四 蕾の桜

「ええっと、あー、奥宮って広すぎない? この建物一軒一軒周るって日が暮れちゃうなー」


 文水の棒読みの台詞に、烏火がじとっとした目を向けてくる。いかにもなにか小言を言いたげだ。

 一人目の御子との対面を予定されていた時刻よりもだいぶ早く終えて、文水は次の殿舎に移動している最中だった。

 今回の儀に参加している蟲子は文水も入れて八人。対する王候補は二十三人だと聞いている。王候補は一所に集められているわけではなくそれぞれの殿舎に控えているらしく、蟲子が一人ずつそれぞれの殿舎を訪問する形式をとるようだ。

 案内役を務める物腰柔らかな美声の斎験使の背中を澄ました顔で追いながら、文水の頭のなかはいかにして烏火からの駄目だしを躱すかでいっぱいだった。


「お媛さん、もう一度おさらいしましょうか。どういうお后像が求められているか」

「ああもう、貞淑かつ控えめに、でしょ。分かってるってば」


 本来、神意を宿した蟲子は王を選ぶ立場にあって、選ばれる立場にはない。しかし、近頃はどういうわけか蟲子が何人も名を連ねているので、昨今の蟲子は選ぶだけでなく、王に選ばれる必要がある。

 蕾蛹の験に進めるのは、蟲子が選んだ王候補と王候補が選んだ蟲子が一致する場合だけだ。

 だから文水は、王候補から気に入られる必要があるのだが――。


「分かっていてあのぶっこみですか」

「ううっ」


 ついに放たれた烏火の駄目だしに、文水は首を竦める。


「ええと、なんでしたっけ? 『随分と贅沢なしつらえですが、御子さまの殿舎の運営にかかる経費をご存じですか? ざっと月割りで』でしたっけ?」

「ううう。だって……だって、そう! 養父さまはお屋敷にかかる勘定をご存知だもの」

「そりゃ、ウチがドのつくビンボーだからだよ。とんちき娘」


 深い深い溜め息をついて、斗鋺が後ろから貶してくる。


「だ、だだだだって、さっきの御子さまの殿舎の派手派手しいお庭やら花の絨毯やら立花やらだってつまり、租税から出ているわけでしょ?」

「お媛さん、ふつう、贅沢三昧をしてお育ちになった蟲子さまはそんなケチくさいことを言わないもんじゃないんですかね」

「だけど、后としての領分をはきちがえない程度に龍華をお諫めすることだって、伴侶として必要なことだと思うわ」

「一庶民としてはお媛さんに賛成です。ですが、お忘れですか。ここは戦場いくさばです」


 烏火の醸し出す妙な迫力に、文水は半歩後ろに下がる。


「男の蟲子ならともかく、あんたは一応媛なんですから、もっと気の利いたこじゃれた会話とかをするもんなんですよ。他にあるでしょう。花がきれいですねとか、趣味のいい薫物ですねとか、いくらでもそれっぽい台詞が。なにも、色仕掛けをしろだなんて無茶な要求はしてないんですから」

「なっ! 烏火、わたしの辞書に無茶と無理の文字はないわよ。わたしだって必要に駆られたら、い、色仕掛けのひとつやふたつ……!」

「烏火、この頓珍漢娘に妙な方向にやる気を出させるな。やめとけやめとけ、誰しも向き不向きってのはあるもんだ」


 訳知り顔で失礼千万なことを並べ立ててから、斗鋺は表情を改めた。


「それにまあ、さっきの御子さまはお前がなにを言おうと、相手にしなかったと思うぜ」

「それは――」


 文水は目を伏せて、視線を彷徨わせる。

 先ほど会ったのは傍系も傍系の御子だったが、文水の目を見るなり悲鳴を上げて半狂乱になり、無理やり退出させようとしてきた。それでなんでもいいから話をしようと、頭に浮かんでいた疑問をぶつけてしまったというわけである。


「ま、お前の目は間違ってねぇよ。あの御子さまが高御座についたら、この国の家計は火の車。振られて儲けもんと思っとけ」


 滅多にない斗鋺のお墨つきに、文水はぱっと目をかがやかせる。


「ここから巻き返すわ! 見ててよね、ふたりとも!」




 しかしそんな意気もむなしく、次もその次もそのまた次も結果は似たり寄ったりだった。

 断末魔のような悲鳴を上げられたり、号泣して命乞いされたり、裸足で逃げられたりとまるで鬼か大蛇かでも見たような反応に、どれほど小細工を弄したところでほとんどなすすべがなかった。

 文水はげっそりとした顔で斎験使を追いかけながら、ひそひそと口をひらく。


「そりゃあね、今までだって避けられたり、いじめられたり、悪口三昧だったりの踏んだり蹴ったり人生だったわけだけど、これってあまりにあんまりじゃない?」

「たしかにこれまでも高貴な方と顔を合わせる機会はありましたが、ああも露骨なのは妙ですね」


 烏火と揃って一応高貴な方の括りにある斗鋺の反応を見やれば、珍しく考えこんだような顔をしていた。


「養父さま?」

「……いや、とにかく高望みはすんな。蝶位なんかなくても、お前は六つ蝶のいとし子、、、、、、、、なんだから、いいとこの坊の妻にでもなんにでもなれる」


 六つ蝶のいとし子――要するに、蝶印もちのことだ。たとえ蝶位に選ばれなくても、蟲子はその存在自体が吉兆だとして、男の蟲子は出世が約束されているし、女の蟲子は良縁に恵まれる。信心深い人が相手だと、まるで六つ蝶そのもののようにありがたい存在として拝まれたりすることもあるようだ。

 文水も苳の民とはいえ、蝶后になれなくてもそれなりの立場の夫を得ることは保証されているはずだった。


(でも、それじゃだめなのよ)


 決意を新たに斎験使を見やれば、すぐ目の前の殿舎を素通りしていく。随分とうらぶれた奥宮でも外れのほうの立地だが、この殿舎の御子とはまだ対面していなかったはずだ。御子のいない殿舎か、華岏王の后の御所かなにかだろうか。


「あの、すみません。こちらの御所は――」

午英王女ひるはなのひめみこの御所にございます」


(王女……)


 王女の御所であれば、素通りも納得である。

 文水は――というか女の蟲子は、蝶位を得れば后にならなければならない。后の本分は当然、御子を産むことだ。だが、女と女が番って子を産めるはずもない。

 よって、男の蟲子は王にも王女にも拝謁するが、女の蟲子はみこにしか拝謁することは叶わない。少々不公平な気もしないでもないが、女の蟲子の花探しとはえてしてそういうものだ。


(まあ、立国以来、女王が立ったことは一度もないのだけど)


 ちょうど、午英王女の殿舎から蟲子が降りてくるのが見えた。いかにもかったるそうな歩き方だ。いくら晴央が最有力とはいえ、一発逆転を狙った蟲子もなかにはいるはずだが、王女との面会では気合の入れようもないのだろう。

 文水はふと、王女の前庭に目をやった。なんとも楚々とした――有り体に言えば地味で暗い殺風景な庭である。年中花が咲き乱れる龍華の京師に似つかわしくなく、そこに植わった桜はまだ蕾だった。

 王たちのことは調べられるかぎりのことを調べてきたが、王女たちのことはほとんど知らない。


(どんな方なんだろう)


 なんとなく好奇心をそそられて、殿舎に目を凝らす。だが、遠目からではかろうじて人影らしきものが見えるだけだった。


(まあ、女のわたしには、関係のないことよね)


 文水は蕾の桜に背を向けて、先を急いだ。

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