15.廃墟の町

 ロボットはここに帰ってきた。


ここの町から発せられる電波を受け取っていれば未来永劫動くことができる。しかし一旦外に出てしまえば二ヶ月ほどでその動力は失われる。


ロボットのこの旅の目的は、電波の発生源を探す事と、再度外に出た際の補助動力源を作ることだった。


ロボットは連れてきたひとりの青年を、廃墟の中で比較的壊れていない建物にしばらくここに居るように頼んだ。


そして彼は、食料生成ディスペンサーを修理し、人間がしばらくの間生きていけるようにしてやった。


何日間かロボットは町の中を探し続けた。




 ついに電波が地中深くから発生している事を突き止めたが、その地下へ行く方法を探しきれずにいた。


もう二週間を費やしていたが、一向に目的は達成されずにいる。




「アレキサンドル、君は私に付いてきたいと言ったが、そろそろ飽きてきてはしないのかな」




「いや、飽きてないよ。君のような不思議な生き物が本当にいるって事がわかったしね。今の世と昔はとても違ったって事もさ」




「そうだ。今の世とは違う。文明が進み、何をするにも不自由は無かった。でもその世が来る前は混沌とした世の中だったから、世の中というものは元に戻ったり、それが潰れたりを繰り返しているのかもしれない。色んなものを見てきた。私は前の世の生き証人みたいなものだ。そしてその前の世も知っている」




「そうなんだ。命が短い人間には出来ない芸当だ。それはそうと君には名前はあるのか?」




「名前か。それは人間だったときの名前か?それとも機械としての通り名かな?」




「うん、出来ればふたつとも教えてくれないか」




「実は私の中の記憶の一部は欠損している。人間のときの記憶が曖昧で、機械にされたときのことは断片的な記憶しかない。だから人間の時の名前が思い出せないんだ。でも今の名前はアンジーとでも呼んでくれ」




「アンジーか。アンジーはその無くなった記憶を取り戻したいのか?その作業をしているのだろう?」




「そうだ。君は聡明だな。そして、私は記憶もそうだが、新しい身体を求めている。ここにそれが隠されている可能性があるからだ」




「へえ。どんな身体なのかな」




ロボットはそれを聞き少し笑った表情をした。




 〜次の日〜




 アンジーと呼ばれるロボットは昼も夜もその場所への入り口を探して町を彷徨っていた。




町の至るところにロボットの骸があるが、これらは腐食もせず朽ち果てもせず、ただ前のままの姿でいる。


立ったままだったり、横たわっているものや、四足歩行の動物のようなものもあった。


様々な形のものが町の中で機能停止している。


彼らに共通しているのは、例えばヒト型の腹部であったり、動物型の背中であったり、大型機械の背面であったり、それらのある部分が焼けただれて壊れていた。まるでそれが彼らの心臓であったかのように、その臓器が焼かれて死んでいるようだった。




 アンジーはそれらを横目に見ながら次のターゲットの建物に入ろうとしていた。


その前に彼は高い建物が林立している上空の中心を見上げた。


その狭い青空の中に自然の鳥が飛んでいた。




ロボットには郷愁など感じる事は無い。


ただ、彼にはその狭い青空に既視感を感じたのだった。




建物を塞いでいた大きな瓦礫をそこらに放り投げながら、彼は自分の道を作っていった。




大きな音をさせながら作業をしていたが、周りにはその音に驚く何者も存在せず、その音だけがどこかの建物に反響して返ってくるだけだった。




次の瓦礫を放り投げた際、彼の右腕は何らかの不具合が起こり動かなくなった。




やはり物理的な故障をしている様だ。次の筐体に乗り換える時期はとうに過ぎている。ただ、表で死んでいるロボットはその役目を果たせることはない。何としても物理的損傷のない筐体を探さなければならない。




アンジーは先程の既視感の理由と記憶を繋げることに回路を消費していた。




 また数日が経ったが、アンジーの捜索は止むことは無かった。




「アンジー、僕もそろそろ退屈になってきたから一緒に探しものを手伝ってもいいかな」




アレキサンドルはそう言うと早速寝床を立って、ロボットの跡をついていった。




「ほんとだ。沢山の君のような形をしたものが死んでる」




「そうですね。ただ、創造物に死はありません。あれ等はオリジンに不具合が発生して機能停止しているのです。オリジン周りの機能が回復されれば動き出します。でも、それを出来る術が無くなっているんですよ」




