13.手紙

 ミリは郵便屋のマルコから一通の手紙を受け取っていた。


それは隣町へ出かけたはずのアニオからのものだった。


「ミリ、俺はよ。自分で渡したらどうだって言ったんだよ。けどな、二日後に配達しろって煩いもんだから仕方なくってさ。すまんなミリ。じゃあ、確かに渡したからな」


そこには息子のボウイーと荷車で旅立った兄からの謝罪が書かれていた。


『すまんがボウイーを数日預かる事にした。この旅はおそらく隣町へだけでは終わらない。俺たちの生まれたあの町にも行くことになるだろう。マニガンへ行く。あの海の町へな。心配するな。ボウイーは俺が必ずお前の元に送り届ける。愛してる、妹よ。アニオ』


ミリは涙を止めることができなかった。

手紙の中身にも涙した。

そして居なくなったもうひとりの兄のことを思い出して泣いた。



「アニオ叔父さん、マニガンへはどのくらいかかるの?」


ロバの手綱を緩く持ったままのアニオは「多分、二日はかかると思うぞ。寒いが野宿だ。ただ町についても野宿には変わりはねえがな。心配するな、後ろにちゃんと寝るための袋は用意してあるさ。なにせこうなる事は分かってたからな」と言いながら大笑いをした。


ボウイーは叔父の言葉に少し疑問を感じたようで訊いてみた。


「ねえ、マニガンって町は宿がないのかな。野宿って言ったろ?叔父さん」


アニオはしばらくの沈黙のあとこう呟いた。


「そうさ、今は誰も住んでねえ。あの事があってから忌み嫌われる場所になっちまったからな。ただ、捨てられた家は有るだろうから、そこで寝りゃ野宿よりはましだぜ?」


「忌み嫌われる?何があったの?ねえ、叔父さん」


アニオはまた沈黙した。

それには答えるつもりはないらしい。


「ちぇっ、いいよ、もう。着いたら自分で探すさ。理由をね」


「やめておけ、ボウイー。もうあれをほじくり出すんじゃねえ。母さんが哀しむからな」


ボウイーは訳がわからず混乱した。なぜ母に関連するのか。


「いいか、そこに行くのは画家を探すだけだ。それ以上のことは手伝わんしもう訊くな。分かったな」


「ちぇっ、いつもの優しい叔父さんじゃなくなったよ。つまんねえ」


ボウイーは荷車の上で不貞腐れて寝てしまった。


ロバは飽きもせずに前へ前へと進む。


ゆっくりと終着の地まで。


  ~アルコーブ内~


『マニガン県だったな、お前のふるさとは』


『なぜあなたがそれを知っている』


『あはははは、それはお前が言っていたからだ』


『あなたなど知らない。誰なんだあなたは』


『どうだ、海はどうだった。奇麗な海だったか。そして、お前はどうやってそれを手に入れたのだ』


『なんですって?あなたはあの時のあなたですか。手に入れるって何なのですか。私は何も手に入れてなどいない・・・手に・・』


アルコーブの保守ランタイムが間をおいて喋りだす「ピーピーピー、アルコーブ保守プロセス終了・・・終了」


立ったまま止まっていたテイラーは、アルコーブを一歩進み出てまた立ち止まり、目を瞑り胸に手を当てた。


  〜ロバに曳かれる荷車~


「ボウイー、さあ起きろ。出発だ」


荷車の上の袋の中で寝ていたボウイーは叔父のアニオに起こされて不機嫌だ。


「まだ眠たいよ。道中、後ろで寝てていいかな、叔父さん」


「マニガンには夜までには着く。でも、これからの風景をよく見ておけ。お前も町の血を引いているのならな」


「なんだよ、叔父さん、昨日から笑わなくなって怖いよ。ねえ、どうかしたの?」


「すまんボウイー、俺も迷ってたんだ。このまま往くのか復えるのかを。しかしもうここまで着ちまった。もう往くしかない。とにかく周りの景色をよく見ておけ」


ボウイーは叔父の言うことを黙って聞くことにした。二人は終始無言のまま荷車に揺られていた。


途中、ロバの休憩と食事のために草原に立ち止る事にした。


「ロバの食事もここで最後だ。ボウイー、いまあいつが食ってる草と同じやつをしこたま刈り取って袋に詰めろ。これから先はあいつの好物は生えちゃいねえからな。あとは水だ。あっちに小川がある。俺が樽に入れてくるから、お前は草を頼むぞ」


