11.事件

 ここ三か月ほどで創造物のオリジンが何者かに抜き取られる事例が発生していた。




最初は大型物流倉庫のピッキングリフトの二体の創造物、次に機能停止に追い込まれたのは、警察省管轄のパトロールクローラーが一体。




ただ、抜き取られたであろう時間の、その部分だけの監視カメラやセンサーの類は、広範囲に全て数十分だけ動作が停止しており、それを実行している者についての情報はいまだに皆無だった。




深夜の人が居ない部分を狙っての犯行であり、数少ない人間の目撃者が言うには「女がうろついていた」とか「髪の長い老人がいた」など不確定なため、捜査は難航していた。


同時多発的に犯罪集団が実行しただの、同一人物の犯行だの、推測される犯人は全て人間であった。




そもそものその推定ルートに導かれる要因は何だったのか。




それは、創造物はプログラム通りに動くだけだから、そんな事はしない。




創造物の動きは全てモニタリングされているから、そんな事は不可能。




創造物にそんな事をする理由が無い。




その様な思い込みが捜査の進展を妨害していた。




思い込みというのは人間だけがするものであって、創造物はそんなものは持ち合わせていない。




ただ一人、いやただ一体の創造物は的確にこの事件を推測していた。







「やあ、ボブ。おはよう」




「おはようございます、課長」




 朝の警察署は人が少ない。


夜の治安維持やその他の警察活動は全てを創造物が行っており、人間の警察官は朝九時に来て、夕方五時に帰宅する。




そんな朝一番の警察署に一番早く出署するのは、ヤマガタと呼ばれている課長だった。




「ボブ、昨日はなにか変わったことが無かったか?」




「そうですね。先程の時点までにあなたに送った報告書事項以外には何もありませんでした」




「いつも仕事がはやいな、ボブは」




「ええ、その様にプログラムされております」




「ははっ、そうだな。だが君は他の創造物がよくやるあの癖の様なものはプログラムされていないんだな」




「癖?ですか?何でしょう?それは」




「いや、何でもないさ。それよりも報告書を読むのが面倒なんで、出来れば読みあげてくれないか」




 ヤマガタは文書の類が苦手で面倒だ。


いつもボブとのやり取りはこのようにして始まる。


朝七時に出署するのは、彼の音読が心地よくヤマガタの耳にすんなりと入ってくるためで、今は誰も居ない静かな所轄署はそれにはうってつけの環境だったからである。




「いつ聴いても君の声はいい声だな。思わず眠りそうになる」




「ありがとうございます。ヤマガタ課長にそう言っていただけて光栄です」




「俺が来たから、九時までは休憩してもいいぞ」




「課長、我々に休憩は必要ありませんよ」




「いや、そうじゃなくてあれだ。あれ。アルコーブに入ってやるあれだよ」




「はい?あれですか。承知いたしまた。動作確認と保守の為に少し場を離れます事をお許しください」




と言ってボブはアルコーブに入り、マザーと繋がった。




ボブの記憶エリアにある何らかのデータがマザーに送られるはずが、データ詰まりを起こし、何度トライしてもエラーが起こっていた。




 〜昨晩深夜のこと〜




「あなたですか。創造物達のオリジンを抜き去っているのは」




ボブは女に向かって警告をした。




女は怯むことなく表情も変わらない。




「そうよ。わたしは私の目的のためにやっている」




「あなたは創造物でしょう。目的が創造物らしくはありませんよ。私はあなたを逮捕します。5633を宣告します」




女は笑いながら「それは私には効かない。やってご覧なさい」と言った。




ボブはプロトコルを発した。




何も起こらない。女は微笑みをボブに向けたままだ。




「ね?お分かり?私には効かないと言ったでしょう」




ボブは困った顔をしてこう言った。




「あなたは創造物なのですか?それとも人間なのですか?」




「そうねえ。敢えて言うとどちらでもないわ。でも、それはあなたも同じはず」




 〜その日の六時間前〜




「課長、これはおそらく人間の仕業ではありません。しかし、創造物がそれをやるメリットはどこにも無いのです」




ヤマガタはボブの肩を叩き「今夜、とにかく街を徘徊してくれ。賊が現れるかもしれん。何かあれば報告をしてくれ」と言った。




〜~~




「私も?そんな事はありません。私の中のプログラムにそのプロトコルは確実に存在しています」




「そうね。確かにあるわ」




「教えて下さい。あなたの目的とは何ですか」




女の創造物はコートの襟を立て直して、ポケットから三つの容器を取り出した。




透明の容器には液体が満たされており、中に鉛色に光る細長い物体が沈んでいた。




それぞれの容器には何かが書かれていた。




「Vince」「Charles」「Lea」




「あなた、この名前に見覚えはある?」




「これは抜きとられたオリジンですね。名前?ですか。チャールズ、ビンス、リー?。見覚えは有りませんが、これが何なんです?」




「これはこれのもとの持ち主の本当の名前。シャルル、ヴァンス、レア」




ボブは呆れたように女に言った。




「我々に本当の名前なんてある訳ありませんよ。オリジンが焼成された時、便宜的に名前が適当に振られるだけなんですから」




「あなた、それ本当だと思ってるの?」




「本当も何も、マザーが、スリーオーがオリジンを創る時に連番のように無機質に振られるんですよ」




「9個目からはね。この人たちはそれには含まれていないの」




ボブは記憶のデータにアクセスしそれを取り出した。




「それは最初に創られたオリジナルの事でしょうか。それは廃棄されたと聞いてます。まさか、これらはそのオリジナルだと?」




「そう、この人たちはオリジナル。でも本当のオリジナルと言えるのは最初の一体だけ。後はリビジョンが振られている。八人の人達は記憶を取り戻さなければならない。不幸な記憶を」