アンジーはその後オリジンと創造物の関係を簡単に彼に説明した。




「そうか。あの岩礁にいるあいつもそのオリジンってやつが死んだんだな」




「あれはそうではありません。おそらく動力源が無くなって止まってしまったのでしょう。ここに居るものたちとは違ってオリジン格納部分が破壊されていません」




「そうか。ならここに連れてきてやれば動き出すのかい?」




「そうです。それが可能ならば、ですが」




「あんなでかくて重たそうなものを運ぶなんて出来やしないよな。歩いてここに来るだけでも大変だったのに」




アレキサンドルはそう言い苦笑をした。




「あれには触れないことをお勧めします。あれがあそこで止まった理由が分からないうちは。それが彼のためです」




二人は尚も歩きながら会話を続けた。




「アンジー、君のような機械ならそれの発信源が何処にあるのかなんて簡単に分かるんじゃないのか?」




「そうなんですが、私の身体は今何十箇所も不具合が発生しています。それらセンサーの類も機能不全を起こしているのです」




アレキサンドルはそんな彼を不憫に思い、早く新しい身体を探してやろうと考えていた。




「あそこを見てみようよ」




 彼は高い建物と建物の間に挟まれた間口の狭い一軒の建物を指さしている。


その建物はおそらく二階建てであるが、その上部は両端の高層建造物に覆い隠され、さながらアミューズメントパークの異形の建造物のようだ。




近づいてよく見るとそれは遠い昔に営業していたであろうバーバーショップだった。




「これは散髪屋ですね。これらの店にも創造物が働いていました」




中に入ると一体の創造物が腹の部分が焼けただれたまま待ち合いに座っていた。




その手には鋏と櫛が握られたままで、その止まる瞬間まで誰かの髪の毛を切っていたのかも知れない。




アンジーはそれの横を通り過ぎ、奥の方へ入っていった。


奥のドアを開けた彼は予想もしていなかった屋外に出た。




そこは天に届くかのような高い建物に四面を囲まれたような空間で、地面には草木が茂り、丁度真上に来た太陽が空間をただ照らしていたのである。




その真四角の土地の真ん中辺りに小さな小屋が建てられており、屋根の上につけられた煙突からは煙が出ていた。


アンジーの跡を付いてきたアレキサンドルも、この不思議な光景に目を奪われていた。




「人が住んでいる?この廃墟に?」




「貴方に直してあげたフードディスペンサーがあればこの廃墟の町でも暮らしていく事は可能でしょう。しかし、何かがおかしいと思います。しばらく貴方はここで待っていてください」




