで自分だけの城を、つまり携帯向けホームページを作った。


 当時は様々なSNSが既に存在していたが、どうしてホームページ作りを選んだかというと、これまた優芽とは別のオタク友達が既にホームページを作って楽しんでいたから、だ。


 そしてさつきは自分の城に、己の脳裏にあふれてやまないイマジネーションを表現することにした。


 大人から文章が上手、と言われ続けてきたさつきは、とうとう人生で初めての小説を書くに至ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る