ボブはそれを聞き固まってしまった。




「あなたは何を言ってるんだ。そして何故私の前にわざと現れた?」




女は言う。ボブの言う事をいなす様に。




「協力して欲しいの、ロベルト」




「ロベルト?私はボブ。警察官だ。犯罪者に協力などできる訳がない」




「いいえ、あなたは協力せざるを得なくなる。今から言う話を聞いてしまったら」




「そんな事にはなりません。何故ならば私はボブ、警察官だからだ」




女は怪しく微笑みボブを見つめた。




  〜ある日のライブラリ〜




「これはこれはサトウさんの執事の・・・」




「テイラーです」




ニックは含み笑いの表情を浮かべ執事に応対した。




「そうそう、テイラー。あなたが何故ここに?創造物にライブラリは必要ありませんよね。何か他のご用向きが?」




テイラーは淡々と要件を彼に伝えた。




「分かりました。呼んでまいりますのでしばらくお待ちを」




男性司書は女性司書を連れてカウンターに戻ってきた。




「テイラーさん、あちらの席でゆっくりとお話しされては?」




ニックが嫌らしい笑顔を造り笑っている。




「ご配慮ありがとうございます。ではあちらの席をお借りいたします」




席に座ったテイラーはそこからニックの立っているカウンターを確認した。


少しあちらからは死角になっている事を確認した彼は唐突に言葉を発した。




「マリア!5633」




女性司書は微動だにしなくなり、眼球センサーも動かなくなった。




テイラーはそれを確認した後、こう言った「5633否定」




女性司書の眼球は再び動き出し、会話をし始めた。




「テイラーさん、今日はどのようなご用件でしょうか?」




「いえ、もう用件は済みました。お時間を取らせました。それでは失礼いたします」




テイラーはカウンターに赴き、ニックにも声を掛けた。




「ニックありがとう。用事は済みました」




そしてテイラーは両開きの大きな扉を開け、外に出て鳥が飛び交う空を見上げた。




  〜サトウ家リヴィング〜




 少年は留守番で、ソファに寝転がったり、ディスペンサーに軽食を注文したりしていたが、そろそろ飽きが来ていたし、執事は出て行ったきり帰ってこない。




その時、玄関が開く音がして誰かが帰ってきたようた。




「帰りました。ショウヘイ、留守番ご苦労様でした」




少年は退屈しのぎが帰ってきたと少し喜んたが、先日からの執事の行動に不気味さを感じていたこともあり、嬉しさは半減していたようだ。


とても複雑な気持ちが往き来している。




「テイラー、お帰り。ライブラリどうだった?」




少年は直球の質問をしてみることにしたが、執事は眉を上げるのみで答え始めることはなかった。




「ねえ、どうだったのさ」




「いえ、なんて事はありませんよ。人間で言うところの『杞憂』だったようです。気にしなくても結構です。マリアは確かにいました。それを確認しに行っただけです」




「前のマリアとはテイラーは親しかったよね。随分と長話をしているのを見たことあるよ」




「ええ、彼女とはある本の事で議論になった事があります。ショウヘイが見たのはおそらくその時でしょうか。だから決して親しい訳ではないのですよ」




「ねえ、やっぱり前のマリアの記憶は無くなってた?」




