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夫の雅人の実家へは金銭面の関係で訪問できずにいる。

私が、自分の実家へ戻ってくる頻度が上がっているためである。

過去を思い出したところで何もならない。嫌な気分になるだけだ。


私は、二週間前にもくぐった実家の門をくぐり、玄関の戸を開けた。


「ただいま戻りました、れいです」


小旅行用の小さめのボストンバッグを体の前で両手に持ち、母が現れたのを認めてから、頭を下げる。


「あら、遅かったのね」


これでも朝六時半には家を出た。

七時台の新幹線に乗り、東京で最短の乗り継ぎをして来たのだ。


「申し訳ありません」


私は頭を下げたまま謝罪の言葉だけ声にする。


「まあいいわ、今、草壁さん来てるの、お茶の準備して」

「はい、わかりました」


荷物を玄関の上りぶちに置いたまま、客間へ足を入れる。

私は知らないが、向こうは私を知っている、というのを今まで何度も経験してきた。

今回もそのような客人らしい。


「お世話になっております」


とりあえず、正座をし手をつき頭を下げ、無難な挨拶を口にする。


「こちらこそ、いつもお世話になっています。来たばかりじゃないの、れいさんは休んで」

「ありがとうございます」


と礼は口にするものの、急須と客用茶器、茶たくと茶入を出し、ポットに湯量が十分にあるのを確かめ、煎茶を入れる。


れい、何やってるの、お茶菓子も出さずに」

「はい、申し訳ありません」

「奥さん、れいさん、今来たばかりですよ、別にお茶やお菓子は…」

「それがのお仕事ですもの、やらせなくちゃダメですよ。それで?お茶菓子はちゃんと買ってきたのでしょうね」


土産品を取り出す間も与えてくれなかったくせに、という思いは張り付けた笑顔の下に全部押し込めた。

お茶を出し終えてから、玄関の上りぶちまで戻り、ボストンの中から土産品の海老せんべいを取り出す。


「あら、そんなものなの。せんべいだなんて」


ああ、やはり。けれども何を買ってきてもそういうのだから、仕方がない。


「申し訳ありません。あの土地の銘菓が何になるのか、いまだにわからずにいるものですから」


外装の紙を開きながら謝罪をし、個包装の海老のせんべいを菓子皿へと移す。


「良い香りのおせんべいですね」


封をあけた草壁さんが取りなすように言ってくれる。

はい、ありがとうございます、と何に対する謝意なのかは自分でもわからないが口にする。


れいさん、お昼はまだなのじゃないの?」

「食べてきたでしょ、もう、こんな時間なんだもの」


草壁さんの心遣いの言葉に、はい、まだ食べておりません、と言おうとしたが被せるように母が返事をした。

草壁さんは、一拍、言葉を飲み込んで、そう…?と私に困ったような笑顔を向けた。

私は、昼食を食べたとも食べていない、とも返事をせず、土産品の包み紙を小さくなるまで折りたたみ、二人から視線をそらした。

右手にわずかなむず痒さを覚えたがすぐに消えた。


「香ばしくておいしいですよ」


土産品のせんべいを食べた草壁さんのいたわるような声がするが、私は客人の前に置かれた茶器に目線を合わせ、軽くお辞儀をするだけにした。

草壁さんは、そのあとすぐ、おせんべい一枚、煎茶一服を飲んで帰って行った。


「今の方はどのような方ですか?」


茶器を洗いながら母に尋ねた。


「覚えていないの?父さんの元で働いていた郵便局員さんよ」

「そうですか、覚えておらず申し訳ありません」


それはいつの話なのだろうか。

私が十七になる以前のことならば、忘れてしまっている私が悪いのだが、しかし、私が高校生の時、郵便局長だった父と共に働いていた局員の方は、五十嵐さんと友原さんだった気がしている。

が、あえて言わずにおいた。


右の手首が微妙にくすぐったくなっていた。

ゴミでもついたか、と見たが何もない。

気のせいか、と軽く手をゆすいだ。


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