六 筆頭王候補・華弥王

「お初にお目にかかります。夏道が蛍谷より参りました、月草文水にございます。後見の斗鋺は弾正台での火急の用向きにより、席を外すことと相成りました。ご無礼を深くお詫び申し上げます。どうかひとたびお話をする機会を頂戴できますでしょうか」


 まずは跪拝をして、許しを待つ。これまでの戦績はといえば、ここで門前払いを喰らったのがほとんどだった。

 華弥王の殿舎にいるのは部屋の主と文水、それに文水の従者である烏火だけだ。他の御子はぞろぞろとお付きの者を引き連れていたが、どうやら華弥王は人払いをしているらしく、触れれば切れる刃のような異様な雰囲気を醸しだしている。

 ちなみに斎験使は外で控えるのが慣例となっているので、この場にはいない。

 祈るような思いで待っていると、冴えた低い声が落ちた。


「面を上げよ」


 ひとまず第一関門突破だ。

 文水はすっと姿勢を正し、息を呑む。

 龍華の血族に特徴的な、桜色にわずかに萌黄色を垂らした桜花の眸。灰がかった髪は高い位置で結い上げられ、ゆるく波を描いて背中にまで垂れている。褐色の肌は肌理細やかで、最上級の品と分かる大袖を着こなしていたが、これほど武人らしい体格の御子はちょっと他にはいないだろう。まさに美丈夫という言葉がふさわしい。


「お会いすることが叶い、恐悦至極に存じます」

「世辞はよい」


 にこりともせずに、華弥王が言い放つ。


「そなたが噂の変わり種か」


 値踏みするような視線に、文水はぐっと顎を引く。


「変わり種はお気に召しませんか」

「変わり種とて、蟲子は蟲子。結果さえもたらしてくれるのならば、些事は問わぬ」


 華弥王の実力主義は有名だ。蝶位は得られなかったものの、平民でありながら蝶印もちとして官人となった者を多く取り立てているのが督処院だった。若い部下からも老いた部下からも慕われ、督処院への配属を望む者は後を絶たないと聞く。

 こんな愛想のかけらもない態度でありながら、人たらしの異名ももつというから驚きだ。


「そなたの予備試験の結果は目を瞠るものがあった。夏道でも月草卿の仕事の手伝いをしているとか。――男でないのが惜しいな」


 身内以外からもらった初めての賞賛に、文水は頬を赤らめる。


(なるほど、それで人たらしね)


 生まれや見かけではなく、行いによって評価してもらえるというのは、こんなにもうれしいものなのか。

 しかも文水が王候補の調書を作成したのと同様に、どうもこの御子さまは蟲子ひとりひとりのことを調べさせたようだ。今まで面会した王候補の中に、これほど蝶選びに真剣な御子はひとりもいなかった。


「僭越ながら女であるからこそ、できることもあるのではと思います。まつりごとはなにも、外朝だけで動くものではないはずです。折衝の場での立花も詩歌管弦も、なんっでもお任せください! わたしを后にすれば男の蟲子と女の蟲子の両方を手にできるようなもの。これぞ一石二鳥です!」


 まるで商人あきびとのような文水の口上にも、華弥王は眉一つ動かさない。


「私が尋ねたいのはただひとつ。蝶となった暁には、国のために行動すると誓うか」

「はい。国のため、身命を賭してお仕えいたします」

「ほう。では、雪病ゆきやみの元凶が苳の民であるという話は知っているか」

「え――?」


 文水は目を見ひらいた。

 雪病み。先の華嗣の御子――常花王を死に至らしめたのも件の雪病みだ。全身に白い斑点ができ、やがて真白の雪のようにすべての色をなくして命を取られる原因不明の病。凶兆だとか、六つ蝶が人に下す罰だとかいう話もあるが、定かではない。

 確かなことは、人から人にうつることはないということだけだ。

 もしも華弥王の言う話が本当だったら、と一瞬考えこんでから、頭を振った。

 苳の民を貶めるためのその手の悪い噂話は、枚挙に暇がない。確たる証もないのに、取り合うべきではなかった。


「おそれながら、それはどういった筋からの報せでしょうか」

「懇意にしている蝶道の知人からの報せだ」

(……蝶道)


 蝶道には、神たる六つ蝶をこの国に取り戻すことを悲願とする一派もある。彼らのなかには、苳の民は六つ蝶の仇であるから滅ぼすべきだと過激な主張を繰り返す神職も少なからずいて、苳の民を嫌悪どころか憎悪している節があった。そのたぐいの流言の出どころだとしても驚かない。

