第7話
まず最初に感じたのは香しい珈琲の香りだった。
窓から十分な光が差し込んでいる広い部屋。
淡い桜色の壁紙をしていて全体的に優しい雰囲気が漂っている。
脇にあるのは大量の本がびっしりと詰まっている本棚。
それがあるので何となくこの部屋はぱっと見書斎なのではないかと一瞬思ってしまった。
少なくとも、誰かを保護する事を目的とする堅苦しい感じはしない。
「あら?」
そして。
部屋の中心に置いてある立派な木組みの机の上には本が大量に積み上げられており、その隙間から一人の少女が本を読む手を止めこちらに視線を向けているのに気づく。
空色の髪、黄金色の瞳。
彼女の事はゲームで散々見て来たから良く知っている。
……アイリス王女だ。
「貴方、もしかして――」
「ああ、そうだ」
立ち上がり、こちらに近づいて来る彼女。
俺の方を見てくるアイリスに、学園長は首肯しながら答える。
「この者こそ、勇者ジョンだ。お前が会いたがっていた人間だ」
「やはり、そうなのですね!」
キラキラと星のように目を輝かせるアイリス。
分かってはいたが、純真無垢で穢れを知らなさそうな彼女に対し、俺はちょっとだけ距離を取りたくなる。
まっさらな彼女。
彼女を見ていると、やましい事はない筈なのに何故か悪い事をしているかのような、そんな罪悪感が湧いて来る。
綺麗過ぎる彼女を見て、欲望塗れな自身を省みようとしているのかもしれない。
なんにせよ、あまり彼女に対して悪影響を与えたくはない。
会いたいとは思いこうしてここにやって来たが、それでも早々に立ち去るべきだろう。
「勇者様、素晴らしきお方。私に貴方のお話を聞かせてくださる?」
対し。
アイリスは何かを期待するかのような表情で俺に対しそんな問いかけをしてくる。
ていうか、勇者「様」?
「素晴らしきお方」?
何をどう勘違いすれば、俺をそんな言葉で表現しようと思うんだ?
「学園長によれば、貴方は魔王軍の幹部と戦いそして勝利を勝ち取る事で、この学園を救い人々を守り抜いたとか」
「はい、いえ――確かに俺は魔王軍の幹部と戦いそして勝利を手にしましたが、それらは沢山の偶然があったからこそもぎ取る事が出来たというのが事実です」
俺は学園長を睨みつけつつ控えめに答える。
もしかして学園長、俺の事を誇張して教えていたりしないよな?
「あらあら。勇者様ったら、謙遜がお上手ですのね。魔王軍の幹部である魔族を倒す事など、我らが王国が誇る騎士団の人間でもそう簡単に出来る事ではありません」
「いえ、それは」
「それに貴方の言葉が事実だとしても、貴方は私と同じくこの学園に入学したばかりなのでしょう? 剣術や魔術などを修得してはいない、いわば成長途中の身でありながらそのような偉業を成し遂げたのです。その事実は間違いなく誇るべき事実でしょう」
なんだか、彼女の俺に対する評価がバブルってるんだけど。
いつその評価が弾けるか怖くてしょうがない。
「と、とにかく」
居心地が悪くなった俺は、仕方なく学園長に助けを求める事にした。
「学園長」
「ああ、二人きりで話したいのだな。分かった分かった」
いやなに「分かっておるぞお前の事は」みたいな表情してやがるちげーよ。
しかし彼女は俺に一方的にウインクをし、そして次の瞬間姿を消していた。
え、マジ?
ていうか彼女の能力で俺はこの部屋にやって来たんだけど、帰りはどうやって帰れば良いんだ?
