第5話 バケモノ

 物心ついた頃、リリは農家で暮らしていた。

 両親は、よく日に焼けていて、とてもやさしかった。

璃璃りり、ご飯よ」

 食べることが好きだったのを覚えている。どんどん成長して、同世代の中では一番体が大きかった。

 五歳になったころ。リリは、使うことを禁じられていた隠し階段を降ろして屋根裏に上がった。興味本位による行動だった。そこには猫がいた。仔猫を数匹つれていた。母猫はリリを警戒した。

「大丈夫だよ、なにもしないよ」

 リリがそう言っても、母猫は背中の毛を逆立てて、かんしゃくを起こしたような声を上げた。

 母猫がリリに気をとられていたからだろうか、仔猫のうちの一匹がとことこと歩きはじめ、換気用の窓から外に出てしまった。

「危ないよ」

 リリはあとを追い、屋根の上に這いでた。仔猫は足がすくんだように震えている。

「こっちへおいで」

 近づくとその分、仔猫はリリから離れようとして、屋根の縁に寄って行く。

 小さな足がつまずいた。転がった。リリは走った。飛んだ。空中で仔猫を掴んだ。

「璃璃……」

 母が下から見上げていた。両手で口を押えて。リリは、宙に浮いていた。背中に紅の翼が広がっていた。傍で見ていた子供たちは、バケモノだ、と叫んで逃げていった。

 両親は、リリを家の中に隠して外に出すまいとした。でもリリはいつでも外に出られた。壁も窓も、リリを押しとどめることはできなかった。瞳を赤く光らせさえすれば、なんでも通り抜けられる。リリは、そのことをすぐに覚えた。

 友達をすべてなくしたので、よくひとりで山へでかけた。高い木の枝に座り、谷を飛び越えて、拳で岩を粉々にして遊んだ。

 ある日、山からの帰り道。リリはいつものように飛んでいた。雨が降りはじめた。なにかおかしい、と思ったときには遅かった。リリは地面に激突していた。自分の翼を見た。雨に濡れたところから、溶けるように破れていく。

 体中が痛かった。なんとか家に辿り着いた。いつものように壁をすり抜けて入ろうとしたが、できなかった。

 自分にはもうそんな力はないんだと思うと涙が出た。お父さんもお母さんもだめだといったことをしたから、罰が当たったんだ。そう考えたリリは、家にこもりがちになった。のちに、雨のときは特殊能力を発動できないのだと気づいたが、いずれにせよ他人に見られない方がよさそうだと考えるようになった。

 しばらくして、親戚の家に預けられた。両親と血縁がないということは、なんとなく知っていた。

 十二歳頃までは普通に成長していった。しかしそこから、明らかな変化が現われた。大人びていく同級生たちに比べて、リリのあどけなさは、なかなか抜けなかった。身長だけは伸びるのに。異様なものを見る目をされた。十七歳のとき、たまらなくなって、家をでた。

 世界中を転々とした。いろんな職業を経験した。恋もした。でも。

 何年経ってもまったく若さに衰えを見せないリリに対し、自分だけが老けていくことに恐怖を感じて、たいていの男は逃げだした。

 気にしないよ、と言ってくれた人もいた。しかし、ずっと一緒というわけにはいかなかった。本人はよくても、周囲の目がそれを許さない。年齢と見た目の不釣りあいを不審に思われはじめるより先に、リリは自ら姿を消した。

 共に世界を渡り歩いてくれた男もいた。めくるめくような冒険の日々だった。けれども、八十二歳のときに風邪をこじらせて、あっけなく死んでしまった。君ともっと旅をしたかった。それが彼の最後の言葉だった。そんなことを何度も繰り返した。

 リリの記憶によると、彼女は今、五百二十三歳だ。外見は二十六歳ぐらいで安定している。

 みんな去っていく。あるいは先にいってしまう。自分から別れを選択することもある。

 今日は絵里花が離れていった。次はハルかもしれない。二階建て木造アパートの屋根の上で、リリは月を見上げた。私は何者で、どこから来たんだろう。

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