第2話 ナイト

 約束どおりにハルはやってきた。VRグラスが展開する仮想世界の中で、白銀しろがねの鎧がまぶしく輝いている。光の大剣を背負っていた。

 白いマントが、ハルはナイトであるということを示している。身を挺して味方を守る気高き精神の勇敢な男の姿を想像させた。季節は秋だが、リリを、春が来たかのような浮かれた気分にさせるのに十分な風情をまとっていた。ハルは、やってきた。

 リリのアバターは白魔法使いだ。仲間の回復と補助を得意とする。コスチュームの露出度はかなり高い。白い猫耳帽子、白いチューブトップ、白いショートパンツに白い靴。

『初めまして、ハルです』

 ヴォイスチャット用のヘッドホンから聞えて来たのは、低音のよく響く落ち着いた声だった。お辞儀のジェスチャーは上品でありつつ華麗だ。リリの心拍数は上がり気味で、声が上ずるのを抑えられなかった。

『リリです。お誘いいただきまして、まことにありがとうございます』

 へんな言葉遣いになってしまった。

『こちらこそ、お越しいただき、感謝に堪えません』ハルは嫌味にならない程度に語調を合わせてきた。知性的な人だな、と思った。『こんな恰好をしておりますが、中身はもちろんナイトではありませんよ』

 目の前に立つナイトが笑顔を見せた。おもしろくない洒落ではあるが、ハルが言うとなんだかいい感じだ。

『私もです。魔法は使えません。料理が得意です』

 リリは少しだけ嘘をついた。

『それは素敵ですね。食べてみたいな』

 もしかして、直接会いたいという意思表示を暗にしているのだろうか。リリの心臓が期待感で踊った。だが、いくらなんでも早すぎないか、とも感じた。それに、いきなり食いつくのは尻軽というものだ。なんとなく匂わせるにとどめることにした。

『いずれそんな機会もあるかもしれませんね』

『楽しみにしておきます。私は料理はできないので。でも、計算は得意です』

『頭がいいんですね』

『演算力は高い方だと思いますよ』

 おもしろい表現だ。

 挨拶も済んだことだし、ということで、とりあえずモンスター狩りにでかけることにした。ふたりは並んで狩場へと走って行く。道すがら話したところによると、どうやらリリの暮らすアパートからほど近い、港から突きだした人工島に住んでいるらしい。日帰りで楽々会える距離だ。

『こうして一緒に走っていると、本当に会っているみたいですね』

 リリがそう言うと、ハルはうなずいた。

『ええ。私も今、同じことを考えていました』

『だけどここは、仮想の世界』

 見上げれば空が高い。現実よりもリアルな、青い色が広がっている。ぼんやりとした雲が風に流されて、小鳥の声が大気に溶けていく。緑に萌える草が揺れて湖には波紋が広がり、木々の葉がささやいていた。今は太陽しか見えないけれど、夜になれば星や月もでる。

 でも、すべては作りものだ。

『リリ、あなたが現実だと思っている世界も、より上位の存在から見れば、仮初かりそめの空間かもしれませんよ』

『どういうことですか』

『あなた自身が、誰かのアバターである可能性がある』

 リリは、ハルの言うことがなんとなく理解できるような気がした。世界が現実感をなくして、心が浮いてしまったような気分になることがあるからだ。そうか、私は実在しないのか。だから特殊な属性を持って生まれたのだ。そう考えれば、納得のいく思いがした。

 戦場でのハルは、的確な戦略のもと、無駄のないしなやかな動きをしていた。人間が操作をしているとは思えない、みごとなものだった。しかしリリも負けてはいない。動体視力と運動神経には自信がある。敵の攻撃をぎりぎりで避けながら、ハルに補助魔法を投げ、回復させ、なおかつ小気味よい一撃を敵の急所に叩き込んでいく。

『リリさんは、人間とは思えないぐらいに敵がよく見えてますね』

 リリは、どきりとした。まさか自分の正体がバレるとは思えないが、ハルのプレイにひきずられて少し調子に乗りすぎたのかもしれない。

『ハルさんもですよ。一ドットも無駄がない。機械のように精密ですね』

『よく言われます。私たち、現実世界でも相性がよさそうだと思いませんか』

『思う! 思います』

 ふたりの動きが止まった。向かい合う。沈黙。ハルはなにを考えているのだろう。リリはそれが気になった。でも、訊くのはなんだか怖かった。

『直接、会ってみたいなあ』

 ハルの呟きに、またもやリリの心臓が跳ねた。でも、具体的な返事をする気にはなれなかった。駆け引きをするつもりなのではない。他人に深く踏み込むことをためらわざるを得ない事情が、リリにはあった。仲よくなればなるほど、あとで悲しい思いをすることが分かっているからだ。

『リリねえ!』

 突然、うしろから可愛らしい声が聞こえた。

『あら久しぶりね、ポポム』

『その名前で呼ばれるの、いつ以来かなあ』

 ポポムは獣人タイプのアバターだ。着ぐるみのような見た目をしている。丸っこくて身長は人間の半分ぐらいだけれど、攻守のバランスがいい。モンスターからアイテムを奪うのも得意だ。ふたりは、つい昔話で盛り上がってしまった。ハルが静かに見つめている。

『では、私はこの辺で失礼します』

 そういってハルは、優雅に礼をしてみせた。ハルが、行ってしまう。

『あの』ログアウトしようと背を向けたハルに、リリは呼びかけた。『現実世界のハルがどんな人なのか、私も見てみたいです』

 思いがけず、リリは自分から誘いの言葉を口にしていた。ハルがふり返った。

『ええ、ぜひ。メールしますね』

 ハルは光の粒子となって消えた。

『よかったの? 私、割り込んじゃったけど』

 ポポムが、かわいらしく首を傾げた。

『大丈夫だよ。そのぐらいで怒るような人じゃないと思う』

『ならいいんだけど』

 ポポムは、なにかを言い淀んでいる。リリには分かった。

『ねえ、話したいことがあるんじゃないの』

『さすがだね、リリ姉。会えないかな』

『いいよ』

 場所と時間を決めて、ふたりは粒子になった。ログアウト。

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