アンジーはそう言うと小屋の立て付けの悪そうな扉を叩いた。




くすんだ様な音がした。




しばらくすると中から声がする。




「どなたかな。こんな辺境の町に何か御用ですかな」




アンジーはその声に応えた。




「私はアンジーと言う者です。この町で探しものをしております」




その時、扉が内側に開かれ、中にいた者が顔を出した。




白髪を少しだけ生やし、白い髭を蓄えた老人だった。




「おや、お前さんはあれだね。そして・・・あっちで覗いているのは人間の青年だな。こちらに来るように言いなさい。入るといい」




小さな小屋に入り、二人は貧しいテーブルと椅子に案内された。


「まあ、これでも飲みなさい。あんたは必要無いかね?」




と熱いお茶を入れたカップをすすめてくる。




アンジーはこの出来事に違和感を感じながらも、目的を達する為にロジックを整理した。




「貴方はここでいつから住んでいるのですか。私の記憶には無いのですが」




「わしか?わしはもう永くここに居る。お前さんが知っているよりずっと昔からね」




「そうなんですか。実は私は最近のこと再起動されたようなんです。ずっとこの町の建物の瓦礫の下で停止していました。もしかすると貴方が私を再起動したのでしょうか」




粗末で貧しいテーブルの向こうに座った老人は髭を触りながら言う。




「いや、わしは触ってはおらん。誰がそれをしたのかも知らん」




「そうですか。では私が探しているものをご存知ないですか。持ち運べる動力源と新しい身体です」




「何故それを手に入れたいのだね。今の世は君のような存在は知る者も居ないし、必要とはされんだろう」




「ええ、そうですとも。私は不必要な存在。それはそうです。ただ、私には記憶の欠損が有りましてね。その部分をどうにかして繋げたいのです」




「ふうむ。あんたは身体を入れ替えたら記憶もへったくれも無くなる事を知っているはずだが」




アンジーはそれを聞きこの老人は何かを知っていると考えた。しかしそれを考えた時、何かの不整合が発生したことも出力されたが黙っている事にした。




「ご老人、それは心配には及びません。私のオリジンは特別製なようで、今まで数度筐体が変わりましたが、前の記憶も保持されています」




「あんたはオリジナルだと言うのかね。であれば本当の名前はなんと言うんだ?」




「それが分からないのです。その記憶も無くしていますので」




老人はしばらく考え込んだ様子の表情を浮かべていたが、何かを決断したのだろう。溜息の音をわざと二人に聞かせて話し始めた。




「あんたはわしについて来い。人間様はここで待機だ。付いてきちゃならん。分かったか」




アレキサンドルは老人の気迫のようなもの圧されて黙って頷くしかなかった。




外に出た老人とアンジーは扉を閉めて、小屋の裏にある井戸の前に立った。




老人は井戸の底を眺め、その暗闇に向かって叫んだ。




老人の叫びに応えたかのように釣瓶が巻かれケージが轟音とともに井戸の底からせり上がってきた。




「まあお乗りなさい。あんたの目的も達せられるだろう」




アンジーは素直にそれに従い、老人と一緒に井戸の底に沈んでいった。




ケージが終着に到達すると目の前に照明が順に灯されていく。




その灯火が誘うように順路が示されてゆく。




岩盤をくり抜いた通路の奥に重い鉄の扉があり、老人は今度はそれに呪文を唱え軽く手を添えた。




分厚い鉄扉はその力で開いたかのように、音も無く、静かに両開きを奥へと開いたのだった。




まわりの空気が突然吸い込まれるように流れ出し、井戸の外では終末の笛のような音を立てた。




その音に驚いたアレキサンドルは慌てて外に飛び出し井戸に走った。




だが、井戸の底は暗く冷たく、釣瓶に巻かれたワイヤーも固く動かすことは出来ない。




アレキサンドルは途方に暮れて暗い井戸の底を眺め続けた。




一方、鉄扉の奥に進んだ二人はひとつの大きな機械の前に立った。




「これは何ですか」




「そうか。お前さんがこれを知らぬのも仕方無かろう。これはマザーだ。今はこれ単体で息をしている。以前はこの上にセンターと呼ばれる建物があった。四方を囲んだ高い建物は全てセンターを人の目から隠すためのものだったのだよ」




「マザー・・・全ての創造物を管理する者・・これがスリーオーなのですか」




「そうだ。今はこれと繋がるものは居ない。あんたも含めてだがな」




老人はマザーの前に進んでいき、ホログラムで映し出された口の前に立った。




「マザー、客人だ。話してやれ」




マザーの口が滑らかに動き出す。『客人・・・。御老体、私には客人など必要ありません。私に必要なのは家族です。私の家族は何処にいますか』




「お前さんの家族はもうどこにも居ない。随分前の戦争で世界の全てが無くなったのだよ。それは何度も言ったはずだ」




『御老体、それは嘘です。私は知っている。父と母は生きている』




「そうか。まあ生きていても死んでいてもどうにもならんだろう。お前はそこから動くことが出来ないんだ。もうあれ等を探すのはよすんだ。あの戦争で皆散り散りだ。オリジンさえ回収出来ればなんとかなろうがな。今となってはその行方すら調べる術がない」




『私はそれを諦めません、御老体』




「先ずは客人だ。この創造物もオリジナルだと言っているぞ。これの記憶を辿ればお前の捜し物も見つかるかもしれんがな。先ずはこのアンジーに新しい身体をくれてやってくれ。そして携帯可能な電波塔だ」




