フルートの妖精(2)

 四月を迎え、入学式と入寮の手続きを済ませて、高校生活が始まった。

 あの立派だった桜の花は、入学式の頃には完全に散ってしまっていて、少しだけ寂しかった。


 授業が始まり、クラスの中にちらほらグループができ始める頃、一年生はそれぞれ、好きな部活動の見学に行き始める。

 私も、授業の後に、お目当ての部活動の見学に行った。


 オーケストラ部だ。


 中学時代、オーケストラ部に入っていて、その頃からフルートの個人レッスンも受けている。


 この高校を志望した理由の一つが、オーケストラ部がある、ということだったから、見学に行かない理由はなかった。

 音楽室の方向に歩いていくと、ちょうど勧誘活動に出かける上級生と出くわした。


「あの、入部したいんですけど」

「ほんと? 嬉しい! お名前は?」


 カモがネギを抱えてやってきたようなもので、先輩方は喜んでくれた。

 抱えていたのはネギじゃなくて、フルートなんだけど。


 その日から私は、先輩達と一緒に音楽室でフルートを吹くようになった。

 正直、フルートを吹ける場所であれば、どこでもよかったのだけど。


 寮の部屋は、殺風景な一人部屋で、特にやることもなかったから、このときからずっと、フルートばかり吹いて過ごしていた。

 というより、私は、フルートを吹いていないと、ダメだった。


 中学の卒業式で色々あって、とにかくささくれ立った心を宥めるには、そうするしかなかったのだ。



 五月のゴールデンウィーク明け、正式入部ということで、一年生が皆の前で自己紹介をして、部員同士の顔合わせを行なった。

……驚いた。

 なんと同じフルートパートに、あの時の桜の妖精がいたのだ。


 桜の妖精でなくて、フルートの妖精だったのか。

 なるほど、確かに彼女がフルートを吹く姿は、想像しただけで、まさに絵になる、という感じだ。


 彼女は、進藤美冬しんどうみふゆ、という。

 春生まれなのに「冬」という字が入っている理由は、彼女の両親が出会った季節が冬だったからだそう。

 なんとも幸せそうな話だ。


 美冬は高校に入ってから初めてフルートという楽器を手にした。

 銀色で、キラキラしていて、綺麗だったから。

 そして何より、音楽室から廊下まで響いていた、先輩が吹く楽器の音色に、一目惚れしたからなんだそうだ。


 美冬は、見た目にはふわふわと、甘い洋菓子のような雰囲気を漂わせていた。

 しかし、実際はとてもしっかりしていて、責任感の強い子だった。



 ある日の授業中、確か二限目の数学の時間だ。

 私は四階の音楽室前のテラスに出て、心地の良い風に当たっていた。

 目の前に見える新緑の木々からは初夏の匂いがする。自分の心とは真逆の光景に、少しだけ嫉妬した。


 まだ一年の一学期だというのに、私はとっくに授業から取り残されていた。

 だからといって真面目に勉強するでもなく、ひとりやさぐれて授業をサボりがちになっていた。


 今はこんな風だが、私はこれでも中学時代は成績優秀者で、常に学年でトップの成績を維持していた。

 しかし自分には、これといった夢も目標も、なかった。


 高校生なんて皆、所詮はそんなものなのかもしれない。

 だけど、この学校で、私は明らかに浮いていた。


 県内トップの進学校だ。東大京大をはじめ、果ては海外の有名大学にまで卒業生がいるという、特殊な環境下では、私のように目標のない生徒の方が、少数派なのだ。


 元々大した勉強もせずに、良い成績を取れていたのも良くなかった。 

 学問的探究心に溢れた、変人ばかりのこの学校の中において、向学心のない私には、生きている価値などない。


 私は手すりに体重をかける。

 今この手すりが壊れたら、下に落ちるだろうなと思われる、ギリギリのところにつかまる。

 このままここから飛び降りても、死ねやしないし、別に死にたいとまでは思わないけど。


 ただ、別に、いつ死んだって良かった。

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