「うふふ、勇者様。二人きり、ですね?」
「は、はい。その、アイリス王女」
「アイリスと、そう呼び捨てにして貰って構いません。私と貴方は、この学園では同じ生徒同士なのですから」
恐れ多くてそんな事出来ねーよ。
しかし彼女の期待に満ちた目を見ると、その望みを無下には出来なくなってしまう。
仕方なしに俺は蚊が鳴くような声で「……アイリス」と呼ぶ事にした。
すると彼女はますます瞳を輝かせ、「嬉しいわ、私の勇者様!」と手を叩いて見せた。
どうしよう、胃が痛くなってきた。
早く帰りたい。
「実を言うと私、凄く退屈でしたの。私の身を守るためという理由があるのは理解していますが、それでも学友と全く会えずこの部屋に軟禁状態で過ごすというのは精神的に苦痛なのです。分かります?」
「それはなんて言うか、分かります」
「だからこうして、話し相手が来てくださったのは、素直にとても嬉しいのです」
そう言う彼女を見ていると、なんて言うか俺も彼女とすぐ別れたいと思ってしまった事に凄く罪悪感を覚え始める。
凄く単純な奴だった。
もしくはアイリスの人間性がそう感じさせるのかもしれない。
「そうですね。それじゃあ、俺が貴方の話し相手になりますよ」
俺は半分何を言っているんだろうと思いながらアイリスに告げる。
「一応俺は勇者なので、学園長に頼めば会う事自体は出来ると思う、ので。まあ、あまり楽しい話題とかはないですけど、出来る限り話し相手にはなろうと思います、はい」
「――まあ、まあ!」
俺の言葉にアイリスは表情を綻ばせて喜んで見せる。
「勇者様、素晴らしいお方。私の退屈にわざわざ付き合ってくださるなんて、なんてお優しいお方なのでしょう!」
「退屈は誰でも辛いですからね。娯楽が本しかないというのなら、猶更です」
「ええ、そうなんです! 私、読書は別に嫌いではないのですが、それでもずっとそればかりだと飽きてしまうのです。それに、ずっとこうして椅子に座ってばかりだと肩が凝り固まってしまって」
「ああ」
そりゃあそんなお胸があれば肩が凝ってもしょうがないだろうな。
ちなみにだが、アイリスの胸はこの学園で一番大きい。
ていうかヒロインは皆総じて胸が大きいので、多分製作陣は恐らく巨乳好きが揃っているのだろう。
「だから、勇者様? このような事を初対面の人間に頼むのは大変恐縮なのですが、出来れば貴方に、マッサージをお願いしたいのです」
「――はい?」
……まず大前提としてアイリスという少女は純真無垢である。
なので、今回の「マッサージをして欲しい」という願いもただ単に肩が凝っているから揉んでくれると嬉しいなという単純明快な理由の筈だ。
やましい気持ちは一切ない筈なのだ。
しかし――
「……」
アイリスを背中から見る。
彼女の着ている洋服は、背中が大胆に開いている構造をしていた。
お陰でアイリスの陶磁器のような真っ白い肌が丸見えになっている。
肩甲骨の形も綺麗である。
うわぁ、女の子の背中ってこんな風になっているんだ、初めて知った。
って、そうじゃない。
役得だし凄く男子的にはラッキーな出来事なんだろうけど、俺的には不運も良いところだぞ。
相手は王族。
それだけでまず俺みたいな人間が触れて良いような相手ではない。
例えアイリスが許していたとしても、それは傍から見れば不敬と取られるだろう。
ていうか、俺自身が行動のあまりの不敬さに耐えられない。
伊達にチキンを名乗っている訳ではない。
前世と今世の魂が悪魔合体した結果、出来上がったのはおおよそ鬼畜ヤリ○ンとは言い難い奴が出来上がったのはある意味奇跡である。
「どうかしましたか?」
と、アイリスが振り返りこちらを見てくる。
俺が何もする筈がないと信じている純粋な視線。
子供っぽい訳ではない。
ただ、透き通ったガラス玉のように綺麗なのだ。
ちょっと触れただけで手の脂が付いて汚れてしまうのが目に見えているほどの純真さ。
俺のような人間でも、ものの綺麗さ美しさは分かる。
そして目の前の人間はそれこそこの世で一番綺麗で、守っていかなくてはならない存在なのだろう。
そして、俺が躊躇っているのを彼女は察したのだろう。
くすりと笑い、それから少しお茶らけた調子で彼女は言う。
「大丈夫ですよ。私は勇者様の事を信じています」
「……」
その一言がだいぶ重たいんだが。
「例え貴方が私の身体に何かをしたとしても、それはきっと何か意味があっての事でしょう」
その一言はかなり重たいんだが。
「私とて、殿方に身体を許すという意味を理解していない訳ではありません。ましてや、貴方は勇者様とはいえ今日の今会ったばかりの男性です」
「だったら」
「それを前提としたうえで、私は許すと言っているのです。貴方という人間は私に何か良からぬ事をするとは思いません」
どうしてそんな事を断言出来るのだろう。
こう言っちゃなんだが、俺、彼女の身体に欲情してないと言ったら嘘になる。
彼女の綺麗な身体。
穢れを知らない肢体。
それを自身の欲望で汚す事により得られる征服感。
達成感はとてつもないものだろう。
ああ、うん。
本当に俺は最低な人間だ。
彼女を見て、まずそんな事を考えているのだから。
それでも。
彼女は言うのだ。
俺を信用していると。
理由は分からない。
ただ、妄信じゃないという雰囲気は伝わってくる。
……本当に、もう。
まさに、毒気が抜かれるってもんだ。
「……それじゃあ、肩を揉ませて貰いますね」
「――、はい! 思い切り、ぎゅっとやってください!」
アイリスの言葉に頷き、早速俺は肩揉みを開始する。
彼女の肩を触れてみてまず最初に思ったのは「え、これ力加えたらぽきっと行くんじゃ?」だった。
そう思ってしまうくらい、彼女の身体は細く、脆そうに思えた。
同時に、柔らかい。
女体の柔らかさとは、こういう事なのか。
初めてであるが故、この柔らかさをどう形容すれば良いか分からない。
ただ、アイリスの言う「肩が凝った」という言葉が嘘なんじゃないかと思うくらいには、彼女の身体は柔らかく、そして柔軟だった。
……そもそも、アイリスは16歳の筈。
その歳で肩が目に見えるほどに凝ると言う事はないと思う。
筋肉が凝り固まるのは分かるけど、しかしカチカチにはならないだろう。
それを解していくのが、今回俺がするべき事なのだろうが。
ゆっくり、ゆっくり。
手探りで彼女の肩を摘まみ、解していく。
「ん、んん……ん♡」
「……」
なんか、色っぽい吐息が零れてるんだけど!