大量のイネ科の草と水を積み込んだ荷車は前より速度が落ちたが、着実に前に進んでいた。



「叔父さん、林の様子が前と違う。なんか山火事にあった山みたいだ。木が白く枯れている」


「そうだ。そのまま見ておけ。目を瞑るなよ」


ロバは砂利と岩が転がる道を探りながら前に進んでいった。


一歩一歩前に。

ゆっくりと。


「叔父さん、もうこれはおかしいよ。町に近づくにしたがって荒野になってゆく。これは途中だけで、町につくと景色が変わるんだろ?」


「いや、町も同じようなもんさ。もう死んだ町だからな」


ボウイーは、先日見た華やかな町と真反対の風景を目にして少し寒気がした。

気温も低いが、この寒気は身体の中から起こった寒気だった。


何も訊くなと念を押されている手前、ボウイーには町が死んだその理由を知る術がなかったが、そのうちアニオは話してくれるはずだと思っていた。


ロバは疲れて座り込んでしまい、刈り取った草も口に入れようとしない。かろうじて水だけは桶で飲んだので、心配いらないだろうとアニオは言った。


「夜までには着く筈だったが仕方ない。ここで野宿だ」


袋に入ったまま硬いパンをかじり、ボウイーは夜の空を見ていた。

月はまだ欠けたままで星の光だけが黒く塗られた空に広がっている。

時々、星が尾を引いて流れてゆくのを見ていると、やがて眠りの中に落ち込んでいった。



夢の中でボウイーは小さな手をしていた。多分子供の頃に戻った夢かもしれない。


砂浜に立った自分は両手を見つめて、次に視点を前に向けた。波打ち際の岩礁に大きな構造物が打ち捨てられている。


それは見たこともない金属で出来た大きな塊で、それの前に立った自分は慣れた足取りで構造物の背を裸足で登っていく。


一番高いところに陣取った彼は周囲を見渡しそこに立ち、大きく腕を広げた。彼はそこで本当は声を出したくなかったが、我慢して大きな声で叫んだ。



ボウイーは頭の先をロバに舐められた違和感で目が覚めた。


「なんだ、お前か。腹が減ったのか?もう大丈夫なのか?」


ボウイーは足元にある袋から少しだけ草を手に取りロバに食べさせてやった。


「あの夢だ。長い間みた事なかったのに。でも前とは違うな」


その独り言は横で寝ていたアニオを起こしてしまった。


「ん?なんだ。ボウイー眠れないのか?」


「あ、叔父さんごめん。起こしちゃったのか。少しだけ眠ったらまたあの夢をみたんだ。ロバに邪魔されちゃったんだけどね」


「夢って、海のやつか?」


「そう、でも今度は前とは違ってて、誰かの中に入ってる感じのさ、小さな自分に入ってる。で、機械の山に登っていくんだ。ひょいひょいって。それでその子は声を出すのが苦手というか、とても嫌なんだ」