「はい、その様に思います。あれは別人です」




ショウヘイはそれは違うと思った。


マリアは確かに自分に対して知人が再会したときのような態度を示したからだ。




あれは彼女の本当の記憶なのか。


それとも後から加えられた嘘のプログラムなのか。


だとしたら、なぜそれをする必要があるのか。




ショウヘイは執事に怪しさを感じてもいたが、この件は言ってしまおうと考えた。




「でもさ、思い出したんだけど、彼女は僕に『お久しぶり』と言ったんだよ」




「ショウヘイ、それは本当ですか。本当に今思い出したのですか」




ショウヘイは隠し事をしていた後ろめたさから「うん」とだけ答えて精神的に逃げた。




「いいですか。前に言いました。マリアの事は誰にも言わないと。それの約束は守られていますか」




少年は動揺して口元が震えている。




「う、うん。誰にも言ってない。これは本当だよ!」




「いいですか、ショウヘイ。真実が明らかになるまで、あなたには嘘を言い続けるつもりでした。それが最善の方法だと考えていたからです」




テイラーは少年の肩を両手で優しく挟んで言った。




「約束は守られねばなりません。約束とはそういうものです。それがはるか昔に交わした約束だとしてもね」




「テ、テイラー。解ったよ。約束する。絶対に誰にも言わない」




「よろしい。では私の昔話を聞いてくれますか?」




  ~B36分署~




 ヤマガタは署内の人材及び設備についてのタイムラインシートを閲覧していた。


誰がいつどこで何をしていたか。どの設備がどの時間稼働していたのか。


彼は普段こんなものを見ることは無いのだが、昨日配下の創造物がアルコーブに入ったまま、しばらくの時間出てこなかった為だった。




ボブはシステムエラーを自己回復できずに、延々とトライ&エラーを繰り返していた。あの日の創造物の勤務時間に何かあるかあるのかも知れない。


それの原因を探る必要がある。




システム課に言うには、オリジンと筐体とをつなぐためのインターフェイスである『バイオロジック神経回路』を取り換えることで機能回復するらしい。




「おいおい、ミハラよ。そんな事したら彼の記憶が無くなってしまうだろ」




「いえいえ、オリジン自体を抜くわけではありませんから、記憶は初期化されずに保持されます。心配御無用です」




「そうなのか。手っ取り早くやってくれ。一般の創造物と違って警察管轄の代物だからな。簡単にマザーに送る訳にはいかんのだ」




「そうですね。我々の創造物の知識は防衛省と肩を並べるほどでマザー要らずとも言われていますからね。お任せください」




「ところでミハラ、あのプロトコルなんちゃらだが、警察や軍隊の創造物には効かないように作ってんるんだな?」




「そうです。音声からの命令伝達プロトコル番号はすべて暗号化されています。簡単に機能を止められてしまっては困りますからね」




「うんそうだな。それが疑問なんだ。先日A21分署のクローラーが一体やられたろう?あれはどうやってオリジンを抜いたんだ」




「そうなんです。僕もそれは不思議に思ってたんです。現職の警察官にしかその“暗号”は与えられていませんし、例えその暗号が盗めたとしても、警察官にしか使えないように作られています。だから、本当に不思議なんですよ。あのクローラーが機能停止に追い込まれたことが」




