存在しない病
三分堂 旅人(さんぶんどう たびと)
存在しない病
静かな郊外の一角に、評判の良い診療所があった。そこには、佐藤という名の医師が勤めていた。彼は年配の女性から幼い子どもまで、誰からも慕われる心優しい医者だった。
ある日、疲れた表情の若い男が診療所のドアを開けた。男の顔には陰りがあり、どこか怯えているようだった。
「先生、助けてください。大きな病院でガンだと言われました。余命は半年だと…」
佐藤医師は穏やかに頷き、静かに診察台へ促した。そして、男の体に軽く触れながら問診を始めた。聴診器で心音を確かめ、脈を取り、しばしの沈黙の後に微笑んで言った。
「うん、大丈夫ですよ。あなたにはガンなどありません」
「でも…大病院の検査結果も、医師の診断もそうだったんです!」
男は戸惑い、必死に反論する。佐藤医師は静かに椅子に腰を下ろし、机の引き出しから古びたファイルを取り出した。
「いいですか。ガンというのはね、病名であって病気ではないのです。治療という名の高額な薬や手術が必要だと信じ込まされていますが、それは作られた幻想です」
「じゃあ…治療は必要ないんですか?」
「そうです。むしろ、治療をすればするほど健康を損なうことさえあるのです。あなたは健康そのもの。騙される必要はありません」
佐藤医師の言葉に、男はほっと安堵の表情を浮かべた。そして、医師の勧めで体を温め、ストレスを減らし、自然に近い生活を始めることにした。
それから半年が経ち、男は再び診療所を訪れた。以前の暗い顔は消え、晴れやかな笑顔がそこにあった。
「先生、あれから全く体調が良くなりました。本当にありがとうございました」
佐藤医師は微笑んで頷き、男を見送った。
「お元気で。そして、どうかガンという言葉に惑わされないように」
しかし、その夜、診療所の奥で佐藤医師は一人、電話をかけていた。暗い部屋に青白い光だけが浮かび上がる。
「…ええ、はい。新たな対象者に成功しました。彼ももう病院には戻りません。例の契約通り、報酬をお願いします」
受話器の向こうで、静かな笑い声が聞こえた。
「さすがだな、佐藤先生。これでまた一人、我々の研究サンプルが増えた。患者が医療から離れ、自然に命を縮めてくれるおかげで、我々のデータはどんどん集まっている」
佐藤医師は無言で電話を切ると、ゆっくりと診療所の看板のスイッチを消した。そして、闇に沈む町を見下ろしながら、独り言のように呟いた。
「人は病気ではなく、信じるものによって死んでいく…。さて、次の患者は誰だろうか」
その背後で、壁の時計がゆっくりと時を刻んでいた。針は、存在しない未来を静かに告げているかのように。
存在しない病 三分堂 旅人(さんぶんどう たびと) @Sanbundou
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