え、マジ?
純粋だった子がこんなエロい声を出すとか信じられなかったんだけど。
いやまあ、彼女も原作はエロゲだし、俺も彼女のエロシーンで散々そう言う声を聴いてきたんだけどさ。
いざ、実際に会ってみたら彼女のあまりの純真無垢さに「あ、エロとは無縁な人間なんだな」って思った訳。
それが、なんという……
「んんっ、ん♡ ぁ、あぁん……っ♡」
「……」
無心無心無心無心無心無心無心無心。
何も考えるな目の前の事に集中しろお前は肩を揉むだけの機械だ――
「や、ぁ♡ ぁあ、あ♡ あ♡♡」
肩揉んでるだけなのにこんなエロい事あるぅ!?
嘘だろ、おい。
嘘だろ?
俺、本当に肩を揉んでいるだけだよな?
エッチなシーンじゃないのよ、今?
なのにどうしてこの子、こんなにエロいの??
「ん、んっ♡」
「お、終わりましたっ!」
「んん、……♡」
俺がそんな風に叫び手を離すと、彼女はこちらを振り返り「……終わり、ですか?」と尋ねてくる。
その瞳はとろんと蕩けていて、何かを期待しているかのようだった。
ヤバい。
そんな目で見ないで。
そんな目で見られると、俺も我慢出来なくなっちゃう。
だから俺は兎に角「あ、あまり肩は凝っていませんでしたねっ!」と叫ぶように言うと、彼女は相変わらず濁った瞳で「そう、ですわね」と言う。
なんにせよ、早くここから離脱しないと。
そう思ったところで、俺はその事を思い出す。
そういえば俺、ここから離れる術を持ってないじゃん!
そもそもここに来たのは彼女、学園長によって連れてこられたからだ。
来られた、というか俺がそう望んだのだが、それはさておき。
そしてここ、彼女を守るこの部屋は見たところ脱出する扉がない。
太陽光が差し込んでいるあの窓も、恐らくは開けられないだろう。
え、どうすれば良いの?
こんな空気で俺はまだこの場所にいないといけないの?
そんな絶望的な状況にそれこそ絶望する俺の前で、アイリスはくすりと笑った。
「ふふ、気持ち良かったです勇者様」
「ど、どうも……」
「イケナイ気持ちになってしまいそうなほどに、甘美な快楽でした」
肩揉んだだけなんだが?
「それとも、こう言った方がよろしいでしょうか――昂ってしまいました、と」
俺、肩を揉んだだけなんだが?
「勇者様、素晴らしいお方。貴方は不思議に思うでしょう。ただ、こうして触れ合っただけだと言うのに、私がこのようにはしたなく興奮してしまっている事に」
「……」
そうだとは言えない。
言える訳ない。
ただ、どうしてとは思った。
そう言えばアイリスと言う少女が原作でも何故か「そう言う事」に積極的で、お陰で「清楚系ビッチ」なんて不名誉な呼ばれ方をしていた。
純真無垢であるが故、染まってしまったらその事に傾倒してしまったというのがプレイヤーの見解だったが、しかし。
もしかして、違う理由があるのか?
じっとアイリスの事を見る俺に対し、彼女はもう一度くすりと笑い、そしてとても単純でどうでも良い事を話すようなトーンで、割と重要な事実を口にするのだった。
「何故なら、私。アイリス・アーサー・アンブロシアの体内に流れる血には、淫魔。即ちサキュバスの血が混じっているからです」
……そんな情報、知らないっていうか初めて聞いたんだけど?
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