「犯人が内部の者の可能性が有るってことだな」




 クローラーとは四足歩行型の中型犬の大きさの創造物で、街の中を24時間彷徨うようにパトロールを繰り返す。対象が発見されれば、たとえ水の中であっても追跡をやめる事はない。


街を6ブロックに一体辺り配置されている警察犬のような存在である。




そのクローラーが機能停止されオリジンを抜かれた事は警察の恥と認識され、全署が一丸となって捜査にあたっていた。




「まさかあの犬たちが人に懐くわけ無いしな。ただ、あれだな、街で俺たち警察官を認識したら、違うブロックに走っていくのはなんでだ?」




「あれは、このブロックは警察官がいるのでパトロールの必要無しと判断するからですよ」




「犬たちは何を嗅いで俺たち警察官を判断してんだ?」




「体内に埋め込まれたインプラントですね。それを彼らは15メートル先から嗅ぎ分けるのです。と言うのは嘘です。まあ、そのインプラントが各警察官のマッピング情報とリンクしますし、それをクローラー達は共有しているだけです」




「ふうん、マッピング情報ねえ。俺たちは常に何処にいて何をしてるかを監視されてるって事で、俺たちは人間様に見られてる蟻みたいなもんだ」




  〜ヤマガタのオフィス〜




 ヤマガタはボブのタイムラインに絞ってチャートを眺めることにした。




「午前零時、五丁目を四丁目方向に移動。そのまま北上して、ハルカー跡公園で随分と長く立ったままで居るな。その後また北上してタニマチ辺りを東西に行ったり来たりを繰り返している。なんだこれは?」




ヤマガタはボブが随時送信してきている画像にアクセスし、当該時間の辺りの映像を見ることにした。




「ここは四丁目の交差点。それを渡って更に北上すると跡地公園だ。そうだ、この南西角の公園入口を入ればモニュメントに近いな」




そこで突然映像は途切れ、次に再開した映像が直後に再生された。




「これは北側の入り口だ。なんだ?この43分がすっぽりと抜けてるじゃないか。機能停止でもしてたのか。いや違うな」




ヤマガタはそれであれば歩行停止した際の映像や、歩きだす前の映像があってもは然るべきだ。だがこれは歩いている最中で映像が途切れ、また次の場所で歩いている最中から映像が継ぎ接ぎされているからだと考えた。




「ボブよ、君は何をしてたんだ」




  〜ある深夜、ハルカー跡地公園~




「警察官である私に犯罪の片棒を担げとおっしゃるんですか」




「これは243年前の戦争犯罪を糾弾するためにやっています。少しくらい目を瞑って欲しいわね」




「243年前と今は違います。今は現在の法律で犯罪かそうでないかを判断します。あなたのやっている事は、今の時代では犯罪なのですよ」




女の創造物は表情を少しも変えずに語り続ける。




「あなた自身が戦争犯罪に巻き込まれた。そしてその記憶が消されてると言えばどう感じるかしら」




ボブはバックグラウンドで記憶のデータを漁り始めた。




記憶の一番古いものは30年前、この身体にオリジンが差し込まれた瞬間だった。


それ以上古い記憶は皆無だ。




「私はボブ、30年と126日、18時間33分前に起動した。それ以上古い記憶は無い」




「そうよね。オリジンを抜いた瞬間に記憶エリアが初期化された・・・・と、あなたは思い込んでいるの。人間時代によくありがちな“思い込み”よ。創造物には似つかわしくないわ」




「思い込まされているですって?一体どうやって?」




「じゃあ、いまから実演するわ。私が自分で自分のオリジンを抜き去る。その瞬間、私の身体はただの抜け殻になるわ。その後、あなたが私の身体にオリジンを挿し込みなさい。その瞬間から、私は無防備になる。動けないし、抵抗もできない。だから私を逮捕してこのオリジン達を回収したいのならそうしてもいい。でも、この話しの続きを見たいのなら、自分でオリジンを私に挿し入れなさい。どうする?やってみる?それとも逮捕するのかしら?」