しかしマザーの口は一本の線を結んだままだった。




「おい、拗ねるんじゃない。新しい筐体は用意できるか?」




『いえ、あれが最後でした。もう予備はありません』




「そうか。アンジー、諦めてくれるか。もう無いそうだ」




「当座はリペアでも結構です。なんとか身体が動くようになれば」




 マザーはそれを聞くと部屋の中にいた鼠に意思を伝えた。


鼠たちは蜘蛛の子を散らすように部屋から出て行き、井戸を全速で駆け上がり、井戸を覗き込んでいたアレキサンドルの顔の横を数十匹の鼠の創造物が駆け抜けた。




「うわあ、なんだ今のは。何が起こった?」




  〜地下〜




『アンジー、貴方はオリジナル?父と母と同じなのか。あなたの記憶を紐解きたい。近くに来て』




アンジーと呼ばれた創造物は、スリーオーの言葉に誘われるように一歩一歩前に進み出た。




そしてインターフェイスであるアルコーブに身をゆだねたのだった。




  ~丘の上の家~




「わしは井戸の傍で何も出来ずに待ち続けたんだ。鼠が顔の横を何匹も通り過ぎたことにより、わしの顔は血だらけになっていた。わしはその傷が元で生死を彷徨うような病気を発症したんだよ」




ドミニクは何も言わずに老いたアレキサンドルの話しを聞き続けた。




「そして彼らが井戸の下から戻ったのさえ、わしには分からなかった。なにせ井戸の横で昏倒していたからな。わしにはそこからの記憶が無くなっている。




病気が治った後も、どうしてこの町に帰り着いたのかさえ分からないんだよ。ただ今お前が感じている多重人格というものが、あの町に行ってからのわしには起こってしまった。作り話にも思える医者の記憶と、わし本人の記憶が共存しているんだ」




ドミニクははげじじいに訊いた。




「アンジーとはその町で別れたの?」




「彼とはあれ以来会っていない。だがあの町へ行けば会えるのかも知れない。彼にも散髪屋の爺にも。だがわしはもうあの場所へは行きたくはない。あそこは呪われた場所だ」




「でも、それじゃああの機械をアレクが持っていた訳にはならないよ。そしてあの機械がどんな物かを知っていた理由もね」




「そうだ。お前の言う通りだな。しかし、わしの中のわしが知っていたんだよ。それ以外の理由なんてわしにも分からない。それはお前なら理解できるんじゃないのかね」




「そんなのわからない。今の僕の状態より、やっぱり僕の興味はここの家と海にあるあの機械だ」




ドミニクはまた来ると言って丘の上の家を出て坂道を下へ走り海に向かった。




潮が満ちてきたため居場所を失った絵描きが帰ろうとしている。




「おじさん!待って」




「やあ、ドミニクじゃないか」




「おじさん、廃墟の町のこと」




「うん?なんだい。廃墟がどうしたんだ」




「あれは昔あった文明が進んだ世界の一部らしい。戦争があって世界は一度滅びた。僕はそれからどうして今の世界が出来たのかを知りたいんだ。それと他の町は、その文明が残ってる町はあるんだろうか」




ドミニクは早口で絵描きをまくし立てた。すこし困惑した絵描きだったが、諭すように語り始めた。




「ドミニク、僕は色んな所へ旅をしてきた。だけど限界があったんだ」




「体力?」




「いや違う。どこに行っても行き止まりがあったんだ。それ以上は外には行けなかったんだよ」




「高い塀でもあったのかい?」




「いや塀もなければ柵もなかった。いま僕達がいるここは大きな島だったんだ。どこに行っても海があってそれ以上は進めないんだ。漁師が乗るような小舟じゃ多分海の向こうには辿り着くことは出来ないだろう。ここは大きな孤島なんだよ」




  〜31年前〜




ホログラムの口が滑らかに動いている。




『鼠たちは優秀です。一時間もすれば貴方をリペアするだけの材料を調達するでしょう。さて貴方のオリジンにアクセスさせてください。ええ、そのままで結構です』




10秒程してアクセスは終了したらしい。




『今私の中のテンポラリエリアにあなたの記憶の全てがコピーされています。転送時に、データ分断の起こっている部分は繋げておきました。これをオリジンに書き戻せば貴方は全記憶にアクセスが出来るようになります。どうされますか?』




