第5話


 崇善家の兵士がやってきて、賊の引き渡しをしてる間に、俺は村を出て道なき道を北に進む。

 ここの領内を出るまでは、兵士を避ける為にまともな道は使えない。

 まぁ、山野に籠って修行するのが趣味みたいな師と暮らしていたから、その位は慣れっこだけれども。

 別に悪い事をした訳でもないのにコソコソとするのは性に合わないが、面倒を避ける為なら仕方なかった。


 こんなにもギリギリになったのは、俺が村を出た後に賊が逃げ出して村人を殺すなんて事があれば、流石に寝覚めが悪いから。

 領主に捕まった賊の運命は、恐らく碌なものではない。

 すぐに殺されるかどうかは、半々といったところか。

 鉱山等で労働者が必要ならば、そちらに放り込まれるだろうし、楊森家との戦いが間近なら、最前線に押し出され、生き残って手柄を立てれば生き残れる可能性はある。

 まぁ崇善家が人手を必要としていなければ、すぐに縛り首か磔刑だろう。

 賊もそれがわかっているから、逃げる隙は常に伺っていた。


 村人に犠牲者が出なかったとはいえ、賊として村を襲うというのは、その地の領主を侮ったという事だ。

 崇善家としても、簡単に許せる罪ではない。


 つまりあの賊は、俺に降伏して捕まった為に死ぬ。

 俺が金砕棒を振って打ち殺した訳ではないけれど、結果は同じである。

『村を助けようとするならば、あの襲撃者を殺す事になるかもしれない』

 師の言った通りに、そうなった。

 そうとわかって、覚悟の上で村を助けに行ったのだけれど、……まぁ、後味は確かに悪い。

 ただ、後悔はしてないし、決断して助けに行って良かったと思ってる。


 暫く歩いていると小腹が空いたので、俺は地べたに座り込み、懐から葉に包まれた握り飯を取り出す。

 名主の奥が作ってくれた弁当だ。

 米に塩を振った大きな握り飯が、二つ。


 米は真っ白で、こうした白い米を作るには、籾から籾殻を除いて玄米にする籾摺りと、玄米を白米にする精米の二つの作業が必要だった。

 つまりこの握り飯には、とても手間が掛かってる。

 がぶりと大きく齧り付けば、塩気が程よく、噛めばうま味が口の中に広がっていく。

 塩も海から離れたこの辺りでは、決して安い物じゃない。


 あの村の人々の感謝の気持ちが、この握り飯からも伝わってくる。

 だから俺は、そう、後悔はしてないと言い切れた。



 一つを食べ切ったところで残るもう一つは再び葉に包み、懐へと戻す。

 このまま一度で食べ切ってしまうのは勿体ないと思ったのだ。

 今日の食事はこの握り飯でいいとして、明日からはどうしようか。

 弘安家の領都へは、山を越えるし、この辺りは道も悪いから徒歩なら十日は掛かる。

 栄えた都だけあって遠いと言うべきか、それとも師の籠ってた山野が田舎過ぎるだけなのか。


 山野に籠る事に慣れているから、食を得る手段は身に付いている。

 食べられる野草の見分けは得意だし、鳥がいれば印地を撃って石を投げて仕留めて、羽根を毟って焼けばいい。

 あぁ、小刀で腹を割って内臓を抜くのも必要か。

 川があれば魚も取れるし、水を沸かして湯も飲めるだろう。

 猪でも出れば、仕留めてどこぞの村で米と交換して貰うってのもありだ。


 生きていく為の手段は、この身にちゃんと刻まれていた。

 ただ、それを旅しながらできるかどうかは、試した事がないから自信がない。

 まぁでも、それは明日考えればいいか。

 