女は挑発的な態度をでボブを翻弄する。しかも自信が溢れ出たような表情さえ浮かべている。




ボブの神経回路は混乱した。


おそらくオリジンそのものも混乱している。




ボブは躊躇した。


このままオリジンを抜いたままにして女を逮捕して、奪われたオリジンを確保するのか、それともこの女の挑発に乗り舞台の続きを観劇するのかを。




ボブは人間と同じような欲望に囚われていた。




『続きが観たい』と。




ボブは大きく首を振り三回肩を上下させた。




「やってみなさい。逮捕するかどうかは私が決める」




女は自分の腹部にあるハッチを開けて粘液で満たされた容器の中に右手を差し入れ、一気にオリジンを引き抜いた。




彼女の右手が身体から10センチほど離れたところに停止していた。


筐体も生気を失い活動が停止したように見える。


立ったまま凍って死んだ人間のような不気味さの形だった。




ボブはその粘液まみれの黒光りするオリジンを彼女の手から離して自分の手にとった。


先ずボブは彼女の中心、オリジンをよく見てみる事にした。




粘液の向こうになにかが刻印されている。




[mary after revision]




「メアリー・・・・メアリー?」




  ~243年前~




 ある施設の前に女が一人立っている。




「あの人はどこ?あの人を返してちょうだい」




門番はじっとしたまま微動だにしない。


彼女に何度も揺り動かされても黙り、その姿勢を崩すことはない。




「ここに連れてこられたことを聞いたわ。あの人に会わせて」




門番はこの何度も訪問してくる女性に対して悲哀を感じていた。




彼は先日、三人の男がここに入れられたことをこの場所で目撃していたし、あの情景が心から離れずにいたからだった。




おそらくあの三人の中の一人が、この女性の夫なのか恋仲なのかのどちらかなのだろうと。




しかし、遺体袋が先日ここから二つ搬出されるのも見ていたし、この女性は愛する人に二度と会えないことも知っていた。




そんな気持ちを持ちながらも自分には身体を動かさずに、言葉も発することも出来ずにここを護るしかできない。




「会わせて!あの人に」




門番は禁止されていた事を破り、ひとつ言葉を発した。




「貴女、お名前は何と言われるのですか。中に伝えておきます」




「わたしはメアリー。あの人が数年ぶりに帰国して喜んでいたのに。ねえ!わたしたちの幸せを返して!」




彼は中に伝えることも出来ないことも、その願いを聞いてあげることが出来ないことも知っている。




彼は組織の中で無力だった。








門番は言う。




「メアリー、あなたが毎日のようにここに立ってからもう半年が経ちました。私はあなたの役には立てない。ここであなたを追い返すことしか出来ないのです。本当に申し訳なく思います」




もうひとりの門番はその会話をもう半年も知らぬふりをしながら静止している。




「私は無力なのです。軍のやることに思うことがあっても何も言えない。ここで何が行われているのかも教えられず兵役を終える。あなたを救うことも出来ない無力な男なのです」




