14.「ドミニク」

 14歳になったドミニクは、前よりは少し人に対しての嫌悪感が薄れていた。


声を出すのが苦手な事は相変わらずだったが、弟や妹、母親に対しては努力して声を出すように努めていた。




 町の多くの人達は、彼が行動の奇異や声を出すのが苦手なのは彼の脳に何らかの障害があるものと考えていた。でも実はそれは違っていたと、認識を変える事になった。




 後に散り散りばらばらになった人達の多くは、赤毛のドミニクの事をいつまでもいつまでも忘れなかった。





 


 相変わらず彼は、丘の上のアレキサンドルの家に行くことが日課のようになっていた。


禿じじいの家の粗末なテーブルに向かい合った二人はお茶の淹れてあるコップをさすりながら会話をするのだった。




「アレクアレク、話しを聞かせて」




「ドミニク、だいぶん言葉が上手くなったな。わしのような語り部になるのも時間の問題だな」




それを聞いたドミニクは苦虫をかみつぶしたような顔をした。




「すまんすまん、悪気はなかったんだよ、許しておくれ」




「話、話し」




アレキサンドルは自慢のはげ頭をなでながら訊いた。




「どこまで話したかな」




「お医者さん、捕まったところまで」




「そうか。でもここまでの話は何度も話をしたろう?またおんなじ話を聞きたいのか」




ドミニクは三回首を縦に振った。




彼はいつものように椅子の背もたれを前に抱きかかえ、シーソーのように動かしてぎいぎい音をさせて待っている。




「まあ、落ち着け。ほれ、熱いから気を付けて飲むんだよ」




 彼はアレキサンドルの声が大好きだった。


どこかこもった様な洞窟の中で響くような心地よい声だった。


老齢にも拘らず、話始めると疲れをしらず、かと言って聞き取りにくいわけではなく、微妙に言葉の速度を変えながら言葉を紡いでいく。


赤毛の少年はそんな彼の話し方が大好きだった。




「医者は彼らに捉ってしまい、兵士に抱えられ大きな部屋の中にいた髭の男の前に引き出されたんだ」




「それで?それで?」




アレキサンドルもこの赤毛の少年を好ましく思っていた。


話を飽きもしないで眼を輝かせて聞いてくれる。


自分の作り話にさえ感激しているドミニクの事を。




「最後に髭の男が医者に名前を聞いた。髭の男は戦利品に相手の名前を彫る事が唯一の楽しみだったからだ。医者が自らの名前を言ったとき、横にいた機械の三等兵は何かを思い出した。その機械は人間だったころの記憶を消された哀しい生き物で、過去に医者の部下だったことを思い出した。彼の中で急激に記憶のリボンの裏と表が繋がり始め、記憶に覆いかぶさっていた何かを破壊したんだ。そこから機械の三等兵の大立ち回りが始まった。横にいた別の機械の三等兵を突き飛ばし、動きを封じ込めた。近くにいた人間の兵士もまた彼の拳の餌食となっていった。兵士たちは銃剣で応戦したが、何せ相手は機械だ。そんなものは三等兵には通用するはずもなかった。大きな部屋はもう一体の機械と多くの人間の兵の屍で一杯になったんだ。


上司だった医者も流れ弾に当たって血を沢山流し過ぎていた。


最後に残された髭の男は機械の三等兵に命乞いをした。助けてくれたら人間に戻してやると言った。でも機械にそんな嘘は効かない。すぐに取り押さえられてうつ伏せに倒され、三等兵は髭の男を縄で縛り動けなくして、医者の下に走った。だが彼に残されていた血の量はもう残り少なくなっていて、命が消える寸前だった。涙を流して大泣きをした三等兵は恩人を助けられなかった自分の無力さを呪ったんだ」




アレキサンドルは続けた。




「そこに背中の向こうから声が聞こえてきた。助けてほしいか、俺ならそいつを助けられる。医者に新たな命を与えられると。大泣きに泣いた三等兵は敵だったはずの髭の男に医者を助けてくれと願ったんだ・・・・今日はここまででお終いだ、どうだドミニク」