 だからといって、神に仕える者の言葉をおいそれと疑うこともできなかった。

 ひょっとすると、今日面会した御子らが文水を見て半狂乱になっていたのもそれが理由だろうか。


「要するに、わたしが雪病みを招き、御身を害すると懸念されている、と」

「そういうことだ。だが、そなた自身は苳の民といえど、六つ蝶のいとし子。ゆえに機会をやろう」

「機会?」


 文水は渋面をつくった。


「そなたは、国のために行動すると申したな」

「え? はい。わたしは、そのために平民でありながら月草家の庇護のもと育てていただきましたから」

「では、鳥骨が元凶であることが事実だった場合はどうする」


 苳の民が病の元凶だったなら――? そんなことは考えたこともない。

 華弥王はおもむろに円座わろうだを立つと、文水の前で懐に手を入れた。袷から出てきたのは、精緻な細工のほどこされた懐刀だ。

 訳の分からない文水に、華弥王はその小刀を差しだす。


「証明してみせよ」

「しょ、証明?」

「国のため、禍を取り除くことができると」

「――仰る意味が、分かりません」


 目の前で鈍く光る銀細工を見つめながらからからに渇いた咽喉でそう言えば、華弥王はそなたは愚かな女ではなかったと思ったが、と薄く笑う。

 華弥王は文水に今度こそ懐刀を握らせると、文水の身体を反転させた。

 視界に、烏火が飛び込んでくる。

 烏火は、華弥王を睨めつけていた。いつもへらへらしている烏火のものとは思えない凍てた焔が、緑の眸の奥で揺らめく。


「殺してみよ」

「は――?」

「そこの従者を殺してみせよ、と申している」


 華弥王の声は、獲物をいたぶるような、それでいてなにかに怯えるような響きがあった。 


「見事、事をなした暁には、そなたの覚悟を本物と認めて后にしてもかまわんが、どうする?」


 烏火と目が合う。

 彼は先ほどまでの怖い顔を消し去ると、静かに目を閉じた。


 ――なにかを成すためには、代償はつきものです。


 烏火の忠告が、脳裏に響く。

 華弥王のいうところの証明とやらをすれば、ひょっとすると本当に彼は文水を蝶として取り立てる考えなのかもしれない。

 烏火の命と引き換えにして。


「…………じょーーーーだんじゃないわよ」


 文水は立ち上がって懐刀を投げ捨てると、眸に嫌悪と侮蔑を込めて、華弥王を振り返った。


「あなたみたいな人でなしの御子さまのお后なんて、死んでもごめんだわ!」

「――は、やはり、鳥骨は鳥骨だったか。この国に、禍を招く」


 華弥王の顔にはじめて喜色が浮かんだ。ぞっとするほど冷たい眸が文水を映す。


「ならば、そなたはここで消えてもらうほかあるまい」


 ひやりと冷たいものが背中を伝ったが、文水は真っ向から華弥王の視線を受けとめた。


「わたしはこれでも、六つ蝶から蝶印を授けられた蟲子です。いくらあなたが龍華にもっとも近い王候補でも、わたしを殺したらあなたもただではすまない」

「そなたの言うとおりだ」


 華弥王は足元に転がった懐刀を手にとる。

 あろうことか華弥王はその切っ先を文水でも烏火でもなく、みずからに差し向けた。

 彼は躊躇いなく腕を切り裂く。

 鮮血があふれて、点々と畳に赤いしずくが散った。


「な――」


 呆然と立ち尽くした文水の腕を華弥王が引き寄せる。烏火も手を伸ばしたが、寸でのところで近くにいた華弥王に軍配が上がった。

 華弥王は噛んで含めるように文水の耳元に囁く。


「たしかに罪のない蟲子を殺めることはできんな。しかし、そなたが先に私に斬りかかってきたとすればどうだ?」


 さっきまで晴れていた空には、どす黒い雲が立ち込めている。

 間もなく、紅梅の衣を翻して庭に朧と晴央が駆けこんできた。まだ面会の持ち時間は残っているはずだったが、まるで図ったかのような登場だった。

 片や蜂宰を後ろ盾にもち、民からも覚えめでたい王候補筆頭。片や後ろ盾は最弱の月草家で、なにかと目の敵にされがちな苳の民。事実をいくら喚き立てたところで、結果は見えていた。

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