フルートの妖精(3)

「ねえ、何してるの?」


 気持ちよく風に当たっていると、後ろには見慣れた女子が立っていた。

 美冬だ。なんだか怒っているようにも見える。


「……ん? ああ、天気が良いからね。涼んでるの」


 全然、悪びれもせずに、答えてやる。


「……授業、ちゃんと出ないとだめだよ」


 声を震わせて、彼女は言う。

 手すりによりかかる私を見て、まるで飛び降りでもしようとしているように見えたのかもしれない。


 落ちてしまわなくてよかったと思う。

 いくら自分の心が荒んでいても、他人まで巻き込む趣味はない。


「そっちこそ。なんでこんなとこにいるわけ?」

「私は、先生に頼まれて、資料を取りに行くところだけど」

「へえ、まじめなお手伝いってわけか」


 なるべく不機嫌そうに言葉を返す。

 自分の心の内を、誰にも知られたくなかった。


 今、油断したら、美冬の優しさに甘えて、泣いてしまいそうだった。

 それだけはなんとしても、避けたかった。


「もう、行かなきゃ。授業、ちゃんと出なよ」

「まあ、気が向いたらね」


 声だけ掛けて、あっけなく、もう行くと言う。

 私はまた手すりの方を向く。

 一緒にサボってくれるなんて、そんな小説や漫画みたいなこと、あるわけないか。


 こっそり振り返ると、美冬が小走りに音楽室に戻っていくのが見えた。

 私は面倒になってテラスに寝転んだ。

 こうして寝転んでしまえば、意外に目立たないんじゃないかと思って。


 ああ、このまま猫にでもなってしまえたら良いのに。



 結局、次の日もその次の日も、私はなんとなく授業に行き辛くて、時々教室を抜け出しては、テラスで涼んだ。


 この四階のテラスからは、一年C組の教室が丸見えだ。

 だから、たまに美冬が、窓の外を見上げたりしているのも良く見えた。

 時々、目が合うんじゃないかって、焦りそうになったりもした。


 もちろん、そんなことあるはずないと、わかっているけど。

 ちっとも授業に集中していなさそうな、その様子を見て、なんだ意外と、真面目じゃないのか、と笑ってしまった。


 よく晴れた日のテラスは、本当に気持ちが良くて、教室に閉じ込められている皆が、不憫に思えるくらいだった。




 その日、いつものように、私が授業をサボって寝ていると、なぜか美冬は、わざわざ四階にまで上がって来た。

 息を潜めて私の様子を伺っているつもりみたいだけど、バレバレだ。


「あのさ。進藤さん、私になんか言いたいことあるの?」


 少し迷ったけど、声を掛けてみる。


「授業、そろそろ出たほうがいいんじゃないかな」


 美冬は、自分のことを棚に上げて、そんなことを言ってくる。


「いや、そっちも、同じでしょ」

「あっ」


 言い返したら、自分も授業中なんだと、ようやく気づいたようだった。

 なんだ、全然真面目じゃないじゃないか。


「そんなに、私に会いたかった?」

「別に、そんなこと……」

「冗談だよ。こんないい天気だもんね」


 美冬だって、天気の良い日はサボることもあるのかもしれない。


「須賀さんは、どうして授業サボるの?」

「さあね」


 よく訊かれるけど、それに答えるつもりはなかった。


「ここ、また来てもいい?」

「お好きにどうぞ」


 真面目な美冬は、そのまま教室に戻ることはなく、私の隣に並んで、空を眺め続けた。

 別に、真面目でも真面目じゃなくても、どっちでもよかった。

 

 私は、四階のこのテラスが好きだった。

 授業をサボるときのみならず、フルートの練習をするときも。

 雨の日以外は、好んで外に出ていた。


 残響が多すぎても少なさすぎても、練習にはあまりよくないと思うのだが、私としては後者の方が好みだった。


 演奏会まであと少しのこの時期、音楽室は空いていないことが多い。

 だからと言って廊下や教室で吹くと、うるさくて迷惑をかけるんじゃないかとか、気になるからだ。


「ここ、いいかな?」


 後ろから耳馴染みのある声がする。

 入って二ヶ月のオーケストラ部で、私が声まで覚えているのは、一人しかいない。

 振り返って、頭を縦に振る。


 特に用事があるわけでもなく、話のネタも持っていない私は、彼女とうまく雑談できるほど、器用じゃない。

 美冬も、遠慮しているのか、少し離れた場所で練習を始める。

 そうだ。これが今の私達の正しい距離感。


 離れていても、美冬の音はしっかり聞こえてくる。

 高校に入ってからフルートを始めたというが、そのわりには、ずいぶん音色が綺麗だし、音程も悪くない。


 多分、良い音楽のイメージがあるんだと思う。

 努力ももちろんだが、理想的な音のイメージがあるのとないのとでは、音がだいぶ変わることを、私は知っていた。


 彼女は多分、化けると思う。


 いや、妖精は化けないか。


 そんな、くだらないことばかり、考えていた。

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