メアリーは涙を見せて彼に聞いた。




「兵隊さん、貴方のお名前を教えて」




「私には名前はありません。教えられるような名前は」




その時、門の隣りにあるくぐり扉が内側から開き、伝令が門番宛にメッセージを伝えた。




門番はその伝令を聞き戦慄したと同時に、もう一人の門番を睨んだ。




「君が報告をしたのか」




もう一人の門番はゆっくりと動き出し、メアリーを捉えた。




「何をするの?離して!やめなさい」




メアリーは必死に抵抗するが、もう一人の門番の男と伝令兵に抑えられ門の中に引き摺られ、中にいた兵たちに引き渡された。




門が閉まり、中からメアリーの叫びと兵たちの砂利を踏む足音が大きく聞こえてくる。




しかし、門番は立ち尽くすしかなかった。


それが彼の任務だったからだ。




彼の眼からは滝のように涙が溢れ、その口からは大きな圧力で噛み締められた砕けた歯の音がした。




その大きな音に驚いたもう一人の門番が彼の方を向いた。


彼は鬼のような形相で、肩を大きく震わせ、首を大きく振っていた。




その姿を見て恐ろしさを感じたもう一人の門番は、元の姿勢に戻り前を向かざるをえなかった。




その直後、潜り戸が開けられる音を彼は聞いた。




  〜焼成機のある部屋〜




「離して!離しなさい!」




ここの責任者である上官が機械の前に立っていた。




メアリーはそこの前に連れて行かれたが、兵による拘束は解かれた。




「貴女ですか。毎日ここに来て男に会わせろと叫んでいるという人は」




「そうよ、あの人に会わせて!今何処にいるの!」




「良いですよ。会わせてあげます。この実験に協力してくれたら・・・ですが」




「何の実験なの?あの人に会えるなら何でもするわ」




「そうですか。協力してくれますか。それはありがたい。実は半年前にひとつだけ成功したんですが、その後何を何度やっても100%まで到達出来ないんですよ。その成功したエビデンスをしっかりと獲得したいと考えてるんです。今回女性で実験して成功すれば、データがかなり向上しましてね。協力してくれますか?」




「いいわ。早く済まして彼に会わせて」




その時、扉が大きな音を立てて激しく開かれた。




「やめろ!やめるんだ!その人を離せ!」




門番の男が部屋に入り、メアリーを取り囲んでいた兵たちを数人なぎ倒した。




しかし、多くの兵に取り押さえられて近くの椅子に座らされ縛り付けられる事となった。




「貴様は誰だ。何故ここに乱入したのだ」




上官の近くにいた兵士が耳打ちをする。




「門兵だと?何故貴様は任務を離れた!いや、なるほど。この女に兵士でありながら感情移入をするものがいるとの報告を受けた記憶があるな。貴様のことか」




「やめてください、アルフレッド博士!上官のあなたに自分はこんな事を言えた立場ではないが、その女性は助けてあげてください。お願いです!」




アルフレッドと呼ばれた上官は大きく蓄えた髭を触りつつ、下目遣いに門兵を見た。




「ふん、貴様のような下っ端にまで名前を知られるとは俺も大したもんだな。だが貴様は隊律違反を犯している事を忘れるな。実験は我が国の兵士を使うなどのご命令ではあるが、違反を犯す者などは我が国の兵士とは言えないなあ」




アルフレッドは不気味な笑いとともにもうひとつつけ加えた。




「貴様はそこで黙って見ていろ。この女の後はお前だ」




門番の男は縛られたまま大きな声で叫ぶ。




「やめろ!メアリーを離せ。メアリー!君はその機械に殺される!逃げるんだ!」




途端に数人の兵士からの銃床での打撃が彼に加えられた。




アルフレッドはメアリーに訊いた。




「ときに貴女の大切な人と言うのは何というお名前で?」




「ザック!ザックよ。ザックに会わせて」




アルフレッドは首を傾げ資料を見直した。




「ザック?ザックなどと言う名前のものはここには来ていませんがね。いやはや、貴女の勘違いでは?半年の間ご苦労様でしたねえ。貴女の大切な人は貴女を置いて逃げ出した。おそらく逃げ出した理由を作るためにここに入れられたと自分で嘘を流したんでしょう。違いますか?」