「機械の三等兵は人間には戻れない。とても哀しいお話」




「そうだな。でもいつかは家族三人で楽しい食卓を囲めるかもしれんな。この話の最後にはな」




「うん、ぼくが家族をひとつにする。うちの家族のように」




「ドミニクはいい子だな。そんな未来があるといいな。でもこの人たちにも希望の未来はあったはずなんだ。それを打ち砕かれた。いつの時代も希望は打ち砕かれてきたんだよ」




ドミニクはアレクの言ったことを今は丸々理解などは出来なかった。


しかし、昔にあった進んだ文明と今の文明のギャップについて感じるものがあった。




 一瞬の間があり、ドミニクの眼の光というのか眼球そのものの色が変わったかのような気がした。


その時だった。


ドミニクは抱えていた椅子の背もたれから手を放し、椅子の向きを正しく戻して座りなおしてこう言った。


「アレク、僕は知りたい。今の世と前の世の間にある埋もれてしまった真実をね」




「どうしたドミニク。一体どうしたんだ」




アレキサンドルは驚愕した。


たった今までのドミニクは今のドミニクとは違う。


なにかのレバーが倒されたみたいだ。


なにが起こったのだ。


作り話を話すことを何度も要求していたドミニクではない。眼付も全く別人のものだった。




「ドミニク、お前になにがあったんだ」




ドミニクはアレキサンドルが驚いている顔を見てこう言った。




「アレク、僕はこの人たちの物語の真相を見つける。必ずね。たぶんそれが僕の産まれてきた理由なんだよ」




アレキサンドルの驚きは止まらなかった。




「ドミニク、ドミニク、お前はドミニクなのか」




「何を言ってるんだよ、アレク。僕はずっと僕じゃないか」




そう言って笑いながら窓の向こうを見た。




背中を向けた彼を見るアレキサンドルの身体は震え、手に持ったコップのお茶が床にぼとぼとと零れた。




「ド、ドミニク・・・・・」




その声にドミニクは振り向いて言葉を発した。「どうしたのアレク。どうして震えているの。かわいそう」




どうした事か振り向いたドミニクは前の彼に戻っていた。




アレクは未だ動悸が高まったままで、言葉が出せないでいた。やっと出せたのは次の言葉だった。




「ド、ドミニク、し、しばらくここには来ないでくれるか」






 その時のドミニクは言われたことを理解できなかったので、次の日もその次の日も丘の上にある家を訪問した。


しかし、戸口は固く閉ざされているために家に入ることが出来ずに仕方なく彼は海へ向かう毎日となった。




 むかし街の人達の接触から逃げていた頃に、毎日来ていたあの場所だった。岩に隠れたあの場所に行くために、彼は波にぎざぎざに削られた自然の石畳の上を歩いて行った。




そこでいつもの自分の場所に陣取っていた人間を発見したのだった。




 その人間はぎざぎざの石の上に三つ脚の建具を立て、その上に少し黄ばんだような布をまっすぐに張った四角のものを立てかけていた。




「ねえ、おじさん、何してるの」




男は後ろから声を掛けられて驚いたのだが、声を掛けてきたのが子供だったので少し安心した。




「ああ、今から絵を描こうとしてるのさ」




「絵?それはお話みたいなものなの」




男はその問いにびっくりしてしまったが、絵の具の入っている函を開けながら答えた。




「そうだな、絵は『物語』のほんの一場面を静止させたものなんだけど、その止まった瞬間を『後から』見る人達がその物語全体を想像して『完成』させるための材料であり鍵なんだよ」




ドミニクは彼の後ろの小岩に座ってしばらく見てることにした。男は油壷を腰に下げ、パレットに白・赤・紫・緑・茶・黄・青・黒の絵の具を少量ずつ乗せていく。




筆を取り布全体を暗い青を作って塗りつぶした。




ドミニクはそれを疑問に思い男に訊いてみた。




「どうして暗く塗るの。哀しい色」




子供と言うのは純粋な心で物事を見るものだと男は感心した。




「そうだね。君が見ているこの明るい景色の中にも暗い部分は多く隠されているんだ。ただ見えていないだけ。絵ってね、その暗い部分から描き始めていって明るい色でそれを隠していくんだ。人間の眼とは逆をしていくんだよ。まあ見てなよ」




 男はそこから少し暗い色から更に明るい色を作り出してどんどん色を重ねていく。




ドミニクはその手品のような工程をじっと見続けていた。




小一時間ほど彼は筆を走らせていたが、彼の思う段階まで絵は進んだようだった。




「どうだい、すこしは見られるような絵になっただろ」




ドミニクは小岩から立ち上がって彼の近くに走った。




 男から手渡された絵を彼は目を凝らして見た。


遠くに描かれた岬の緑、海と空のふたつの青、波の白と、雲の白、水に浸かった岩礁の複雑な色が忠実に再現されていた。




「ほんとだ、物語の一場面だ。ねえおじさん。ここにはまた来るかい」




男は少年の雰囲気が変わったことに少し戸惑いを見せたが、しばらくはこの街に逗留して絵を描く事にしていると告げた。




 ~


 ~




「ドミニク、毎日毎日どこへ行ってるんだい。もうあんたも危ない歳ではなくなったけど、私にとっちゃまだまだ子供だよ。あんまり心配させるんじゃないよ」




「うん、母さん。ぼくは大丈夫さ。危ない事はしてない」




そう言うとドミニクは子供部屋の扉を閉めベッドに潜り込んだ。




次の朝、彼はもう一度丘の上のアレクの家を訪問した。


扉は締まっていなかったので、いつものように勝手に家に入ってアレクを呼んだ。




「アレクアレク、僕だよドミニクだ」




「ドミニクか。来るなと言ったのに来てしまったんだな」




「ごめんアレク。怖がらせちゃったんだよね。僕は僕の中にもう一人の僕、そう今の僕が居てね。これが出てしまうと人は驚くだろ?だから人とは会わないようにしてたんだ。でもアレクなら分かってくれると思ってたんだ」