 それから黙々と歩いていると、やがて日が暮れてきて、空が綺麗な朱色に染まる。

 でもそんな風に空が綺麗だって伝える相手は、今は誰もいなかった。

 こう……、一人旅って意外と寂しい。


 だけどそんな事はさておいて、そろそろ寝床を決めた方が良い頃合いだ。

 幸い、今は暖かい季節だった。

 火を熾せる場所を探して、燃料になる枯れ木を集めたり、地人じびとのように穴を掘って潜り、寒さを凌ぐ必要もない。

 どこか適当な木の上で眠って夜を過ごしても、凍えて風邪を引いたりはしないだろう。

 尤も、俺は生まれてこの方、風邪なんて引いた事はないんだけれども。


 でも風邪がどんな物かは知っている。

 健康な大人ならともかく、飢えたりして身体が弱ってる時、或いはまだ小さな子供が風邪を引いた場合、命に関わる病だ。

 

 昔、とある村の子供の間で風邪が流行した時は、師と一緒に薬となる草木、実を一晩掛けて山で集めたが、結局一人は苦しんだ末に死んでしまった。

 師が言うには、実は風邪はその時々で微妙に異なる病で、完全にそれに対応する薬がないらしい。

 高い熱が出る風邪や、喉に残り咳き込む風邪、何時かはこれらも区別され、別の名前が付けられるのかもしれないが、今は一口に風邪と纏めて呼ばれていると。

 また風邪は他の病の呼び水となり、弱った身体に侵入させる。

 村の子供が亡くなったのも、風邪の影響で肺を病んだからなんだとか。 


 風邪だけじゃない。

 病は人に死を招く。

 死は、とても忌まわしく感じてしまう。

 生き物は、やがて必ず死を迎えるというのにだ。


 人は死ぬと、魂が根の国に吸い込まれるという。

 根の国は、扶桑の根が大地を持ち上げた時、そこに生まれた空洞を、天の神々がそう名付け、そこを死者の国と定めたらしい。

 だがある日、多くの死者の魂を吸い込み続けた根の国から、扶桑の根を伝って八洲の地に恐ろしい何かが現れた。

 何かと表現するしかない、悼ましく、恐ろしい、そう、これまで地上には存在しなかった怪物が。

 怪物の吐く息は、木々を腐らせ、獣と人の一部を狂暴に狂わせ、狂わなかった人を恐怖に竦ませる。


 人々は怯え竦みながらも、必死に天に住まう神々に助けを求め、神々はこれに応じたそうだ。

 神々は怪物と争い、地の底にそれを押し戻したが、その最中に幾柱かの神は力尽きて眠り、海に落ちてしまったという。


 また神々は根の国に怪物を押し込めた後、再び地上に這い出て来ないよう、そこに門を築き、自分達の力を割いて、それを守る門番を生み出した。

 しかしそこにも力を割いてしまった為に、更に幾柱かの神が力尽き、長い眠りに就いたそうだ。

 これにより神々は余力を失って、今は天で静かに力を回復させている。

 宮司や禰宜、巫女等の神職は、神に祈りを届かせてその力の一部を借り受けられるともいうけれど、休む神々を煩わすなかれと、あまりその祈りが多用される事はない。


 けれども地上から怪物はいなくなっても、その息で腐った木々、狂った獣や人は残っていた。

 人は怪物の息が生み出したそれらを妖と呼び、恐れ、戦い、時には利用して、この八洲の地で生きている。


 そして、神々が力を割いて生み出した門番は、鬼と呼ばれる、額に角が生え、金砕棒を振り回して怪物の眷属を根の国に押し留める者達だそうだ。

 ……そう、その特徴は、まるで俺と同じである。

 いや、俺は別に怪物の眷属と戦ってる訳じゃないんだが、まぁ、妖と戦った事なら、幾度かあるが。


 師は、鬼と俺には何らかの関係があるんじゃないかと言っていた。

 だからこそ、強く死を忌まわしいと感じるのではないかとも。

 果たしてそれがどうなのかは、わからない。


 扶桑の根を辿れば、中を通って、遥か天に昇る事も、逆に地の底の根の国に生きて辿り着く事もできると言うけれど……。

 赤子だった俺を捨てた相手が誰なのかをわざわざ確かめる心算は、今のところはあまりなかった。


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