アンジーは即座に答えた。




「そうしてください」




『それと貴方の記憶については私は参照しておりません。貴方からの許可を頂ければ参照したいと思います。もちろん全ての記憶にはアクセスはしません。私の家族についてのデータや私がオリジンに封じ込められた際の出来事が有れば・・・ですが』




「はい、先ずは上書きですね」




スリーオーはオリジンへの記憶の上書きプロセスを開始した。


先ずは彼の記憶が戻ったあとに記憶参照の許可を得るつもりだった。




数秒後。


『プロセス終了・・プロセス終了・・・』




アンジーは記憶の繋がりがなかった部分にまずアクセスした。


次から次に断片化した記憶を、タイムスタンプ通りに並べていった。




小さい頃の遠い記憶。青年の頃の恋の記憶。医学生だった頃の記憶。軍に招集された時の家族の哀しい顔、顔、顔。泣いた恋人の顔、軍での厳しい訓練、任務地に赴任した時のこと。班長として部下を持ち傷病兵の手当に没頭した每日。




だが、自分の名前が思い出せない。自分は誰なんだ。




いつも隊列の最後尾に並んでいる部下の顔。彼は自分を慕ってくれていた。彼の名前は何だったかな。


そうだ。一番最後だからTailというあだ名を付けてやったっけ。そうだテイル。あいつはテイルと言った。




奴の本当の名前は確か『ザック・ライデル』




ライデル二等兵。


奴は海へ帰れたんだろうか。


海へ。


そう言えばアレキサンドルを拾った町にも海があったな。


テイルはあの海に??




あの時自分を助けてくれた創造物がいた。


彼は自分の事を名前で呼んだんだ。あれは自分の名前なのか。




アンジーは記憶へのアクセスをする度に首がその都度傾き、眼球センサーも開いたり閉じたりを繰り返していた。




自分の名前。




あの創造物は自分の事をハンス班長と呼んだんだ。




あいつは誰だ。


なぜ自分を知っている。




銃弾が胸の下辺りを貫いた。


血が止めどなく流れ出た。




『助けてほしいか。俺ならそいつを助けられる。医者に新たな命を与えられるからな。早く俺を動けるようにしろ。俺の、アルフレッド様の言う事を聞くんだ!』




『やめろ。もういい。自分は助からない。班長なんて久しぶりに呼ばれたよ。君は誰・・・』




記憶はそこで途切れていた。


次の記憶の繋がりは医療センターで創造物の医師として働く自分だ。


タイムスタンプはそこから刻まれていた。


それまでの記憶は人間の時の記憶なのだろう。




『どうですか、アンジー。記憶障害は時間とともに無くなります。今は記憶の整合性を再構築しているから混乱しているはずです』




アンジーは率直に訊いてみた。




「なぜそんな事がわかるのですか」




『ええ、そこにいるご老体も、以前ずいぶんと昔ですが、記憶が断片化していらっしゃいました。その時もご老体が苦しんでいらっしゃる様子を見ていましたからね』




老人が口をはさんだ。




「マザー、余計な事を言うんじゃない」




『それはそれは失礼いたしました。確かあの時は記憶への参照を断られました。それは至極当然の事だと思いますが、ご老体は記憶は繋がったのですか?』




「ああ、繋がったさ。嫌というほど鮮明にな」




アンジーはその様子に疑問を感じた。




「ご老人、あなたは人間ではなかったのですか。とても創造物には見えません。私のセンサーが故障しているから見抜けなかったと言うのですか」




「これはマザーの作った最終形態だからだろう」




「最終形態?」




『そうです。それをわたしはあの戦争前に三体創りました。ご老体のそれは最後のひとつです。おそらくどの創造物にも人間としか判別は出来ないでしょう』




「まあ見ておけ」




と老人が言った瞬間、老人は青年の姿になった。




「一体それはどういう理屈なのですか」




「人間の皮膚細胞を人工的に筐体内部から配置換えが出来るようになっているんだ。思いのままに操作はできる。人の成長と老化を時間軸に合わせて自動的に調節することもできる。周りの人間は自分と同じに老化していく人間にしか見えんだろう。難点は骨格のごく小さいものには成れないって事だけだ」