「ドミニク、それは病気か何かなのか」




「わからない。アレクの知ってるもう一人の僕は純粋で努力家なんだ。でも僕は違う。何もしてないのに色んなことが出来るんだ。最近、この僕ばかりが表に出るようになった。昔は深く沈んだままだったんだけど最近は逆になってしまった」




アレキサンドルはその言葉を聞き心の中心に何かを感じた。




「以前、医者をやっている者に聞いたことがある。多重人格と言うものかも知れない。今の世ではその状況を改善できるような“情報”は失われている。それを認識し、共存しなくてはならないだろう。ドミニク、お前はそのままでいいのか」




「うん、そうだね、アレク。僕はこのままでも構わない。ただ、もう押し込められるのはごめんだ。好きな時に出てきて好きなことをするさ」




アレキサンドルは後悔の気持ちを浮かべた。


これから良くないことが起こる予測が頭脳の中を駆け巡った。


 


〜また別の日〜




 絵描きの青年は、干潮時になるといつもの場所に行き、しばらくの時間を費やす事を日課としていた。




そしてそこに毎日のように現れる赤毛の少年と少しの会話をする。


彼は最初の頃は、少年の持つ雰囲気がころころと変わることに戸惑いがあったが、これも個性というものなんだと自分を納得させていた。




「おじさんは旅をしながら絵を描いてるって言ったけど、他にはどんな町があるの?」




「そうだね。色んな町を歩いたよ。牛が沢山居る町や山沿いにできた町や、砂漠の町、廃墟の町、色んな所さ」




「廃墟?人が居なかったの」




「ああ、誰も」


青年はそう言ったが、それを言い直した。




「いや、人間は居なかったけど、ここにあるこれと同じようなものがあった」




「へえ、その町はここから遠いの?」




「うん、遠いよ。僕も回り回ってこの町に来たから一直線でどのくらいかと訊かれたら困るんだけど、多分歩いて10日はかかるんじゃないかな」




 家に帰ったドミニクは、以前アレキサンドルから貰った機械の箱を眺めていた。




「ドミニク兄さん、それは壊れた機械なんだろ?」




「ううん、アニオ。多分これは壊れてない気がするんだよ」




「そうなのかい?でもそれは別にしてさ。兄さんがよく話をするようになって僕は嬉しいよ。友達によくからかわれたんだよ。それが悔しくってさ」




ドミニクは首を縦に二回振って「大丈夫だよ。もう」と言った。




 〜またある日、丘の上〜




「やあアレク。いいかい?」




「ドミニクか今日は何だ」




「ねえアレク、貴方はあれをどこで手に入れたの?」




「あれとは何だ?」




「目と耳と口」




「ファントームか。あれは海で拾ったんだ」




「ふうん。そうなんだ。でもあれについてアレクはどういう物なのかを知っていたよね。拾った物でも何でもいいけど、それを知ってる理由と、それを僕にくれた理由を話してほしいんだ。嘘偽りは無しにしてね」




 アレキサンドルは、ドミニクの視線の奥に刃物のようなものを感じていた。


しかもその刃物にいつ刺されてもいいくらいの間合いしかない。




「嘘は良くないな。嘘は必ずばれる。嘘は突き通すことは出来ない」とアレキサンドルは言いながら、ポットのお茶をコップに移している。




「さあ、一緒に。落ち着いて話をする為にな」




 〜


 〜




「いつだったか。わしがまだ若かった頃、そう何十年も前だ。わしの前に機械が現れた。そいつは人の言葉を喋り、人のように動いていた」




ドミニクはアレキサンドルの話しを頬杖をつき聞いていた。


アレキサンドルはコップに入ったお茶を飲もうともせず話しを続ける。




「その機械が言うには、自分は元は人間だったと言うんだ。自分が機械にされた時のことから、その後の世界のこと。そしてその世界がひっくり返ってしまった事を話す。浜にある壊れた機械も、世界がひっくり返ってしまった際の遺物だと言う事だったし、遠くにある捨てられた町は壊れた機械達の墓場だと話してくれた。機械はそこから来たとも言った。その話に興味を持ったわしは、機械に案内をさせてその町へ行くことにしたんだよ」




アレキサンドルの手に持つお茶は冷たくなったが、その話しはいつまでも続いた。




ドミニクは頬杖をついたままそれを聞いている。

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