第3話 王子さま

「SNSで知りあった人なんだけどね」

 老舗のホテルに隣接したオープンカフェで、リリはポポムと向かいあっている。秋の日の陽差しとのどかなそよ風が心地よい。なだらかな午後の坂道は、観光客で賑わっていた。

 ポポムは、手首に巻くタイプの携帯型情報端末、リストフォンの空間投影式3Dモニターを回転させてリリに見せた。立体映像として空中に映しだされているひとりの青年が、爽やかに笑っている。

「会ってみたい、っていうことなのかな、絵里花えりかちゃん」

 ポポムというのは、もちろんゲーム上の名前だ。本名は絵里花。リリと同じ店でバイトをしていた時期がある。その頃はよく一緒にゲームをした。

「そうなの。すごく紳士でね、お話もおもしろいんだけど、知らない人と会うのってやっぱりなんか怖いじゃない? だからね、誘われてるけど返事は保留してるの」

「まあねえ、ネットで知りあった人とむやみに会わない方がいいと思うよ」

 どの口が言うのか、と思わないでもないが、リリは常識的なアドバイスをした。

「そうだよね。どうしようかなあ」

 どうしようかなあ、といいながら、会いたいのが見え見えだ。なんとかしてあげられないものか。

「一緒に行ってあげようか」

「あ、それなら安心。でも」

「なに?」

「なんか失礼にならないかな。それに、幼なじみの男の子から聞いた話なんだけど、友達を連れて来られると、この子はその気がないんだなと思うらしいの」

 つまり、その気があるということだ。

「それじゃあ、こっそりついて行くというのはどう?」


 絵里花は、SNSで知りあった青年、優斗ゆうととの待ち合わせ場所に立っている。市民たちに親しまれている、タコのオブジェがある広場だ。他にも人待ち顔の人々が大勢いて、リストフォンのモニターと周辺を交互に見ている。そこから少し離れたところで、リリは絵里花を見守っていた。

 絵里花の黄色いリボンには、クリップ式の可愛らしいチャームが付いている。実はカメラになっていて、画像と音声をリリのリストフォンに届ける役割を担っている。私は人間ドローンカメラだ、と言って、絵里花はさっきまではしゃいでいた。でも、約束の時間が近づくにつれて無口になっていった。

 絵里花のもとへ、若い男がひとり近づいた。手を上げる。その姿を見てリリは驚いた。立体映像で見せられたまんまの爽やかな青年だったからだ。どうせAIを使ってめいっぱい加工してあるに違いない、と思っていたのに。

『やあ、来てくれてありがとう、絵里花さん』

 人気声優のようなやさしい声で、優斗は挨拶をした。マイクの感度は良好だ。

『え、あ、いえ、あの、こちらこそ。優斗さん』

 絵里花のリストフォンが取得する心拍数や血圧などのバイタルデータはきっと、明確な変化を示しているだろう。興奮と焦りと喜びの感情が、リリのリストフォンにはっきりと伝わってくる。

『なんか、照れるね』

『そうですね』

 いい感じだ。優斗くんはモテそうなのに、女の子に慣れていない感じがする。遊び人じゃなくてよかった、とリリはひとつ息をついた。

『行こうか』

『はい』

 中学生か、と思うぐらいにふたりは初々しい。リリは、なんだかバカらしくなってきた。ぜんぜん心配いらないではないか。これでは、私はただの、覗き見をしてるおせっかいなオバサンだ。

 絵里花たちのうしろ姿を見ながら、リリは手近の喫茶店でテラス席に座った。楽しんでおいで、絵里花ちゃん。

 絵里花と優斗は、なにげない会話をしながら微妙な距離を保って歩いて行く。

 観光客たちの朗らかな声が溢れる坂道を少し登ったところで、ふたりは路地に入った。どこに行くんだろう。直接は見ることができなくなったので、リリはリストフォンのモニター画面に視線を移した。

『僕の住んでるとこ、すぐ近くなんだよ。銘盤のレコードを聴きながら、一緒に少しお酒でもどうかな』

 いきなり家に行くのか、とリリは少し不審に感じたが、優斗くんなら大丈夫そうに思えた。絵里花のカメラ映像は石畳の路地を進んで行く。しばらくいったところで、絵里花は足を止めた。

『ここだよ』

 優斗の声に導かれるように、カメラが空を見上げた。巨大なタワーマンションだ。

『わあ、すごい』

 絵里花はその威容に感動しているようだ。もしかすると、いずれ自分がそこで優斗と暮らす妄想を抱いたりしているかもしれない。

 優斗がオートロックを顔認証で解除して、ふたりはロビーに入った。絵里花のカメラは周囲を見回しながら正面にあるエレベーターに近づいて行く。壁はおそらく天然の木だろう。白い大理石の床は冷たい光沢を見せている。

 低いモーター音とともに、エレベーターの扉が左右に開いた。中に入ると、リリの見つめている映像がぐるりと半回転してドアの方に向いた。階数ボタンが見あたらない。

『どうやって目的の階に行くの?』

『これだよ』優斗は自分のリストフォンを示した。『キーになるデータをインストールされたリストフォンを持って乗ると、自動的に止まる階が設定される仕組みなんだ。だから、部外者は簡単には侵入できない』

 やっかいだな、とリリは思った。もしなにか問題が起きた場合、助けに行くのに苦労しそうだ。場合によっては奥の手を使うことになるかもしれない。しかし、それは避けたかった。絵里花とは、まだ友達でいたいから。

 リリは腰を上げた。やっぱり心配だ。店を出る。絵里花たちが歩いた道を早足で辿った。

『さあ、こっちだよ』

 エレベーターを降りると、毛足の短いブラウンの絨毯が敷かれた上品な通路にでた。壁はレリーフ加工のされたベージュだ。鳥や草花が浮かび上がっている。やさしい電球色の光が天井に埋め込まれたスポットライトから放たれて、飛び石のように床を照らしていた。

 突き当りで優斗は止まった。重厚な木製のドアが手前に開かれていく。

『どうぞ』

 絵里花は玄関に招き入れられた。内装は白を基調にしている。過剰な装飾はないが、建材などにしっかりと金をかけてあるのが分かる。でも、成金をイメージさせるような悪趣味さは感じなかった。

『奥の部屋に入って』

 廊下の先のドアが少し開いている。手前に引いて中に入ると、若い男たちが数人、だらだらとした様子でリビングにたむろしていた。

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