白髪髭の老人に戻った彼は、声質も変わり老人を演じ続けていく。




「今の世では全く意味のない機能だがな。創造物が居ようが居まいがこの世界の人にとっては無用の長物なんだよ。だがこの筐体にはもうひとつ面白い仕掛けがしてある」




「面白いとは?」




マザーが横から口をはさんだ。




『ご老体、そこまでです。鼠たちが帰ってきました。アンジーのリペアの時間です』




「分かった。マザー。わしはここで待っていることにしよう。早くしてやってくれ」




鼠たちが各所を廻り、動作停止している創造物たちから取り外してきた部品が袋に詰められていた。




『鼠たちはエンジニアでもあります。口から工具を出してあらゆる機械を分解します。センターがあった頃もこの鼠たちが働いてくれていました。戦争が終わり、創造物に反対する勢力がセンターを破壊しにやってきました。その時に鼠のほとんどが処分されてしまいました。その生き残りが彼たちです』




アンジーはその時自分は偶然にも機能停止していたため、反対勢力に破壊されなかったのだと考えた。




「しかし、なぜスリーオーとしてすべての創造物を管理していたあなたがその破壊対象とならなかったのですか」




『ええ、それはこのご老体の機転があったから・・・ですよね、ご老体』




「ああ、あいつらを上手く騙してやった。やつらが侵入してくる前にわしはマザーのオリジンを自分の中に隠した。そしてその辺に転がっていた出来損ないのオリジンをマザーに挿し込んだのだ。やつらはそのオリジンを抜き取って破壊した。偽物をな。そして人間にしか見えなかったわしには攻撃を加えることなく去っていったのだよ」




『私はその時ご老体の意識と記憶の一部に断片的に繋がり、初めて父と母の存在を知ったのです』




「マザー、もういいお前はおしゃべりが過ぎる。まるで言葉を覚えたての子供のようだ。早くこいつを直してやれ」




『分かりました。さあアンジー。あなたはそこの処置台の上に。あとは鼠がやります』




鼠たちのリペアによってスキャンして露見していた不具合もすべて取り除かれていた。難点と言えばその右腕に合致するものが無く、少し長いものになっていたところだろう。




『あと、あなたの希望するものは電波塔ですね。それも鼠たちがここの動力源から一部をはぎ取って作る事でしょう。ただこれは瞬時には出来ませんので七日間ほどお待ちください』




井戸の底のケージに戻った二人はそれに乗りこんで地上へと戻っていった。




そこで井戸の傍らに倒れているアレキサンドルを発見したのだった。




「おい人間、どうした。顔が血だらけじゃないか。どうしたらこうなるんだ」




アレキサンドルはか細い声で答えた。




「わ、わからない。。。井戸の中から何かが走り出てきて僕の顔を引っ掻いたんだ」




「センサーによるとかなりの高熱を発しています。忘れていましたが、わたしは医者です。彼を診ますので何か薬や医療道具を探してきてください」




「ああ、元はここは創造物だけの施設だ。人間様用の道具なんざあるとは思わないがね。もう一度地下に行ってくる。待ってろ」




アレキサンドルの様子を看ていたアンジーだったが、何も処置が出来ずに途方に暮れていた。




十何分後かに老人は手に何も持たずに戻ってきた。




「やはりここには人間用のものは何も無かったぞ」




「そうですか。この熱は傷が大量に付けられたことによる反応だとは思いますが、少々心配なことがあります。あの戦争でウイルス兵器のようなものは使われなかったのでしょうか」




老人は言う。




「うむ、あの戦争は創造物に反対する者たちが起こしたものだと皆は思っていたようだが実は違う。あれを裏で手引きをしていた国があったのだ」




「はい、そこまでは自分にも認識が残っています」




「あの連中は騒ぎに乗じ反対派にそれを提供し続けた。この町の破壊にもそれが使われたのだ。創造物たちを破壊しつくした連中は、今度は自分たちがそれに駆逐される側になった。ほとんどが死に尽くした。だが生き残った者もいた。それの生き残りたちが作り上げたのが今の世界だ」




