龍華国探蝶抄 天命の蝶は后にならない

雨谷結子

序幕 蝶の遺骸と囚われの蝶

一 蝶の遺骸と囚われの蝶

 遠くで神鳴りがひとつ鳴った。

 罪人を押し込めるための獄舎にはただ、凍てついた闇がある。

 文水あやみの身体は泥水にまみれ、養父が用意してくれた晴れの衣装は今や見る影もない。

 花舞う京師みやこの煌びやかな宮で、ただひとりの王の后になる。そんな夢を抱いていた。それが天命だと、心の底から信じていた。

 けれどその望みはもう、叶わない。

 このままでは、文水の首は明日にでも獄門に懸けられるだろう。自身の愚かさゆえに、唯一残った家族をも巻き添えにして。

 鳥籠めいた格子の向こうにいるのは、文水をこれ以上なく罵り、厭い、断罪し――それでいてこの牢から解き放ってくれる唯一の手段を携えた男だ。

 雷雨の夜の化身のような美貌を歪めて、男は囁く。


「選べ。ここで犬死にするか、それとも俺に従うか」


 その日、文水は道を選んだ。

 与えられたかりそめの夢に殉じるのではなく、みずからの意志で。今度こそ、この手で望みを掴みとるために。

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