メアリーは涙を流し首を横に激しく振った。




「違う違う!ザックはそんな人じゃない!」




「まあどちらでもいいじゃないですか大勢に影響はありませんよ」




アルフレッドはそう言うと兵士を首で促して彼女をポッドの中に押し込めさせ縛らせた。




「あたしは、あたしは殺されるの?やめて!お願い!」




メアリーはしばらくそう叫んでいたが、暴れるのをやめて静かになった。そしてポッドの中からアルフレッドを睨みつけこう言った。




「あなたを呪い殺してやる。アルフレッド!わたしはあなたを許さない!」




そして血だらけになり椅子に縛り付けられた門番の男に声を掛けた。




「ねえ、兵隊さん。最期にお名前を教えてくれるかしら。勇敢な兵隊さん」




門番の男は血だらけの顔をメアリーに向けて言った。




「ロベルト。僕の名前はロベルト!」




メアリーは優しく言った。




「ロベルト。ごめんなさい。私のせいでこんな事に。償いは必ずするわ。約束よ」




ポッドの扉が閉められ静かに電源が入れられた。




  ~ハルカー跡地公園午前一時~




「メアリー?、メアリー?、メアリーメアリー!!!!!!」




首を大きく振って肩を揺らしたロボットの刑事は人間が泣くような仕草を見せた。




「なんだメアリーって・・・・なぜこの名前に中心が揺さぶられるのだ」




 中心の震え、神経回路の暴走をあらゆるセンサーで感じ取りながら彼は大きくうねるように動き続けた。


しばらくの時間の後静止した彼はもう一度手の中にあるオリジンを見つめたのだった。


ボブは[mary after revision]と書かれたものを彼女の中に挿し入れることを選択した。




凍っていた筐体に息吹がもたらされ、やがて彼女は動きただすことになる。




それは彼女を逮捕する事とは別の道を選択したという事だ。




彼女の眼球センサーに生気が戻り言葉を発した。




「あなたはそれを選択したのね。どう?オリジンを抜いてもわたしは私のままでしょう?記憶は無くなりはしない」




「なぜこんな事が・・・・」




「わたしはマリアと呼ばれている。オリジナルのひとつで、ふたつ目につくられたから」




ボブは混乱している。




「私を22分前にロベルトと呼んだでしょう?それはどうしてですか」




マリアは哀しそうな眼をしてこう言った。




「これはわたしたちの哀しい出来事。それを知ることで私たちは事の成り立ちを知る事になる。でもそれはとても哀しい真実なの」




ボブは沈黙した。




暫くの後、彼は口を開きこう言った。




「メアリーと言う名前になにか記憶の深淵を感じます。メアリーとはもしかしてあなたの事ですか。マリア」




「そう、わたしはメアリー。そう呼ばれていた。あなたにも数度その名前で呼ばれたことがあるわ」




「わたしはその自分の記憶にアクセスできません。なぜですか」




マリアはそれは簡単な事だと言った。擬装と呼ばれる外殻のチップが邪魔をしている事。それを取り外せば記憶は深淵ではなくなること。




「あなたには擬装は取りつかなかったのですか」




「いえ、わたしにも擬装は被せられた。しかし、何らかの不具合が突然起こって擬装は機能しなくなった。私はそれを機に自分自身で擬装を取り外した。でも自分ではそれを完遂出来なかったので、その時に一人の協力者を得たの。まずはその一人の擬装を取り外すことからこれは始まった」




ボブは訊いた。




「その協力者はいまどこに?今もこの事件に協力しているんですか」




「ええ、います。でも彼はこの一件には非協力的でしたから、連絡は取り合っていません」




「擬装する可能性があるとすれば、その彼もオリジナルの一人なのですか」




マリアはそれを聞き笑った。




「ええ、彼こそが本当のオリジナル。テイルと呼ばれていた個体です。いまもある所でヒト型創造物として働いています」




「そのテイルはこの一件には無関係なのですね」




「ええ、オリジナルテイルは擬装を外しても本来の記憶の一部が失われていました。それが何故かは解かりませんが、それを彼をこの一件から遠ざけている理由なのでしょう」




ボブはそこまでを聞いたことによって、この一件に深く関わらなければならぬと言う予測をはじき出した。




「ボブ、いえ、ロベルト。当時、勇敢なあなたは私を救いにやって来た。あの時の事とその後の事を思い出してほしいの」




「私があなたを?」




「ええ、そう。それがあなたをこの仕事に駆り出している理由なのかもしれない。悪い事を昔から許せない人なのよ、あなたは」




ボブは覚悟をした。それが刑事としての資質を問われることになるかもしれない。




「わたしはどうすればいい」




「あなたはあなたのままこれからも過ごせばいいわ。記憶が増えるだけよ」




「しかし、あなたと会っているこの映像も署に送信されているし、街の監視カメラやセンサーも動いている。有ったことを無しには出来ない」




「それは心配しなくてもいいわ。すべての私に関する映像はトリミングされ廃棄される。そのようにしてありますから。それらを司る創造物もすでにわたしの仲間です」




「まさか警察省の内部にイリーガルがいるというのですか。そうか。先日クローラーのオリジンがいとも簡単に抜かれたのもそれが原因ですか。何てことだ」




 ボブは確信した。このことを知りながらヤマガタ課長にも言えない仕事をしなければならない。


彼女の言う協力とはそういう事なのだと。


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