「何と言った?今何て」


「だから機械にひょいひょい登るんだ」


アニオは険しいような泣きそうな顔を作ってもう一度訊いた。

「ちがうちがう。その後だ!」


「その子は声を出すのが・・・・・・え?」


アニオは袋の中に顔をうずめて体を震わせた。


「兄さん、兄さん、ごめんよ。兄さん。俺のせいだ。兄さん、ごめんドミニク兄さん」


  ~31年前~


太った主婦が一階の物干し場で二階にいる子供を呼んでいる。


「アーニオ!!アニオー」


「なんだよ母さん」


「アニオ、ドミニクがまたどこかに行ってしまったよ。見てきておくれよ」


「ええ、知らないよ。兄さんの面倒ばかり見てられるかよ」


「あたしゃミリの世話で手が離せないんだよ」


「父さんにでも言ったらいいじゃないか」


「あの飲んだくれに頼んだら自分が迷子になっちまうだろ。お前にしか頼めないんだよ」


「ちぇっ、仕方ねえ。探してやるよ」


アニオは兄の行先についてはある程度想像できていた。最初は丘の上の白い髭のはげじじいの所へ行ってみた。


ドミニクは白い髭のはげじじいの昔話を聞くのが大好きで、朝一番に来て夕方まで丘の上のはげじじいの家にいることがよくあったからだ。


「ドミニクはさっきまでいたがな」


アニオは仕方なく元来た逆の方向に丘を走って下り、一直線に海が見下ろせる道のてっぺんに立った。


右手の遠くに岬が見え、その上あたりを海鳥たちが飛んでいるのが見える。


遠くに釣りをしている小舟が波のうねりに見えたり隠れたりしていた。


左に見える岩礁の近くにひとりの子供の姿が見えた。


「兄さん、そこに行っちゃだめだ」


アニオは一直線の道を必死に駆け下りていった。


「兄さん、ドミニク兄さん!!!」


少年は軽い足取りで岩礁に向かっている。

彼にとっては慣れた道であり、ぎざぎざの溝が何本もある岩面も危ないものには見えていない。


「兄さん待って。止まって兄さん」


波音が大きいせいで少年はやっとその声に気が付いたらしく一度振り向いた。

そしてアニオに向かってにっこりと微笑んで、また前に向いて岩礁に歩き出した。


「兄さん待って、止まって」


ここまで一直線に駆けてきて息を切らしたアニオは膝に手のひらを乗せて屈んでいる。


その姿を心配したのかドミニクは戻ってきた。


「アニオアニオ」


そう言いながら苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「いいよ。兄さん、喋るのは苦手だろ。いいよ喋らなくてもいい。僕のはなしを聞いてくれる?」


