第一幕 花なき京師にて

一 月草家の養女媛

 薄紅に透きとおった花びらが、大路に散っていた。桜である。季節はもう秋を迎えていたが、龍華りゅうかがおわす京師にはいつも花のにおいが立ちこめている。冬でも、桜が枯れることはない。


「すごいわ。これはお祭り?」


 都会のにおいをたっぷり吸いこんで、文水は碧の眸をかがやかせる。

 道のずっと先まで所狭しと等間隔に並んだ露店に、どこから来たのかてんで想像がつかない舶来品。そして、噎せ返るような人の波。こんなに栄えた街は、見たことがない。


「京師はいつもこんなもんよ。市座いちくらってんだ。ガキじゃねえんだから、ちったぁつつしみってもんを覚えろよ」


 呆れ声を返したのは、頭に白いものの混じった、中肉中背の四十がらみの男だ。垂れた眸はどことなく眠そうで、いかにもやる気のなさそうな足取りだが、纏った衣の色は露草色。この国で六つの家にしか赦されていない六花りっか色を身につけている。

 文水の養父で、名を月草つきくさ斗鋺とまり夏道かとうの第二の都――蛍谷ほたるだにを根拠とする名門月草家の花長かちょうである。

 花長というのは、まだ国がいくつにも分かれていた頃からつ花を奉じてきた諸名家――百花と呼ばれる貴族の家長のことだ。遡ること五百年前、桜花を奉じる王家が国を統一し、百花の威光は薄れたかに見えたが、六花と呼ばれる花格の高い六つの家は、東の春道しゅんとう、南の夏道、西の秋道しゅうとうと強固に結びつき、中央集権化が進んだ今でも格別の力を手にしていた。

 斎つ露草を奉じる月草家も、六花のひとつだ。


「だって養父とうさま。やっと京師を拝むことができたのよ。これが落ちついていられる?」

「おひいさん。あまり離れないでくださいって」


 呼び止めてきたのは、長身の青年だ。よくよく見てみると鍛え上げられた武人らしい身体つきをしているが、たらたらとした足取りや猫背気味の姿勢のせいで色々台無しである。無造作にくくられた髪、顔には一文字の古傷。切れ長の深い緑の眸が印象的な齢二十四を数える男は、文水が蛍谷で暮らしはじめたときから片時も離れたことがない。


烏火うほ。ちょっとくらいいいでしょ? こんなふうに街を歩くなんて久しぶりなんだから」

かちをお認めしただけで、十分すぎる譲歩だとお心得いただけませんかね。あんたはどこぞの破落戸にしてみりゃ、垂涎もののお宝なんですから」

「分かってるったら。だけど、その垂涎もののお宝である蝶位ちょういを目指そうって立場の人間が、市井のことを蛍谷くらいしかろくに知らないのはどうかと思うわ」

「方々連れ回させられた覚えしかないですけどね。俺が何度肝を冷やしたと思ってます?」


 うつろな目をした烏火に、文水はうっと口ごもる。くどくどと小言と愚痴が多く態度が雑ないまいちやる気のない従者だが、文水にも彼を小さい頃から振り回してきた自覚はあった。

 反論の言葉を見つけられないでいると、すかさず斗鋺が割りこんでくる。


「そうだ、烏火。もっと言ってやれ。それに、次の龍華も蝶位ももう華弥王はるやのみこ香散見かざみ家のボンボンで既定路線だ。お前の出る幕なんざ、これっぽちもねえだろうよ」


 龍華。この龍華国の名の由来にもなっているその言葉は、国をあまねく知ろしめす王を意味する。月草家でも他の家でも花長は長子が継ぐものと決まっているが、龍華には王位継承順位というものが存在しない。

 ではどのように王を決めるのかというと、王家の血を引く者のなかから蟲子むしごが決める。

 昔々この国を生んだのは、ちょうと呼ばれる神であるが、六つ蝶去りし今の世にも一代にただひとり、神意を宿した人間が生まれる。それが蟲子だ。

 蟲子の身体には蝶の形の痣があって、彼らは貴族であっても平民であっても六花のいずれかの邸宅でしかるべき教育を施されて育てられる。そして時が満ちると、蟲子は神意に従い、おのがもっともうつくしき気高き花――龍華を選ぶのだ。

 蝶を傍らに置いてはじめて、龍華は蕾から花になる。

 ゆえに蟲子の役目は王選びだけでなく、その花が健やかに育まれるように龍華の治世を支えることにもある。男の場合は王の補佐官――蝶宰ちょうのつかさに、女の場合は王の后――蝶后ちょうのきさきとなることが慣例だが、いずれにせよその地位は蝶位と呼びならわされていた。

 文水も、平民の生まれでありながら幼い頃に斗鋺に引き取られた蟲子だ。

 厄介なのは、一代にただひとりのはずの蟲子が近頃は複数存在しがちなことで、今も蝶位を巡って王位争いならぬ蝶位争いが勃発しているさなかにあった。

 先の龍華・華岏王かがんのおおきみが崩御したのは三月前のこと。あれから文水は筆記と教養試験を突破し、晴れて今日、正式な蝶位候補のひとりとして宮城で行われる花探しに招かれた。花探しとは蟲子が王候補の面々と対面し、龍華を選ぶ由緒ある儀式のことである。

 ここで蟲子に選ばれた王候補は、蟲子とともに龍華の器たるにふさわしいかの選定を受けることになるのだ。


「出る幕がないって、養父さま。わたしは誰がなんと言おうと、お后にならなきゃいけな――」


 声高に主張しかけたところで、往来の人に鼻先がぶつかりかける。文水がかぶっていた市女笠が宙を舞い、はずみでむしの垂衣がするりと頬を撫でる。寸でのところで引き寄せられて、文水は烏火の腕のなかにおさまった。


「気をつけろ!」


 怒声を上げたのは馬を引いた男で、どうやら運送業を営む馬借うまかしのようだ。


「ごめんなさい、不注意だったわ」


 身を乗り出して慌てて謝った文水と烏火を見て、正確にはその眸の色を確かめて、馬借が口の端を吊り上げる。


「痛ってぇな。ああ、こりゃ骨までいっちまったかもしんねぇな。え? この落とし前はどうつけてくれるってんだ?」

「え? ぶ、ぶつかる前にぎりぎり離れましたよね?」

「あぁん? 言い逃れしようってのか。これだから、穢らわしい鳥骨ちょうこつどもはよお!」


 恫喝され、文水は束の間身を硬くした。

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