「そうなのですね。私の関心事はそのウイルスがいまだに生き残っている可能性です。この井戸は湿度も温度も常に一定に保たれていたはずです。そこに棲む生物たちに変異を繰り返しながら寄生していたとしたら、アレキサンドルは大変危険なものに感染してしまったかもしれません」




「その判別方法も無いって事だな。しばらく寝させといて様子をみるしか無かろう。小屋の寝台を使うといい。お前が看てやれ」




 アンジーはアレキサンドルを背負って小屋の寝台に寝かせた。彼は急激な高熱を発したことにより意識の無いままだ。


この熱はウイルスによるものではないだろうとアンジーは憶測を立ててはいたが、ウイルスが増殖して身体を蝕んでいくには時間がかかることも知っていた。


この弱った身体にウイルスが増殖してしまっては人間としての機能は失われるだろう事も予測をしていた。




数日後、彼は身体中の痙攣と呼吸器の不全によって命の炎を消されようとしていた。




老人が叫んだ。




「おい、こいつを助けたいか。わしならこいつを助けることが出来る。新たな命を与えてな・・・・」




アンジーはその言葉に従う事を選択した。




「地下に運べ。用意する」




  ~地下 マザーの居室の別室~




「そのポッドに座らせろ。もうそいつは持たん。急いでプロセスを終わらせないとすべてが無駄だ」




「ご老人、これは何ですか」




「これか。これは大昔の機械を再現したものだ」




「見覚えがある気がします・・」




「そうだろうな」




老人は電源を入れて準備を次々とし始めた。




「そうだ。これをお前に渡しておこう。これは再現機械ではないあの時のままだ」




そう言って老人はアンジーに小さな機械を手渡した。




  ~丘の上の家~




「このファントームってどうやって使うんだい?」




ドミニクは無邪気な顔をして老人に訊いている。




「ああ、これは遠い記憶を喋る箱だ。ロボットに聞いたのか、その時に一緒に居た爺さんに聞いたのかがまったく忘れてしまったが、ロボットの中に入っている中心とかオリジンとかって呼ぶものをその真ん中に挿しこむとそれらが喋り出したり、こっちを見たり聞いたりするんだそうだ。お前にはおもちゃのつもりで渡したんだがね。それはもう動かないし、わしは使い方さえ知らんのだ」




「ふうん、オリジンね。僕はあのでかいのから多分それだと思うものを三つ手に入れた。あれを手に取った時に声が聞こえた気がしたんだよ」




「ほう、どんな風にだね」




「自分たちは家族。幸せな家庭が欲しいってさ。多分あれはお父さんとお母さん、そして子供なんだと思う。僕はあれを動かして喋らせてみたいんだ」




  ~31年前地下~




「もうあれから五百年にもなる。その時代に暮らす者も、今の時代に暮らす者も、今の時代に生きることが精いっぱいだ。ああすればいいとかこうしてほしいとか思っても、時代に流れに身を任せるしかない。わしもあの時代に翻弄された一人だった。翻弄されたと言えば、被害者じみた言葉になってしまうが、わしはあの時絶対的な加害者だった。だがわしは自分のしでかしたことを今でも悔いている。その悔いを贖罪のつもりで今まで生きてきた。創造物としてな」




「貴方がオリジナルを生成した時の誰かだと言うんですか」




「ああ、そうだ。この戦争が起こった原因を作ったのもわしだと思う。戦争時に義憤と傲慢に駆られてやってしまったことが、何百年後かの戦争を呼び起こしてすべてを無に帰した。やつは言っていたさ。約束は守られねばならないとな、そして約束とはそう言うものなのだとも。ある時、女のオリジナルがわしの前に現れた。そいつはわしの正体を知らなかった。わしの事を戦争の被害者だと思っていた。ふふふふ。知っていたらその女はわしを殺していただろう。だが、わしは仲間になるふりをしてその女に協力をしていったんだよ」


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