ドミニクは首を二回縦に振った。


「母さんが心配してるよ。気が済んだら一緒に戻ろうよ」


ドミニクは横に三回首を振った。そしてアニオの手を握って岩礁の方へ一緒に行こうとばかりに歩き出した。


「仕方ないなあ、兄さん。少しだけだよ」


それを聞いてにっこりと笑ったドミニクはアニオの手を優しく引っ張って歩こうと促した。

ドミニクはアニオの手を取り、潮の引いた岩礁を歩いていく。

岩の反対側に金属で出来た大きなものが座っていた。

まるで人間が椅子に座るかのように、岩に寄りかかるような形で止まったまま動かなくなっている。


アニオを連れたドミニクは、その金属の塊の上をひょいと登り始めた。「危ないよ、兄さん。落ちたら下のぎざぎざで大怪我をするよ」


ちょうど真ん中に登ったあたりで彼は立ち止まって、アニオに手招きをしている。


アニオは困ったが、まだ日も高いので、少しならと思いドミニクの誘いにのる事にした。


真ん中にアニオが着くとドミニクは何かを指差していた。

そこには小さな扉のようなものがあり、それはすでに開いていて、扉の中は空っぽだった。


アニオがそれを見たことを確認したドミニクは、そこから飛び降りるようにして下に行き、今度は上にいるアニオに下に降りるように手招きした。


「何だよ、兄さん。何を見せたかったんだ?」


そして二人は岩礁を出て、二人揃って無事に家に帰り着くことができた。


「ドミニク!アニオ!戻ってきたのかい?アニオ!ドミニクはどこに居たんだ?」


「海にいたんだよ。母さん、海に大きなものが横たわってた。あれは何なの?」


「あれに近づいちゃいけないよ。でも浜からは見えないだろ?まさか行ったんじゃないだろうね!」


「え?行ってないよ!母さん、僕たち疲れたから少し寝るよ!起こさないでね」



子供部屋に戻った二人は扉を閉めてくすくすと笑った。


「兄さん、あれに近づいちゃダメなんだって。知ってたの?」


ドミニクは首を二回縦に振った。


「そうか、でもあれは何なんだろう。手みたいなものもあったし、脚みたいなものも一本あった。兄さんはあそこによく行ってるの?」


ドミニクはまた首を縦に頷いた。


そして、棚の上の一番高いところに置いてある箱を取ってきてアニオに見せた。


「何?箱を開けろって言うの?」


頷くドミニクを見てアニオは箱を開けた。

箱の中には三つのものが入っていた。


ドミニクは苦虫顔をして言う。


「こ・これはさっきのとびら・のなかにあった。これとこっちはてのなか」


アニオは彼の言うことを復唱してみせた。


「こっちのはさっきのとびらの中にあったもので、これとこれは機械の手の中に有ったって言いたいんだね」


ドミニクは一度首を縦に振る。


「これは何だろうね。字が書いてあるみたいだけど、僕たちが使ってるものとは違う」


アニオはその鉛色に鈍く光っている長くて細い石のような金属のようなものを不思議に見ていた。


「こ・これ・いきてる・みっつとも」


「え?何だって。これは生き物なの?」


「これはかぞく・さんにんなかよしのかぞく」


アニオは彼がはげじじいの話しや童話が好きなのを知っていたから、多分これはものを擬人化した童話のようなものを信じてるんだと思った。


「そうなんだ。そうか仲良しの家族か。僕たち兄妹のようだね」


ドミニクはそれを聞き首を縦に三回振った。



ロバと二人は無言で目的地を目指していた。


アニオはその堅い口を開いて話し始めた。


「ボウイー・・・俺たち兄妹にはもうひとりの兄がいたんだ。お前とおんなじ赤毛でな。そう、天使のような子供だった」


ボウイーは何も喋らずアニオの邪魔はしないと決めて話をすべて聞くことにした。



 ドミニクは今日も丘の上の白い髭のはげじじいの家に来ていた。


「おお、ドミニクか。まあそこに座れ。いまお茶を淹れてやる」


 ドミニクは首を縦に一回振って、四本脚の椅子の上に座って、椅子を二本脚で立たせ、前に行ったり後に仰け反ったりして遊んで待っていたはげじじいは湯気の出ているコップを彼に手渡し「さあ、これを。熱いから気を付けるんだぞ。さあ、この間の続きだったな」と言った。


はげじじいの名前は『アレキサンドル』と言ったが、この村ではもうその名前で呼ぶ者はいなかった。


「わしはずいぶんと長い間生きてきた。その中で、語り継がるべきものは語り継がれなければならないと教えられてきた。そして約束は守られねばならないものとも教えられてきた。約束とはそういうものだとも嫌というほど叩き込まれたんだ」


「アレクアレク」


「おおドミニク、わしの名前を覚えてくれていたんだな。嬉しいぞ」


ドミニクはにっこりと笑って頷いた。


「わしは9人兄弟の末っ子だった。そこまでは話したな。むかしはそう、その頃の昔はな今と違って文明が進み過ぎて手に負えないような世の中になっていたんだ。今が幸せなのか、昔が幸せだったのかそれは分からない」



「と言う訳だ。これはその人たちのとても哀しい事実で、もう取り返しのつかない出来事なんだ。わかるかドミニク」


ドミニクの眼からは涙がこぼれ出て止まらなかった。


「そうだ、お前にこれをあげよう」


と言って大分と古ぼけた機械を渡した。


「こいつはファントームといってな、古い言葉を聞くラジオのようなものだ。眼と耳と口が付いている。古いそして閉ざされた言葉を自分のようにしゃべりだす。そういうものだ」


 ドミニクは、はげじじいの言っていることを理解が出来なかったが、何だかわからない機械を貰って大層喜んでいた。


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